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「ひっ、う……ぁ……」

 ソファに座った美人の足の間に座らされ、背後からうなじに唇と舌を這わされる。ちゅ、ぢゅ……ちゅ、と水気を含んだ音に耳から犯されていくようでいたたまれない。
 別のアルファのマーキングを消すことは、いくら力のあるアルファといえども簡単なことではないようだった。
 三ヶ月ほどの間、週に二回に分けて少しずつ新しいフェロモンを体に馴染ませていかないと、急激な変化でオメガの体が壊れてしまうのだという。

「はっ、ぁ、あっ」

 風呂以外では外すことのなかった首輪の下の肌を晒し吸われ、甘噛みされるたびに全身を微量の電気が流れていく。ぞわぞわとしたその感覚は間違いなく快楽だった。
 ぶるりと震えた体を、顔のイメージからは想像できない思いの外男らしく筋肉のついた体がしっかりと押さえ込む。

「あっ、ひ……」
「大丈夫、怖くない」

 耳に直接落とされる声は穏やかで優しく、愛や恋などというものからほど遠い契約で結ばれた番となるはずなのに、そこに甘さを感じてしまうのはどうしてだろうか。

「ぅ、あ、」
「今日はここまでにしておこうか」

 ちゅっ、と〆とばかりにうなじを吸い上げた美人はカラフルに痕を残された首にチョーカーをつけ直すと、長い指で丈の髪をくしゃりと混ぜた。
 かれこれこの上書き作業が始まって一ヶ月ほどが経とうとしているが、不遜な態度であった初対面が嘘のように初回から美人は優しかった。
 まるで飼い犬のようだった首輪も、美人のフェロモンでマーキングをしっかりするからと、デザイン性の優れたチョーカーに変えてくれた。デザインの良いものは非常に高価で、なかなかオメガの収入では手が出しにくい。
 丈にとってアルファは自分を好き勝手に蹂躙し、本来人が持つべき全ての権利を奪う相手だと思っていたのに、まるで肩透かしを食らったようで戸惑う。

「ッ、」

 そして美人は数回目の上書き作業が終わった後から、唇にもキスを落とすようになった。それはただ触れるだけのものだったが、ちゅく……と吸い上げられる唇への刺激は経験値皆無の丈には十分に過激なものだった。

「はっ、まだ慣れないんだ?」

 されるたびに真っ赤に顔を染める丈を見ては笑う。

「こんなの、やる必要ないだろ」
「そんなことはないよ、フェロモンの馴染みが早くなる」

 経験の無い丈にはそれが嘘なのか本当なのかも分からない。へえ、と適当に返事をすると美人はまた笑った。

「そんなことより、あとどのくらいで終わりそうなの、コレ」

 美人の足の間から立ち上がり乱れたシャツを直すと、それをジッと見つめていた美人がそうだね、と思案する。

「思いの外相性が良くてね、想像以上に馴染みが早いよ。あと一週間もあればできるんじゃないかな。病院へは行った?」
「明日行く予定」
「そう。一緒に行こうか? 俺はキミのパートナーだしね」

 パートナーという言葉に、丈が再び真っ赤に顔を染め上げる。

「形だけだろ! 一人で行ける!」
「なんだ、遠慮しなくていいのに」
「遠慮なんてしてねぇ!」
「ざんねーん」

 丈が上着を手にすると、美人は当たり前のように車のキーを手に取った。
 最初に連れ込まれたカフェバーのVIP席。毎回ここでフェロモンの交換を行いそれが終わると、律儀にも家まで送り届けてくれるのだ。






「へっ、ほ、ほんとですか!?」

 目の前で喜びと驚きをかき混ぜたような顔で主治医が言う。

「いやぁ、本当に凄い。あれだけ酷い傷が、しかもこんなに短期間でほぼ消えるだなんて信じられないよ」
「傷、消えてるんですか……」
「ほぼほぼね! これなら来月にでもヒートが来るんじゃないかな。薬を使わずに自然と来させたいから、来週からは毎週通ってくれる?」
「わ、かりま、した」
「良かったねぇ!」

 先生は本当に嬉しそうに微笑んだ。そりゃあそうだ。愛し合った番との失敗痕ならまだしも、望まぬ繋がりを持たれそうになった結果の傷だ、消したくないわけがないと思うだろう。
 だが丈は純粋に喜んでいられなかった。

「あの、この傷をつけた人は……」
「これだけ消えかかっていると、少なからず異変は感じているかもしれないね。その人とは今でも会っているの?」
「……いいえ、もう随分と会っていません」
「だとしても、なるべく暫くは一人で行動しないことをおすすめするよ。アルファの独占欲と執着は、想像を超えるものがあるからね」

 今日はひとりで来たのかな? そう心配そうにする先生には、タクシーで帰るから大丈夫だと伝えた。

 質素なアパートに戻り、一人考える。今日の先生の話は、あまり楽観視してはいけないものだと思った。
 アルファの独占欲と執着の凄さは己自身が一番身に染みて分かっている。そうでなければ、あんな恐ろしい真似を涼しい顔をしてやれるはずがない。
 陰で信じられないような計画を立てて襲っておいて、その後も優しい兄の仮面をずっとずっと被ってきたあの男のことだ。今もまた、薄い繋がりが消えかけていることに何かを企んでいるかもしれない。
 恐怖でぶるりと体を震わせるのと同時に、スマホに一件の通知が届いた。それは見知らぬアカウントからのメッセージ。

『急にごめんね、美人です。訳あってアカウントを変えたんだ。今日の病院での診察はどうだった? これから丈の部屋に訪ねてもいいかな。病院での話を詳しく聞きたいんだ』

 世の中、何があるか分からない。ただでさえ過去の事件でアルファが苦手になって、世の中のアルファを嫌ってきたのに。そもそもがヘイトオメガを掲げるような野蛮な奴らを束ねてて、しかも丈の事情を利用して契約を持ちかけてくるようなやつ相手なのに。

