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続・となりのクラスのおひめさま



 放課後の教室の中で響く時計の音。
 普段なら簡単に掻き消されるそれが、今は驚くほど大きく聞こえてくる。いつも遅くまでダラダラと残っているクラスメートが、今日だけはまるで逃げるように帰ってしまったからだ。

(俺だって逃げたいよ)

 教室の中に取り残された、俺と、菊川零二。
 頼んでもいないのに毎日隣のクラスから迎えに来る榛原に、いつの間にか菊川まで加わった。今日はそんな榛原が担任に呼び出されているため、否応無しに菊川と二人でアイツを待たなければならなくなったのだ。
 ふたりの間に会話は無く、気まずい空気だけが流れる。

 浮世離れした存在である、榛原爽志と菊川零二。
 そんなふたりに纏わり付かれ特別扱いを受ける俺の姿は、どうやらあまりに異様な光景だったようで。桜庭の時のように女子は騒ぐことはなく、寧ろ女子も男子も、なるべく関わらないよう努めているみたいだった。
 おかげで、以前よりも孤立具合が酷くなった。

 同じく榛原を待つ菊川が、窓際に立ってジッとこっちを見ている。
 俺は見られていると気付きながらも、ただひたすら自分の席に座り俯いた。見えるのは机の木目ばかり。

(何なんだよ、コイツら。何で菊川まで来るようになったんだよ。大体、何で俺が榛原を待たなきゃいけないんだよ)

「何でかな?」

 驚いて、ついに菊川を見てしまった。

「え…」

 心の声が、聞こえちまったのか!?
 まさかそんなはずは無いのに、馬鹿馬鹿しいことを考えて思考が止まった。

「何で爽志は、君を構うんだろう」

 なんだ、やっぱり心が読めるわけじゃなかったのか。ホッとしながらも、知られたくない事実にたどり着いてしまいそうで思わず体が揺れた。
 榛原が俺に興味を持ったのは、俺が、桜庭に嫌がらせをしていたと知っているからだ。そのネタで俺を脅し、オモチャにして遊んでいるのだ。
 もしもそれを菊川が知ったら、俺は一体どうなるのだろうか…。

「爽志って、昔から何に対しても無関心なんだ」
「は、はぁ…」
「陽希だけはずっと側に置いていたから、てっきり気に入ってるんだと思ってたけど」

 時計の秒針が、カチカチと大きな音を立てて回る。

「陽希は可愛かった。見た目を裏切るしたたかさも、少し狡い所も、媚を売る目つきや態度も、全部可愛いかった。だから俺もそれなりに興味を持てたけど…君にはまだ興味を持てない。可愛さも無いし、特別なにかありそうでもない。何で爽志は君を構うのかな?」

 カチンときた。一体いつ俺が、お前に興味を持ってくれと頼んだ?

「知らねぇよッ!」

 バンッ、と勢いよく机を叩いて立ち上がる。

「誰がお前に興味持ってくれって頼んだ!? 頼んでねぇよ! 大体、そんなに桜庭が好きなら桜庭のところに行けば良いじゃねぇか! お前らにべったりくっつかれて、俺だってクソ迷惑なんだよ!」

 勢い余って仕出かすのは、これで何度目だろうか。
 榛原と同じように、人気が高い菊川。非公式ではあるが、ファンクラブだって存在するから信望者は多いだろう。そんな相手に喧嘩を売ればどうなるか、その結果は火を見るより明らかだ。
 きっと怒っているであろう相手に恐る恐る視線を向け直せば、目の前の男は予想を裏切る表情を浮かべ、何か考えるように顎に手を当てて俺をジッと見ていた。

