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 朝目が覚めて、一番初めに目に入るのは清宮の寝室の壁。俺の部屋みたいに、壁に埃がくっついてるところなんて一回も見たことがない、汚れどころか傷一つない、真っ白を保たれたクロス。
 前に一度それについて聞いてみたら、

『汚れを見つけると、気になって寝れなくなるからさぁ。マメに張り替えてるんだよ』

 なんて贅沢なことを、アイツはサラッと言ってのけた。よくよく考えてみれば清宮の部屋はどこもかしこもピカピカで、げぇ! こいつ潔癖かよ? なんてその時は思ったけど、そんな奴が俺のあんなトコやこんなトコを躊躇いなく舐め上げるんだから不思議なもんだ。
 のっそりと巨大なベッドから起き上がる。その隣に、清宮の姿はもうなかった。
 ふたりで寝ても十分余裕のあるそれに、俺は不満はないが清宮はやや不満を感じているらしい。なんでも「狭いほうが、意識のない間も伊沢くんとくっついていられるもんねぇ」らしい。アイツ、絶対アホだと思う。
 
「あ、おはよう伊沢くん」

 寝起きの気怠さを連れて寝室から出ると、清宮がキッチンからこちらを振り返った。

「いま丁度ご飯できたところだよ。顔、洗っておいで」

 俺の躰の隅々まで暴き遊びつくした、昨晩の淫猥なオーラなんてどこへやら。誰もが見惚れる爽やかさで笑う。
 肩を越すほど長い、明るい色をした髪を適当に結い上げている清宮。
 露わになった首筋はしっかり男であることを主張する太さで、決して女性的ではない。それなのに、結い損なった髪がちらほらと絡みつたそれは妙に色っぽい。
 こうして改めてコイツの風貌を見てみると、毎晩見せ付けられる獣臭い、荒々しい面があるなんて到底思えないキラキラ具合だ。ましてや、同性を力づくでベッドに沈めるような奴には見えないだろう。
 実際は、驚くほど男臭くて乱暴なヤツだけど。

「お前って、やっぱ二重人格なんじゃねぇの?」
「え〜? どうしてぇ?」
「普段と夜と、人が違いすぎんだろ」

 壁に寄りかかって毒を吐く俺に、清宮がニヤリと口端を吊り上げた。

「別に俺は、ずっと夜のままでも良いんだよ?」
「ッ、」
「ふ…冗談だよ。早く食べないと遅刻するよ。顔、洗っておいで」

 もう一度洗顔を促し俺に背を向けた清宮にホッと息をつく。朝から夜モードに変わられたら、流石に俺の躰が持たない。今だって昨晩の後遺症で歩くのがやっとなのに。

「味噌汁はちょっと温めでよろしく」

 それだけ言って、俺は漸く洗面所へと足を向けた。


 バシャバシャと大雑把に水で洗った顔を、洗面所の鏡で見つめる。正直自分でも、どこにでも居そうな冴えない男だと思う。
 ただ冴えないだけならいいが、目付きの悪さがアダとなってよく輩に絡まれ、弱い立場である事を嫌でも自覚させられてきた。だから俺も、俺以上に弱い奴を見つけては同じことをしてきた。だって可笑しいだろ? 俺だけが損をするなんて。
 どんな世界にでも弱肉強食が蠢いていて、弱者が強者に屈するのを当たり前だと言うなら。誰かの手によって俺が損したその後に、俺の手によって損する奴がいても良いじゃねぇか。自分のD/S性が分かってからは、その考え方はあからさまになった。
 だが、そんな俺みたいな人間を世間ではクズ≠ニ呼ぶらしく、俺は周りからそれまで以上に疎まれるようなった。

 鏡に映った、水を滴らせても色男にならないクズ野郎。しかしそんな俺の首には、誰が見ても執着≠竍所有≠フ証だと一発で分かる紅や紫の痕がべったりと残されている。それも、極上だと称される男の手によって。

 誰からも厭われ疎まれる存在である俺と、誰からも好かれ手に入れたいと望まれる存在である清宮。
 本来なら全く相容れない存在である俺たちは、一体どこでどう間違ったのか、一週間ほど前から恋人≠ネんて言う最も信じられない形で、互いの歩みを重ねることになったのだ。


 俺好みの朝食を平らげて、大学へ行く準備をする。
 清宮のパートナーとしてこの部屋に出入りするようになってからというもの、俺は殆どの時間をこの部屋で過ごしている。
 家賃が勿体ないからと一応部屋に帰ろうとするのだが、そんな俺を清宮は引き止めて、自力で帰れなくなるほど躰を酷使させて、結局起き上がれずここで朝を迎える、なんてことが当たり前になってしまった。

