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神様の遊戯室:前



 学校から戻ると、一人暮らしのアパートには居るはずのない人間が、そこにいた。

「おかえり司波(しば)くん、もうご飯できてるよ」
「巫(かんなぎ)…?」
「今日は体育があったよね。汗かいただろうし、先にお風呂入っておいでよ」

 一人で住むには十分な広さのワンルーム。生活費を抑えるために使い込んだ狭くて古いキッチンに、朝起きた時のままになっているベッドの上の布団。
 その全てがいつもと変わらない装いでそこにあるのに、その中に一つだけ、あるはずのないものが紛れ込んでいる。
 俺、家間違えた?
 慌てて玄関を飛び出し、汚れてくすんだネームプレートを見に戻る。そこには、見慣れた汚い字で書かれた【司波】の文字。

「俺の…家だよな?」
「なに言ってるの、当たり前じゃない」

 俺の後を追ってきた巫が、当然のような顔をして言う。

「ほらほら、支度が進まないから早くお風呂入っておいで」

 ここが俺の家で間違いないのなら…どうしてお前がいるんだよ、巫。そう口に出せたらどれだけ良かっただろう。けれどその思いは言葉となることなく、俺の喉を滑り落ちていった。それは、紛れもない防衛本能だった。


 ◇


 巫の存在を知ったのは、高校に入学した二年前の春のこと。
 昨年の春に二年へと上がって同じクラスになり、漸く一年が経とうとするクラスメート。ただの、同級生。俺と巫の間にある関係はそんな程度のもの。
 クラスが同じだからといって、特別仲がいいだとか、よく話をするだとかそんなことは全くなくて、挨拶だって数えられる程度しかしたことがない。だけどそれは俺だけに限ったことではなくて、クラスの大半の奴らがそうだった。

 さらりと流れる癖のない髪、陶器のように滑らかな肌、瞬きをするだけで風が起きそうなほど長いまつ毛。それはどれも、新雪のように白かった。
 昔手にとった本の中で、極稀に色素を持たずに生まれる人がいると読んだことがあるが、実際に目にするのは初めてで、その美しさはまるで天使のようだと思った。けれど彼は、そんなふわりとした存在ではなかった。
 入学式を迎えたその二日後。腕ならしとでも言うように巫は、素行が悪いと有名だった上級生を三人病院送りにした。上級生が、巫のその容姿をからかい絡んだのが原因だった。
 大事になるかと思われたその事件は、だがしかし呆気ないほど何事もなかったかのように問題にならず消えていった。
 その事件を発端に、何度か巫は構内外問わず暴力事件を起こした。そのどの事件でも、相手が複数であったのに対し彼は一人。そして相手が病院送りになり、巫は無傷だった。
 事件は全て問題になることなく消えてゆき、その度に巫を敵視する輩と、異常なほどまで彼に心酔し崇める輩が現れた。それはやがて、生徒だけでなく教師にまで及んだ。

 俺が巫と同じクラスになった昨年の春、既に学級は崩壊していた。
 担任の永田は学校の中でも一位二位を争うほどの巫信者であり、実質クラスを支配しているのは教師でなく巫だった。
 巫を恐れる者は態とらしい笑みを貼り付け媚を売っていたし、心酔している者はまるで自分たちが巫の騎士であるかのように振る舞う。
 俺は、とにかく傍観を決め込んだ。俺が関わっていい世界ではないと思ったから。
 巫に対してあからさまな嫌悪を向けない限り、担任の永田は人あたりよく生徒の一人として接してくれた。元々クラスメートたちとは親しくもなく、当たり障りのない関係しか築いてこなかった。巫に反抗さえしなければ、困ることは何も無かったのだ。
 そうして完全に巫の住む世界と一線を引いて過ごしていたから、俺は…気付くのが遅れてしまった。この冬の終わり…巫を敵視する反対派がいつの間にか、ごっそりといなくなっていたことに。