「な…なんだよ」
「俺達が側にいると、迷惑なの?」
「は?」
「嬉しくないの? 俺と爽志がいつも側にいること」

 なに言ってんだ、こいつ。思わず眉間に皺が寄る。

「当たり前だろ?」
「送り迎えをしたり、荷物を持ってあげたりすることも?」
「女じゃねぇんだ、全部自分でできるよ!」

 菊川が少し驚いた顔をした。

「だって、陽希は全部喜んだよ?」
「あんな男女と一緒にすんなッ!」

 今度こそ菊川はハッキリと分かるほど瞠目した。そのまま何を思ったのか突然近付いてきて、俺の顔へと手を伸ばす。

「何だよっ!」

 伸びてきた、綺麗な形の爪が乗った手を振り払う。パシンと乾いた音を立てて弾かれた菊川の手。それを一瞬だけ不思議そうに見てから、菊川が俺に向かって…。
 俺の心臓が跳ね上がった。

 ――ドクンッ、ドクンッ

 時計の音を掻き消す心臓の音。菊川の表情が、変化していく。
 じわじわと感情が湧いてくるのを表すかのように、ゆっくり、ゆっくり、菊川の口角が上がっていく。いつも誰かに見せている爽やかな笑みなんかじゃない、もっと、ずっと嫌な感じの…。

「なに騒いでんだよ」
「ッ、は…いばら…」

 ヒッ、と声を上げそうになったその時、教室の入口から声が降る。

「お前らの声、廊下まで響いてたぞ」
「爽志、早かったね」
「ひぃ!?」

 言うが早いか、菊川が突然俺を抱き寄せ腰を抱いた。結局俺は変な声を上げてしまった。

「…零二」

 榛原の目が吊り上がる。反対に菊川はもっと笑みを深めた。

「爽志がどうしてこの子に興味を持ったか、少し分かった気がする。見てよこの表情、態度、凄く新鮮だね」
「別に分からなくていい。……手ぇ、離せよ」
「どうして?」

 菊川が更に強く腰を抱き寄せる。榛原はその顔に初めて見る表情を浮かべて近付いてきた。

「ふざけるなよ零二、それは俺が見つけたんだ」
「早さなんて関係ない」
「あるに決まってんだろ」
「ひぐンぅ!?」

 叫ぶ暇もなかった。
 未だ嘗て無いほど近付いた榛原の顔は、あっと言う間にゼロ距離へ。ぶちゅっと合わさったのは、きっと俺の唇と榛原の唇。頬には手も添えられていたかもしれないが、何もかもがもう事後だ。
 暫く呆けて、口の中にヌルッとしたものが入ってきた所でやっと俺は榛原を突き飛ばした。が、何故か俺がよろけて菊川に後ろから抱きとめられる。

「なっ、なな、なっ…」
「爽志、力尽くは紳士的じゃない」
「紳士なんて目指してないからねぇ、俺は。何事も、先に意識されたモン勝ち。なぁ、そうだろ、俊平ちゃん?」
「嫌われるのが先なんじゃない?」

 ぎゅ、と菊川が俺を強く抱き直した。それは菊川の中で大きな変化が起きた瞬間だった。けれど俺はそれに気づかない。榛原が、自身の唇をぺろりと舐めた姿を見ていたからだ。
 全くもってバカだけど、俺は榛原に今キスされた事も忘れて、そんな榛原に見蕩れてしまっていた。あまりにそれが色っぽくて、様になっていたから。
 そうして俺は、面倒事が増えたことをこの時察知し損ねたのだ。


 翌日から、生徒たちは慣れ始めた光景をもう一度上書きしなければならなくなった。なぜなら…

「離れろよ零二、こいつの隣には俺が居ればそれでいい」
「ちょっと傲慢なんじゃない? 爽志だけじゃ役不足だと思う」

 今まであらゆるものを共有し、常に時間を共にしていたはずの光のナイトと闇のナイト。そんな彼らが今、誰の目を引くこともない平凡極まる、寧ろ見劣りが酷い隣のクラスのお姫様をかけて、息をするように喧嘩を繰り広げることになるからだ。


END


2017/04/21


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