きみがため 中編
「ヤス、今日も泊まっていくだろ?」
聞かれて時計を見れば、すでに日付が変わった後だった。見た目や体格のこともあり、制服さえ脱いでしまえば補導されることはあまりないが、彰仁に抱き潰された躰は酷く重い。
「ああ……、そうする」
俺の答えに、彰仁は満足そうに頷いた。
学校が終わると、五人で帰路につく。そのまま一人暮らしをしている彰仁のマンションに直行し、みんなでゲームをしたり映画を観たりと、だらだらと過ごすのがいつもの流れだ。
彰仁は部屋に人を泊めることを嫌うので、時間がくるとみんなで帰る。だが、その中でただ一人だけ……帰ったふりをしてもう一度、彰仁の部屋に戻らされるようになったのは、半年ほど前からのことだ。
両親が離婚した後、母親の実家に世話になることになった俺は、しかし祖母との折り合いがあまり良くなかった。
面と向かって『もっと可愛い孫が欲しかった』と口に出す人だ、仲良くできるはずもなかったのだが。
そうして激しく雨が降る夜のこと。ついに祖母と大きな衝突を起こし、祖父も、母さえも庇ってくれないその場の空気に耐えきれず、俺は傘も持たずに家を飛び出した。
初夏とはいえ、夜の雨は冷たい。
行く場所もなく、ずぶ濡れになりながらあてもなく夜道を彷徨い、無意識に足が向かった場所は……。
『ヤス……!?』
誰も家には泊めない。そう聞いていたのに、どうしてか向かったのは彰仁のマンションだった。……いや、違う。どうしてか、なんて大嘘だ。
寂しくて悲しくて、心が凍えそうになった時。一番に頭に浮かんだのは彰仁だった。初めて会った時から優しかった彰仁に、慰められたい。優しい声をかけられたい。……今思えば、最初から俺は彰仁に惚れていたんだ。
『悪い、迷惑だって分かってんだけど……いくあてが、なくて……』
『話しは後。すぐに熱い風呂に入って、体を温めて』
玄関先に立つ濡れ鼠な俺を、彰仁は迷いなく、力強く部屋の中へ引き込んだ。
彰仁は、風呂から出てきた俺の短い髪をドライヤーで乾かすと言う。
『ドライヤーなんていらねぇよ、髪短いんだから』
『関係ない。冷えて風邪ひいたらどうするんだ』
腕を引かれ、ソファに座る彰仁の足の間に腰を下ろす。すぐに乾かし始めた、髪や、時折肌に触れる彰仁のその指が温かくて。
『どうせ、帰りにまた雨で湿気るのに』
『馬鹿だな、こんな状態のヤスを帰す訳ないだろ? 今夜はここに泊まればいい』
『え? でも……』
他人を泊めるのは、嫌いだって……。
『アイツら、一回でも泊めたら一生入り浸るだろ?』
ニヤ、と悪い顔で笑う彰仁に、思わず吹き出した。
『ははっ! 確かに、ミツの私物が部屋に溢れそうだよな』
『だろ? ……俺は、ヤスにはいつでも泊まっていって欲しかったんだよ』
笑う俺の顔を、覗き込むその瞳があまりに優しくて。
『ヤス』
『わ、悪い……泣くつもりなんて、なかったのに』
ぽろぽろと、涙が溢れる。
か弱い女の子でもあるまいのに、身内と少し揉めたくらいで、泣くなんて。
『心が傷ついて辛いのに、男も女もないだろ? 泣いて良いんだよ。もっと俺を頼ってよ、ヤス』
『アキ……』
見上げた彰仁の顔は、予想以上に近くにあって。
『ぁ……』
互いの唇がゆっくりと重なる。それを何度か繰り返すうちに、冷たかった俺の唇が彰仁の熱に染まっていく。
そうして重なるものは、やがて唇だけにとどまらなくなった。
『ぁ、アキ……』
『ヤス』
触れるのをやめてくれ、などと言えるはずがなかった。出会ってからずっと、ずっと心の奥にしまい込んできた想いを、ここで隠せるはずがなかったのだ。
己の腕を彰仁の首に回す。そんな俺に微笑む彰仁を、心の底から好きだと思った。離れたくないと思った。
ただ、胸は酷く痛んだ。
俺は彰仁の優しさに付け込んでいるのだ。
『彰仁……』
あの日から、今日までの半年間。数え切れないほど彰仁に抱かれてきた。だがキスをしたのも、向き合って抱かれたのも……あの日の、ただ一度きりだった。
キスをするなど、向き合って抱かれるなど、恐ろしくてできなかった。だって、俺は何も言われていないのだ。
なぜ、あの日のまま今も俺を抱くのか。彰仁に、何も……言われていないのだ。
俺たちは、もう友達ではなくなってしまった。だとしたら、これは一体どういう関係なんだろうか……?
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