「どうして、ウチにいるんだ? どうやって入った…?」

 入れと促された風呂は、既に湯が張ってあった。
 恐怖でガタガタと震えだしそうな躰と思考をなだめる為に、俺は言われた通りに風呂に入る。もしかしたら、風呂から出たらいなくなっているかもしれない。そんな期待をしていたのも事実だった。

 本来、この部屋にいるはずのない男、巫。彼に『付き合って欲しい』と告白を受けたのは、つい先日のことだった。
 とにかく関わらずにいようと決めた一年生の春。それから昨年同じクラスになっても、クラスが、担任がおかしくなっていても、俺は一切巫の話題には触れず、彼をいないものとして扱い過ごしてきた。だから、巫が俺に話しかけない限り会話もなければ、挨拶さえもしなかった。
 それなのに、そんな相手が俺を好きだと言った。意味が分からなかった。正直、ゾッとした。
 告白を受けたときの、巫とふたりきりという状況は不幸中の幸いだったかもしれない。もしもその場に信者がいたのなら…俺は、何をされるか分からない恐怖に断ることができなかったに違いない。
 いくら色々な噂があるこの男でも、好意を受け入れられなかったからといって相手を病院送りにするはずはないだろう…そう、思った。だから、ちゃんと断ったのだ。

「好きじゃないから無理だ、って。俺、言ったよな?」

 好きだと告げた時にこっちを向いていた、あの燃えるように赤い瞳を思い出して鳥肌がたった。
 慌てて風呂から飛び出すと、そこには笑みを浮かべた巫が立っていた。

「ひっ!?」
「出てくるのが遅いから、心配しちゃった」

 ふわりと表情を崩し俺を見る巫の目元が、瞳の色と同じように赤く染まる。

「早く拭いた方がいいよ、風邪をひいちゃう」

 驚きと恐怖に固まる俺に巫がタオルをかけたところで、漸く全裸でコイツの前に立っていたのだと気付いた。

「わっ、わ! おまっ、出てけよ!」

 俺の躰を拭こうとした巫を、無理矢理に脱衣所の中から追い出し蹲る。

「怖い怖い怖い、どうしよう、どうすれば…」

 幾ら考えても、アイツがここにいる理由も未だに分からぬまま…ただただ時間だけが過ぎていった。




「じゃあ、また明日ね、司波くん」

 巫は、自分が作った料理を俺に食わせるとあっさりとアパートから出ていった。アイツが帰ってくれたことに死ぬほどホッとして、脱力する。
 どうして部屋に入れたのか、なんて…聞く勇気もなかった。ただ巫がなにをしでかすのかが怖くて、ひたすら帰ってくれることだけを願って時間が過ぎた。
 風呂も入って飯も食って、いつもなら学校から持って帰って来た疲れを癒しているはずなのに、今日はいつもよりずっと躰が重い。

「疲れた…」

 ストレスによる心労は酷く、俺は夢をみることなく落ちるようにして眠りについた。

 眩しさに目覚めると、いつもと変わりない朝が広がっていた。昨日のことが夢だったかのようだ。
 目覚まし時計を見れば、針は起きる時間を一時間も過ぎていた。寝坊した時間を取り戻すため、急いで制服に着替える。弁当を作っている時間は無いから、今日は買いだめしておいた菓子パンでも持っていこう。
 傷まないようにストックしてある冷蔵庫を開けて、俺は昨夜のことが夢なんかじゃなかったことを思い知らされる。

【お弁当詰めておいたよ、明日学校で食べてね】

 張り紙をされた、愛用の弁当箱。
 そっと冷蔵庫のドアを閉めた。これは、見なかったことにしよう。金は勿体無いけど、昼は久しぶりに購買にでも行こう。万が一巫に何か言われても、気付かなかったの一言ですむ。それで、おしまい。そう思わないと心に折り合いがつかなかった。


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