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『男同士の恋愛が知りたきゃ俺が教えてやる』
そう言われたあの日。結局二丁目へは調査へ行かないことを約束させられ、そのまま寝かしつけられた。
違和感を残したまま、それでも生活の何が変わるでもなく同じ毎日が繰り返されている。ただ…。
「うん、大分良くなったね。表情に厚みと深みが出てきたよ」
「あ、有難うございます…」
どうしてか監督からは褒められることが多くなって来て、その分撮影もスムーズに進んでいる。
桐嶋さんは、もしかしたら男性が好きなのかもしれない。俺に男同士の恋愛を教えることが出来る程に、沢山の恋をしてきたのだろうか…もしくは、今現在も?
そう思う程に胸が痛み、苦しくなる。けど、苦しくなる度に撮影はスムーズになって行く矛盾。
塩田監督との誤解が解ける前にも感じた、この押し潰されそうな苦しさと痛みは何なんだろう。演技に深みが出てきたと言われる事に比例して、俺の精神は疲弊し、擦り切れていった。
◇
「おい、お前大丈夫かよ」
滅多と自分からは近づいて来ないナオキさんに声をかけられるが、なんと言ったら良いのか分からなかった。大丈夫と言えば大丈夫だが、大丈夫じゃないと言えば大丈夫じゃない。そんな感じ。
「テイクが少ないのは良いけど、お前、最近変だよ。玲一さんも心配してる」
桐嶋さんの名前が出て、漸く俺はナオキさんへと振り向いた。
「桐嶋さん…」
「あの人も忙しいんだから、気苦労なんてかけてんじゃねぇよ」
「す、すいません」
スッと去っていくナオキさんの背中を見送っていると、その先には監督と話しをする桐嶋さんの姿があった。
少しだけ時間を空けて、桐嶋さんがナオキさんの元に戻り何か耳打ちする。困った様に、でも嬉しそうにナオキさんが笑う。
「目の保養よねぇ〜」
「ほんと、あの二人ならゲイでも嫌悪感湧かないわよね」
「寧ろ見せつけて欲しいかも!」
「えーー! もしかして腐女子!?」
「やだぁ〜」
キャラキャラと賑やかに笑う女性スタッフの声を聞いて、自然と呼吸が浅くなる。
「でも実際怪しくない?」
「あ〜、それってスタッフの間じゃ昔から言われてることだもんね」
止めて、聞きたくない。
「桐嶋さん敏腕だから、新人の教育係に回されちゃうんでしょ?」
「でもその分プライベートで燃え上がってるんじゃない? きゃあ」
「ううん、ほら、例の新人の子を居候させてるって話だからさ……あ、」
立ち上がった拍子にパイプ椅子が倒れた。スタッフの一人と目が合う。そうして思わず口が開いた瞬間、
「ナナ」
俺たちの間に割り込むように桐嶋さんが現れ、スタッフの子達が息を呑む。間近で見た彼の美しさに圧倒でもされたのだろう。
「桐嶋さん」
「今日の撮影はこれで終わりになった。帰るぞ」
桐嶋さんが女性スタッフに軽く会釈すると、彼女たちの顔は一斉に赤く染まった。
「さっきから難しい顔してどうした?」
桐嶋さんが作った夕食がテーブルに並ぶ。どれも俺の好物ばかりだ。
最近はナオキさんに付きっ切りだったから、少し気を使ってくれたのかもしれない。それでもまだ、気分は優れない。
「どうして今日、早めに打ち切られたんですか?」
本当なら夜までの予定だった撮影。なのに、それが急に昼にはお開きになった。
幾ら順調に撮影が進んでいるとはいえ、今後何があるのか分からないんだから早めに撮っておくことは鉄則だ。
「ああ、あれはナオキの疲労が少し酷くてな。監督に相談したんだ」
「へぇ、」
また、ナオキさん。
「お前も最近顔色が良くない。芝居は順調だが、何か有ったなら」
ピリリリリリッ
ピリリリリリッ
「悪い、ちょっと待ってくれ……はい、ナオキか。どうした? ああ、ああそれなら俺が、」
ナオキ
ナオキ
ナオキ
「じゃあ今から行くから待ってろ」
貴方は今、
「悪い、ナナ。ちょっと出てくる。直ぐに戻るから後でまた話そう」
俺の心配をしていたんじゃ無いんですか?
「…も、良いです」
「ナナ?」
痛い。胸がズキズキする。
「“俺が教えてやる”って、こういう事だったんですか…?」
ナオキさんが大事だって、見せつけることだったの?
「ナナ、」
「今は演技も順調に出来てます。二丁目にも行かないし、桐嶋さんに教えて貰わなくても、もう分かりましたから大丈夫です」
俺を引き止めようとする桐嶋さんの手をすり抜ける。
「ご飯、先に頂いておきますね」
そう言いながらも足は自室に向かう。部屋のドアに鍵をかけ、ドアに凭れ掛かり座り込んだ。
『ナナ……直ぐに戻るから』
桐嶋さんの声がドア越しに聞こえ、そしてやがて玄関の開閉音が聞こえた。ナオキさんの所へ行ってしまったのだろう。
ズキ
ズキ
ズキ
“男が男を好きになるってどんな感じだろう?”
「痛いよ…痛くて…苦しぃ…」
貴方が別の誰かを見てると思うたびに、心はただ痛くて、苦しくて、切ない。泣き出してしまいたくなる。これじゃあ、少女漫画の主人公と何も変わらないじゃないか。
“何か違うものが有ると思うんです”
「違わないよ…何も、違わない」
普通の恋と一緒だよ、桐嶋さん。
最悪だよ。どうしてこうなったんだよ。
俺は、俺は…
多分、桐嶋さんの事が好きなんだ…
俺が初めて、恋を自覚した瞬間だった。
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