「はぁ……」

 思わずほっと息が漏れた。美人の名前を見た途端に、安堵したのだ。




 ドアスコープも覗かずに扉を開けたのがいけなかった。

「丈ったら酷いじゃないか。僕に相談もなしに繋がりを消すだなんて」
「ひぃっ!」

 薄暗い玄関先にゆらりと立つのは、過去の亡霊。あまりの恐怖に廊下に尻餅をつくと、それを嘲笑うように男が丈を見下ろした。

「怒ってるの? 拗ねてるの? 何年も丈を放っておいて、妻を娶ったりしたから。でも仕方ないだろう? 父さんや母さんは僕らのことに理解がないし、血の繋がりを気にする。でも安心して、やっと妻のお腹に子供ができたんだ。これで勤めは果たしたし、今後は丈にずっと構ってあげられるからね?」

 この人は、何を言っているんだ……? にこにこと浮かべる笑みが怖い。目の前の男は、丈の意思や感情などが全く無関係の世界で生きている。

「僕の気を引きたかったんだろう? だからそんな別のアルファの匂いをつけてるんだろう?」

 ジリジリと近づいてくる男に全身が恐怖で固まる。

「ひっ、ぃ、や……」
「ほら、丈、機嫌をなおしてよ。今度こそ僕がしっかり咬んであげるから」

 必死に逃げようと這いずる丈の頭上から、何かの液体をぶち撒ける。

「ひぃっ!?」

 液体のニオイが鼻の奥に届いたその瞬間ドクンと心臓が跳ねた。

「う゛ぐっ!?」
「大丈夫、全部僕がなんとかしてあげる」

 不自然なほどバクバクと脈打つ心臓と、全力疾走した後のように早くなる呼吸。全身が燃えるように熱を持ち、視界は熱い吐息が溢れるたびに潤んで、全身から抑え切れないフェロモンが放出される。……これは、ヒートだ。
 丈は朦朧とする意識の中で、自分が兄に再び強制的に発情を誘発されたのだと理解した。

「ぃや……ひやぁ……!」

 あの日、なんとか番になることを阻止したのに。せっかく醜い傷も、長い間苦しんだ繋がりも、全て消せる日が近づいていたのに。
 今度こそ本当に兄の番にされてしまう。自分の意思も感情も何もかもを無視されて、心も体も延々と蹂躙され尽くすのか。
 廊下の上にうつ伏せのまま抑え込まれ、体の上に乗り上げられた。アルファとしては華奢である丈の兄も、しかしオメガのパワーでは敵わない。力の差に身動きは取れず、恐怖と混乱で呼吸さえもままならない。

「愛しているよ、丈。僕の愛の全てを、いまお前にあげる」

 生暖かい息がうなじにかかり、肌の上を湿った手が這いずり回る。ズボンの隙間から差し込まれた指先が明確に窄まりへとたどり着いて……。

「う゛ぉ゛え゛ぇええっ!!」

 いよいよ蹂躙されると思ったその時、丈の上から兄の体が転げ落ちた。喉を掻きむしりながらそのまま床でのたうち回っている。

「……ッ、え、……な、なに……」

 急に苦しみ悶える姿に驚愕していると、開け放たれたままだった玄関の外に人影が現れた。

「馬鹿だよねぇ」

 そこに立っていたのは、この世から全ての暗闇をかき集めたみたいな神秘的な美しさを持つ男。

「ねえ丈、どうしたい?」

 どうしたいって、なんだろう。

「今ならまだその男と番うことは可能だよ」
「はっ、ぅ……な、」
「何が起きてるのかって? 普通はね、自分より上位のアルファフェロモンが染み付いた子に手なんて出さないの。ああなるからね」

 未だ毒を盛られたように苦しみもがきなが、しかしその血走った目と伸ばされた手は丈から離されてはいなかった。

「彼はこうなると分かっていても手を出した。それほどまでに丈を愛してるんだろうね」
「……あい」
「あれだけの愛を向けられるオメガは幸せかもね。ねえ、どうする? 今ならまだ契約、白紙にしてあげてもいいよ」

 自分への愛など一切持たない男との番契約よりも、自分の全てを蹂躙する愛の方が幸せになれると言うのか。
 無理矢理押さえつけて、好きなように犯して、何もかもを奪って、世界からも隔離して。

「……い、らない」

 無理矢理起こされたヒートで全身が熱いし痛みすら感じる。本能は今すぐにでも誰かに犯されたいと願っている。それこそ、呻きながら手を伸ばすあの男にさえ。
 でも、自分には意思がある。ただただ腰を振るだけの獣ではないのだ。

「あんな愛なら……いらないっ、欲しくないっ!」

 苦しくて止められない涙でぐちゃぐちゃになった顔で叫ぶと、滲んだ世界で美人が笑う。

「丈、おいで。俺が解放してあげる」

 自分に向けて広げられた腕の中に、藁にも縋る想いで飛びついた。

「じょお゛ッ!!」

 兄から出た声は、血反吐を吐くような声だった。

「これが誰のものか、よく見ておきな」

 美人に抱きついていた体を反転させられ兄と向き合わされる。そのまますとんとズボンを下ろされて、下着の中に手を差し込まれた。

「あっ、」

 太ももを、透明な液が伝い落ちる。玄関の外には、美人以外の人間の気配が集まりつつあった。これだけ遅い時間にドアを開けて騒いでいれば当たり前だろう。
 だがいま熱に浮かされた丈の頭の中を満たしているのは、ただただ目の前の男から……ようやく解放されるという安堵だけだった。


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