何に驚いているのかは分からないが、暫くびっくりした様子の彼。
やがてスミレの方をみてさらに驚いた。
視線はおそらく、スミレの膝小僧だ。



「けっ、怪我をしているではないですか!
血も流れて……転ばれたのですか?

取り敢えずは手当てをしましょう、此方へ! 」



すっと、膝裏に冷たい肌の感覚が滑る。その体温の低さに、スミレはびくりと身をふるわせた。
ひょいと抱き上げられ、青年の手によってスミレは神社の中へと運ばれる。


神社の中など初めてのスミレだったが、ドキドキした割に中は木の壁と床ばかり。黒く汚れぼろぼろの風景は、さながら廃神社だ。
落胆もよそに、青年は隅の薄汚れた棚の中から葉を何枚か取り出すと、それをちぎり指の腹で潰すと水に漬けた。そして、懐から取り出した手拭をその水につけると、それを此方へ持ってくる。


「簡易的なものですが、消毒くらいは出来ると思います。
すこしピリッとしますが、我慢して下さいね」



青年の言ったとおり、手拭が膝に当たると焼けるようにピリッとした痛みが膝に襲った。足を引きたくなったが、歯を食いしばってなんとか我慢する。
膝裏に結び目をつくり、手拭が固定された頃には、痛みはそれほどなくなっていた。



「……あ、ありがとう、ございます」


「いえ……放ってはおけませんから」



スミレがおずおずと礼を言えば、笑っているのかは分からないが、微笑んだような声音でこたえる青年。
その優しさや、見たことのないやり方だったが親切な手当てで警戒心の解されたスミレは、気になっていたことを尋ねることにした。



「あの……あなたは、ここに住んでいるんですか? 」


「…………」



青年がまた固まってしまった。その反応にすぐ、スミレは悟る。

ーーーーこんなぼろぼろの所に人が住めるわけがないじゃないか。
それをわざわざ聞くなど、失礼にもほどがあるだろう。

青年が固まるのもそのせいだと、スミレはあわてて頭をさげた。



「ごっ、ごめんなさい。
こんなところ、人が住めるわけがないのに変なこと聞いちゃって」


「……あ、ああ。
いえ、大丈夫ですよ。謝らないで下さい」



苦笑した様子でこたえる青年だが、怒っている訳ではなさそうだ。スミレはほっと胸を撫で下ろす。



「私は……ここから少し離れた山の中に住んでいます。時々この神社のあたりに、山菜をとりにくるんですよ」


「そうなんですか」


スミレは、つい先程出会った時見た籠を思い出す。そういえば、あの散らばった山菜と籠はあのままで良いのだろうか。

「あの、山菜の入った籠は……」

「あっ!! 」


どうやら青年は、山菜の存在をすっかり忘れていたらしい。思い出したように叫ぶと「ちょっと待っててくださいね」と言って、外に掛けて行ってしまった。
姿に似合わないそのおっちょこちょいさに、スミレはくすくすと笑ってしまう。









戻ってきた青年はスミレにお礼をいうと、外をチラリと見て問いかけてきた。


「もしかしたら、そろそろ帰った方が良いのではないでしょうか? 怪我をしていますし、麓まで送りますよ」

「い、いいんですか……? 」


正直、ここから一人で帰るのは無理だと思っていたスミレは、ほっと胸をなでおろした。
青年は神社の縁側までやってきたスミレを心配そうに見つめる。


「大丈夫ですか? 歩けますか? 」

「はい、大丈夫です」


いつの間に洗ってきたのだろうか、泥や草で汚れていたスミレのサンダルは、元通りの綺麗な状態に戻っていた。


「あの、サンダルありがとうございます」

「いいえ、元はと言えば怪我も私が引き起こしてしまったようなものですから」


紙で隠れたその奥で、青年が優しく笑う気配がする。彼はスミレの来た方角とは違う場所を指さした。


「帰り道は、ケガをしないようになるべく通りやすい道にしましょうか」

















神社の目の前に伸びる石造りの長い階段を降りて暫くすると、疎らにたつ古い民家が見えてきた。

行きよりかは随分楽な道だったが、それでも道には草が生い茂っていた。しかし、スミレのサンダルは神社の時のまま綺麗な色を保っていて、山の麓に降りたスミレは首を傾げた。



「ここからひとりで帰れますか? 」


「あ、はい」


山から舗装された道路に降りる手前で青年が止まり、問いかけてきた。スミレは頷く。
そして、ぺこりとお辞儀をした。



「あの、今日はありがとうございました」


「いえ、大丈夫ですよ。
家までお送りできなくて申し訳ありません。気をつけてお帰りくださいね」



青年の言葉にまたこくりと頷いたスミレは、青年に背を向けて歩き出す。
昨日見た茜色の太陽は、もう半分も向こうの山に隠れている。空のはしは僅かに青色を帯びていて、涼しい風が二人の間に吹き抜けた。


ーーーそういえば、この人のなまえ、きいてなかったな。

なまえ、なんていうんだろう。



不意に思いついたその疑問は、何故かどんどん焦りを帯びて膨らんでいく。

スミレははっと振り向いた。
そこにはまだ青年がいて、振り向いたスミレを不思議そうに見つめている。


「あっ、あの! 」


その場に立ったまま、スミレは少し上ずった声で叫んだ。どうしてもここで彼の名前を聞かなければ、二度と彼には会えない気がしたのだ。




「なまえを……あなたのなまえを、おしえて下さい!」



めいっぱいに大声を張り上げた後、二人の間には僅かに静寂が訪れる。
青年が息を吸う音が、スミレには聞こえた。




「き……ききょう、です! キキョウ!

ーーあなたは、なんという名なのですか!」





「わたしは、スミレです!

ーー……キキョウさん、またあいましょうね! 」






スミレは、そう叫んで大きくお辞儀をした後、気恥ずかしくなってばっと駆け出した。

キキョウ、キキョウさんっていうんだ。
また、また会えるかな。



少しサイズの大きいサンダルに躓きそうになりながら、スミレは何度も彼の名前を呟いた。



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