「今日も直で来る?」
「いや、一回帰る。流石に戻ってなさすぎる」
「そう? 今日は俺もちょっと講義で遅くなりそうだから、居なかったら部屋入って待ってて。警備には言っておくから」
「分かった」
「あ、ちょっと待って」

 スニーカーを履いて立ち上がると、清宮に腕を引かれた。

「ここ、寝癖が直ってないよ」

 長い指が俺の髪の中に滑り込む。暫く真剣な目をして俺の髪を弄っていた清宮は、だが途中で突然吹き出した。

「伊沢くんは髪まで可愛いねぇ」
「はぁ?」
「ピコピコ跳ねて、指だけじゃちっとも言うこと聞いてくんないから」

 全然直らないよ。そう言ってくすくす笑う清宮に、俺はちょっとだけ目を奪われた。だって、めちゃくちゃ甘い顔を見せるから。

「いいよもぉ! 俺は寝癖とか気にしねぇから!」

 恥ずかしくなって清宮の手を振り払うと、その手を逆に掴まれ引き寄せられて。

 ――ちゅく…ちゅっ、ちゅ…

 朝にしては濃厚なキスが落とされる。

「なッ!?」
「ん、ミント味」
「あっあっあっ、朝からやめろよバカ野郎!」
「いってらっしゃ〜い」

 笑顔で手を振る清宮に背を向けて、勢いよくドアを閉める。そのまま俺は大きく息を吐いた。

 俺は清宮に甘やかされている。嫌でもそう感じる瞬間は、日々の生活の中でも多々ある。
 今朝のように、大抵は朝起きると朝食がすでに用意されている。一番最初に食ったのは洋食だった気がするけど、俺の好みが和食だと知ってからは和食しか出なくなった。
 朝から思い出す話ではないが、夜モードの清宮は正に鬼畜だ。しかし酷使された俺の躰がそのままにされていたことは一度もない。意識があれば一緒に風呂に入るし、飛ばしてしまっている時はアイツが一人で俺の後処理をしているんだろう。
 出会ってから今まで例外なく続くそれを、ずっと当たり前のように受けとっていたが…最近はなんだかその事実がむず痒い。

 正直なところ、俺にはまだ恋人≠チてやつの自覚がない。騙されていたとはいえ、付き合う前から俺達はセックスをしていたし、清宮の家に入り浸っているのも前と変わらない。
 恋人だからと言ってなにが違うのか、イマイチ違いがよく分からないのだ。それは俺が、今まで誰とも付き合ったことがないからなのかもしれないけど。


 ◇


 大学内で俺がボッチなのは今に始まったことではないが、妙な視線に晒され詰られる回数は圧倒的に増えた。漆黒の首輪を着けられていた時も好奇と嫉妬の視線は突き刺さっていたが、今はその非じゃない。それもこれも全て、清宮に着けられた新しい首輪≠フせいだ。
 首輪を象ったようにつけられた、首の周りをぐるりと一周する赤と紫。どう見たって他人から付けられたと分かるその鬱血痕は、俺への執着心を一瞬で伝えられるだけの狂気を放っている。
 その相手がどこぞの平凡で冴えない奴だったなら、周りもここまで俺に敵意を込めた視線を向けたりはしないだろう。むしろ嘲笑の的だったに違いない。だがしかし、だ。その相手というのがあの清宮だからこそ、周りは俺を許せずにいるのだ。
 DomもSubもノーマルも、男も女も関係なく惹きつける、派手な容姿と頭脳と金。
 俺をクズだと蔑み、後ろ指差して笑っていた奴らが、今では笑う余裕さえ無くして嫉妬をダダ漏れさせている。ハッキリ言ってそんな視線は、俺を憂鬱にするどころか多大な優越感を与えていた。

「俺を馬鹿にした罰ってやつだ、バァカ」

 ひとりほくそ笑みながら、食堂でうどんをすする。そんな俺の目の前に、見覚えのない一人の女が荒々しく腰を下ろした。

「ねぇ、アンタでしょ? 清宮くんのお気に入りだって噂の相手」
「だったら何だよ、ブス」

 どうせまた嫌味を言いに来たんだろうと睨みつければ、相手は想像した通りの顔を見せた。

「ウザッ! お前に言われたくねーんだよこのブス男! いい気になってんなよ!? どうせお前も直ぐに捨てられるんだから!」

 女はテーブルを思いっきり叩いてその場を去った。なんだ、アイツ。俺がまたうどんをすすっていると、今度もまた、見覚えのない男が俺の前に座った。

「女の子は激しいねぇ〜」
「…誰だお前。嫌味言いに来たならいい加減にしろよ、殴んぞ」
「わぁお、君も気が強いね。清宮くんはソコを気に入ったのかな?」

 俺は箸を止めて男を見た。

「お前、清宮の相手か?」
「違うよ」

 予想はサラッと跳ね除けられた。

「俺も一応Domなんだけどさ、ほら、清宮くんって有名人だろ? そんな彼の今のパートナーがどんなのかちょっと知りたくてさ」
「今の…?」
「今の≠セよ。だって彼のパートナー、しょっちゅう変わるだろ? 相手がDomなのも珍しくないし。ただ今回は首輪を貰ってるって言うからどんなのか気になってさ」

