23.Let me give you a big hug.

和解の抱擁とは到底呼べないものだった。

確かになまえはザンザスの元へ歩み寄り、ザンザスも彼女を受け入れたがほんの一瞬の抱擁であった。しかし、その代りになまえは弟を見舞いに行くことを許されたのである。

「足の骨折れちゃったけど、きっと神様からの贈物だよ。
姉さんと会えてうれしいよ」

ボンゴレの資本で運営されているという私立の病院に彼女の弟は入院している。
扉の近くに椅子を置いてスクアーロが護衛として腰を掛けている事を覗けば、離れ離れになった姉弟の涙ぐましい再会だ。

「大きな怪我じゃなくて安心したわ」

「姉さんも元気そうだけど、なんか大人っぽくなったね」

まだ子供故になのだろうか。
病室に入ってきた自身の姉を見て、自分の知っている姉だとは思えなかった。
なまえの嫁入りが決まってから、ボンゴレからの計らいでカウンセリングをしばらく受けていたが家を出るには随分とショッキングな方法だと弟は未だに思っている。
激しい環境の変化が自分の姉の表情を変えてしまった、と一目見て思ったのだ。

元気そうに見える、と言われてなまえは安堵するも弟の薄茶色の瞳が彼女自身の何かを見抜いている事には気が付いていた。
決してマフィアの世界に馴染まない日々を送っていた筈が、いつの間にか彼女の丸さを削り落としていたのだろう。それがマフィアの世界によるものなのか、なまえの心労によるものなのか。はたまたどちらもなのか。昨日の色濃く燃えていた赤色の空が記憶を過る。

ああ、確かに、彼女の世界は燃えてしまった。

「・・・お嫁さんになったからかしら」

「そうかも。もう、僕と違って子供じゃないもんね」

笑いながら肩を竦めるなまえに弟は楽しそうに笑いながら答えた。
スクアーロは2人を邪魔しないように、と気配を消すことに努めている。

「姉さんの花嫁姿が見たいな」

そういう弟の笑顔はまだ幼い。自分がいつも毎日、見ていた笑顔だったとなまえは思い出しては、当たり前の風景がいつのまにかこんなにも薄れていってしまった事に悲しくなった。

「私一人だけなんだけど」

ルッスーリアが弟を見舞う為に現像してくれたであろう写真を弟へ渡す。
式を終えて古城の庭へと入ったばかりの時で、マーモンとベルが何故か喧嘩をし始めたのを見て驚いている写真だった。リップブラシで縁どられたなまえの唇には透けるようでありながらも、しっかりとさくらんぼ色が乗っている。頬には天使から分けてもらった初夏の日差しが輝き、扇を描く睫毛は彼女の表情を生き生きと見せていた。なまえにとっては難しい日のワンシーンにしか過ぎないが、彼女の弟には姉の麗しい写真である。

「綺麗だよ、姉さん。」


多分、いいや、間違いなくなまえが結婚式の日に取った唯一の大きな表情だろう。
ルッスーリアがこの写真を選んで持たせてくれた気持ちを理解していた。愛する弟に会える最後の機会で、唯一彼に自分の晴れの姿をみせれるのだ。緊張で張り詰めた表情を彼に見せて、不安にさせる訳にはいかない。不安にさせる訳にはいかないからこそ、自分の世界を燃やしてしまって良かったのだとなまえは納得した。
自分に向けられる隙を見つけようと嘗め回す周囲の眼差しはきっとすぐには慣れないだろう。それでも、愛した森から生まれた灰を纏いながらもその眼差しの中歩みを進まねばならない。誰もが後ろ髪を引こうと、ザンザスへの復讐にと、彼の足元を掬おうと、なまえの足元を掬おうとするのだから。


「お守りに貰っても良い?姉さんのおかげで僕は生きれたから」

「いいわよ」

「ありがとう。ずっと大事にする」

弟の瞳が真珠の様に濡れた光沢を纏い始めた。
なまえは椅子から立ち上がり、愛するまだ幼い弟をそっと抱き締める。もう二度と彼を彼女は抱き締める事が出来ない。抱き締める事も出来なければ、弟の人生の歩みを側で見ていく事も出来ない。元居た世界でなまえは亡霊となってしまったのだ。生きている筈なのに、死んだ人間の様に彼女の半生だけがゆらゆらと生き続けるのだ。

