終
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美人が丈を見つけたのは、バーで出会うよりほんの少し前のことだ。
今働いているバーとは別の店の前で、制服を身に纏ったまま丈はアルファの男と言い合いになっていた。どうやら言い分は丈の方が正しいようだったが、この世はアルファに有利にできている。特に相手がオメガならば尚更だ。
無駄なことをしているなと、道端の石ころ程度の感覚でその場を通り過ぎようとした時だった。
アルファに向けて投げられた怒りの声だったのに、まるで澄んだ川の水のようなそれが美人の足を止めた。思わず振り返り声の持ち主を見れば、立場の強い相手に恐れを抱きながらも、しっかりと相手を睨みつける強い意志の籠った目をした青年がそこにいた。
ああ、彼だ。美人はそう思った。彼こそが、今まで自分が求め続けてきた人なのだと。
幼い頃から嫌というほどオメガを充てがわれ、差し向けられたオメガもまだ精通すら迎えていない美人の体に跨り腰を振ってくる。なんとも浅ましい姿にオメガという生き物が心底穢らわしく思えて、気付けばベータばかりを相手にする所謂ヘイトオメガと呼ばれるアルファになっていた。
しかしベータであっても浅ましさは変わらず、男だと妊娠しない程度の違いしか感じられなかった。色のない退屈な世界で過ごす美人にとって、この日見つけた丈の存在はあまりに眩しかった。
すぐに丈の身元を調べさせ、彼の生い立ちともう一人のアルファの存在を知る。すぐにでも彼に自分の想いをぶつけて手に入れたいと思っていたけれど、その生い立ちを知りやり方を変えることにした。
自分の存在をインプットさせるために、あまり良くない印象の方が今の丈には取り入りやすいと、少し乱暴な出会いを作り直した。
油断の生まれる、でも忘れることの無い程度の時間を空けて再度会いに行く。ほんの少しもお前になど興味はないと、好きになることはないと見せかけて、愛されることに怯える彼の疑心を安堵に塗り替えた。
「ミトくん久しぶりじゃん!」
「ミトくんがいるー!!」
「やった、ラッキー!」
賑やかないつもの取り巻きたちが現れ、美人の周りを囲む。
「そういえばミトくん、ついに番ができたんだって!?」
「まあね」
「えー!? ミトくん恋人できちゃったのぉ!?」
「恋人どころか番だっつの! 俺なんて、そのオメガ見たことあるしね」
「ぇ゛えーーー!? 相手オメガなのぉ!?」
なんでオメガなんかと!? と騒ぐ周りに表情を変えることなく、グラスの中身を空ける。目敏く見ていたメンバーのひとりが、そのグラスを引くと美人の好みの酒を新しく持ってきた。
「番ってことはさ、籍も入れるの!?」
「来月ね」
「うえ゛ーーーー!! いやだぁぁあ!」
「でもミトくんが旦那になるとかヤバいね!」
「毎日『愛してるよ』とか囁かれちゃうわけ?」
ひゃあ〜! と頬を赤らめて叫ぶ彼らに美人は薄らと笑う。
言わないよ、そんなこと絶対に。
言うわけがない。言えるはずもない。だって彼は、誰よりも【愛】がタブーなのだから。
この先どうなるかは分からないが、きっと今の彼には愛をどれだけ囁いても響かない。むしろ恐れて逃げていってしまうだろう。だから美人はやり方を変えた。自分の中で暴れる激情を抑え込み、全てを無いものとした。
アルファを嫌いながらも、どこか性だけで人を判断してはいけないと彼の中の善が常に葛藤している。優しくて人情深く意思の強い彼の内面は、そうして一部分だけが異様に脆かった。
ただ心を殺すことで、彼が手に入るのならば。
そんな程度で、彼を手に入れられるのならば。
「俺は、愛なんていらない」
己の心など、いくらでも隠し続けてみせる。
END
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