 大学も違うのにわざわざ来たんだよ、と笑う男に苛立った。他の奴とは違って、この男には俺の存在がめちゃくちゃ軽いものに見えるらしい。

「おい、俺は清宮のパートナーじゃなくて恋人なんだよ」
「え、恋人ぉ?」
「そうだよ」
「でもさぁ、それ今までの子達もみんな言ってたよ? 恋人だなんて思うの、やめた方が良いと思うなぁ」
「はぁ…?」

 カチンときて箸を握り締める。

「俺が嘘ついてるって言うのかよ」
「いや、そうは言わないけどさぁ」
「じゃあなんだよ!」

 ドンッ、と机を叩くと目の前の男は両手の平を俺に向けた。

「まぁまぁ、そんな怒んないでよ。君の為を思って言ってるんだし」
「だから何がッ!」
「だって君、清宮くんの戦歴知ってる? それこそ百戦錬磨、遊ばれて捨てられた人間なんて腐る程いる。その殆どがみんな凄い美人だったよ。そんな美人にさえ本気にならない彼が、今回だけは本気だっていう証拠、どこにあんの?」
「な…」
「何だったら、清宮くんと関係を持ったことのある相手の写真見てみる? 俺も同じクラブ通ってたから、大体の奴らを知ってるよ」

 清宮の、今までの相手…? 俺の喉が引き攣った。

「あ、これこれ。コレはクラブのイベントで撮ったやつだけど、こん中だけでもコレとコレとコレと、あとコレと…」

 男が差し出したスマホに浮かぶ、派手な容姿の女と…男。俺とは真逆な世界を生きてそうなそいつらは、みな清宮にべったりとくっついて笑っている。

「あ、そうだこの子。この子が今まで一番長く相手してたんじゃないかな」

 何枚か見せた最後に男が出した写真は、綺麗で清楚な見た目をした、男のものだった。

「俺的にはこの子が清宮くんの本命だと思ってて、そのうち復縁するんじゃないかって噂も出てるんだよ」
「こいつが」
「そう、男にしとくのは勿体無いような美人でしょう?」

 俺も一回くらい相手してほしいなぁ、なんていう男を置いて立ち上がる。

「お前、これ片付けとけ」
「えっ、ちょ!?」

 まだ少しうどんが残ったお盆を男に押し付けると、俺はそのまま講義をすっ飛ばして大学を後にした。


 ◇


 久しぶりに見た自分の部屋は、何だか薄暗くて埃っぽい。あの写真の中の煌びやかな奴らにも、清宮にも、まったく似合わない世界。
 敷きっぱなしになっていた煎餅布団に躰をなげる。そこで大の字になると、漸くホッと息がつけた。やっぱり、俺にはこっちの世界がお似合いだ。

「あーあ、何だかなぁ」

 遊び人である清宮に、過去が無いなんて思ったことはない。むしろ沢山いるだろうことは容易に想像できた。そこに不快感を覚えたことなんて、今まで一度もなかった。
 だって、アイツが勝手に俺にくっついてきて、勝手にパートナーだと名乗って、恋人へ昇格させたんだ。そこに俺の意志はなかった。……はずだった。
 俺がいたって遊びに行けばいいし、相手にすればいい。ずっとそう思っていたのに、清宮が俺以外のDomやSubを相手にする姿を見た時、俺は初めて不快感を覚えた。
 あまり思い出したくないが、俺以外を相手にするな、俺だけを見ろと清宮に強要した事実がある。だけどそれだって、理由はイマイチわかっちゃいなかった。
 ただ漠然とした不安と不快を取り除きたくて言ったことだった。
 そうして今日、元清宮の相手だった奴らの顔を見た。……吐くかと思った。

 こいつらも俺と同じように、清宮のあの部屋に連れ込まれて、あの広いベッドの上に組み敷かれて、まるで獣のように躰を貪られたのだろうか。貪られたその後は、大事に大事に躰を洗ってもらったんだろうか。
 気怠い意識を浮上させたその時、一番最初に見る景色は、綺麗に保たれたあの真っ白な壁だったんだろうか。

「俺だけだって、言ったじゃねぇか…」

 自分では処理しきれない、ドロドロとした真っ黒な感情が、俺の奥底から吹き出した。



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2017/06/04



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