「旦那さんにありがとうって伝えておいて。
姉さんに会わしてくれるなんて思わなかったよ」

夏の力強い日差しが僅かに優しく秋の気配を感じさせる。
愛する弟の人生に多くの幸福が訪れる事を願いながらも、なまえの頭の中は既にザンザスの事でいっぱいだった。帰路へと急ぐ車の中で揺られながら、早く彼に会いたいと思って体がずっとそわそわとしてしまう。彼に感謝の気持ちをなまえは伝えたくてたまらなかった。

ザンザスと夫婦になったのはあまりにも強引だ。
絆を深めていく気持ちなんてなまえにはどこにもなかったし、純白のヴェールをどれ程乱暴に取って逃げ出したいと思った事か。だが、ザンザスは頑なに現実を受け入れようとしないなまえをずっと待ってくれた。彼女の態度が好転して、この婚姻を受け入れてくれる事を待ってくれたのである。

彼が、彼女を待っていなければ彼女に今日はなかったかもしれない。

スクアーロに車の扉を開けてもらうのを待たずになまえは屋敷の中へと駆けていく。
使用人に聞けば、ザンザスは庭にいるらしい。広い庭に飛び出せば、ちょうど歩いている彼がいた。

「ザンザス!」

彼が振り返るよりも早く、なまえは彼の背中に飛びついた。後ろからザンザスの腹の方へと腕を回して背中に縋りついたのである。突然の事に理解が出来ないザンザスはすっかり手の行き場を失ってしまった。

「・・・離せ」

「いや」

「何の真似だ」

ザンザスは自身に巻き付いた細い手を剥がそうとなまえの手に触れる。
それに抵抗する様に腹の前で彼女はしっかりと両手を結んだ。

「ごめんなさい。ずっと、待たせてしまって」

剥がそうと思えばなまえの事を剥がすのはいとも簡単だった。けれどもザンザスは引きはがそうとせず、彼女の手首を握ったままだ。

「私の事信じて何も言わずに待っててくれたのに、私は酷い事を言ってしまった」

仰々しい言葉に聞こえてしまうかもしれない。
それでもなまえはザンザスに言わずにいられなかった。あんなにも拒絶の感情を剥きだしにしたのに、腹の底から這いあがる黒い感情を彼にはぶつけてしまったのに、ザンザスは彼女の言う通り彼女を待ち続けたである。手に入れたいと願ってやまなかった愛するなまえだ。自分に眼差しを向けてくれると信じて待っていたのだ。なまえが眼差しを向けてくれるなら、いくらでも彼女の頬を濡らす涙を拭おうと思ったし、いくらでも彼女の望むものを捧げようと思っていたのだ。
だからこそ、ボンゴレ邸でなまえに向けられた眼差しはザンザスに悲憤の影を落とした。
他ならぬ愛するなまえから向けられた眼差しがこれか、と酷く自分に落胆した。
一体何をどこでどう違えて、彼女にこんなにも感情を抱いてしまったかザンザスにはわからなかった。勿論、置いてきぼりにしたなまえにどうやって和解の抱擁をすれば良いのかもわからなかった。一人で深い海の底に潜り込んでしまった様にザンザスは動けなくなった気がしていたのだ。

「ごめんなさい、我儘ばかりしてきてしまって。あなたが想ってくれたから、私はここまで来れたのに」

あまりにもこの夏は泣き過ぎた。
すん、となまえは鼻を小さく啜りザンザスが自分の手を握ってくれるのを待つ。
ボンゴレ邸でみた彼の表情を忘れる事は出来ない。威厳溢れる彼の瞳には悲しみが宿ったが一瞬にして怒りに変わってしまった。自分に寄せてくれた心がどんどん離れていき、初めてなまえはザンザスに自分も心を寄せ始めている事を理解した。彼のなまえを想いやる気持ちが自分を支えてくれたのだと。

「なまえ」

自分の腹の前でしっかりと結ばれている手を解いて、振り返る。振り返った先にいる泣いているなまえを腕の中へと引き寄せた。そしてまた、彼が彼女を抱き締める前になまえがザンザスの首に腕を回し、すっぽりと彼の肩に顔を埋めてすすり泣いている。

「ありがとう。ずっと、待っててくれて」

「・・・ああ」

抱き締められるのを恥ずかしがる子供の様にザンザスはゆっくりと、なまえの体に腕を回して、言葉にならない気持ちを込める。深い海の底に届く日差しがザンザスを水面へと誘った。柔らかくも力強い、透き通る日差しだ。きっとこの日差しを追いかける様にして、水面へと向かえば幾千もの星を瞳に宿したなまえが自分を待っている気がした。



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