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「うそっ! 凄い!! 桐嶋さん凄い!!」
きゃあーーー!! と俺が子供みたいに事務所を走り回っている理由はただ一つ。
「塩田監督の映画だなんて、凄いです!」
「脇役だけどな」
「でも、ラストまで必要な役ですよ!?」
塩田裕也(32)は、若者たちの間でも超人気の映画監督だ。
製作される映画は外れなく面白く、尽く大ヒットするのは勿論だったが人気の理由はそれだけではない。
彼は誰もが見惚れる男前であり、所謂イケメンと言うやつだった。
雑誌などで顔出ししてからと言うもの、塩田監督の映画に出た役者よりも人気が上がると言う偉業を成し遂げた。ある意味、桐嶋さんと同じような人種である。
そんな注目株である塩田監督の映画に出演すると言うことは、出演する役者は間違いなく注目されることになると言う事。
つまり彼の映画に出演する切符とは、新人俳優たちにとっては喉から手が出る程欲しい物なのだ。
そんな美味しい切符が、オーディションも受けずして手に入るだなんて信じられない!! そう興奮して桐嶋さんの肩を揺さぶれば、苦笑しながらもされるがままに揺れていた。
「来週顔合わせがあるからな」
「はいっ!!」
窓から見える晴れ渡った空を、まるで俺の心の様だなんてクサイことを考える程に俺は舞い上がってた。そのオファーが、何を犠牲にして成り立っていたかなんて考えもせずに。
◇
顔合わせは無事に済んだ。そう、顔合わせは…。
「え、あの?」
「聞こえなかった? マネージャーを売ってまで売れたいのかって聞いてんだよ」
目の前で俺を蔑んだ目で睨むのは、今回の映画で主演を務める五辻翼(イツツジ ツバサ)。アナウンサー泣かせの言い難い名前を持つ、若手人気俳優だ。
五辻くんは、一時流行ったヒロイン1人に対してヒーローが複数いる、所謂逆ハーレムタイプの恋愛ドラマでヒーローを務めた。そのイケメン集団の中でも圧倒的人気を誇り、格好良くて、爽やかで、背は平均的だけどオーラが凄い。
今日の顔合わせで会った時、やっぱり主役ははこう言う子が務めるべきだと純粋に思った。
挨拶程度の顔合わせを全員で行った後、俳優専用の総合スケジュールを受け取りそれぞれの役毎に分かれて詳しく説明を受けた。
日程やら何やら全ての説明を受け解散すると、監督が桐嶋さんに声をかけてきた。
桐嶋さんに「少し待っててくれ」と言われたので、その間に手洗いへ向かい済ませて出てきたところで…何故か五辻くんが廊下の壁に凭れ掛かる形で待ち伏せをしていたのだ。
そう、どうやら俺の事を…。
「どう言う、意味ですか?」
「は? そのままの意味だろ?」
イライラしてみせる五辻くんに俺は更に首を傾げた。だって、意味が分からない。マネージャーを売るってどう言う意味だ?
「だから、その意味が良く分からないんです。マネージャー…、桐嶋さんを売るってどう言うことですか?」
俺がそう言うと五辻くんは一瞬驚いた顔をして、やがて直ぐにその顔を今まで以上に歪ませた。
「何だよ、お前そんなことも知らずに…なにも知らずに守られてるとか、虫唾が走るんだよ!」
「えっ、うっ!?」
気付いたら、胸倉を掴まれ壁に押し付けられていた。
「お前、オーディションも受けずに出演決定したんだってな」
「な、なに…」
「どうしてそんな奇跡が起きたか、疑問にも思わなかったのかよ!?」
「そ…れはっ」
それは俺も疑問に思った事だった。幾らCMやドラマの脇役によって業界内で名前が売れ始めたとはいえ、そこから塩田監督に目を止めらるのには少し無理が有った。
「知らないなら教えてやるよ。塩田監督はな、お前のマネージャーにベタ惚れなんだってよ」
「え…?」
「監督とあの人、打ち合わせの後消えたよな。今頃、何してんだろうな?」
「何が言いたいんですか」
「言わなきゃ分からないか?」
五辻くんが嫌な笑みを見せる。
「放して下さいっ!」
胸ぐらを掴む手を振り払えば、案外その手は直ぐに離れた。
「貴方が俺に対して何を思おうと勝手ですが、桐嶋さんを侮辱するのだけは辞めて下さい!」
「侮辱? 本当の事だろ? お前なんかがオーディションも無しで受かるワケが」
「だったとしても!!」
今度は俺が五辻くんの胸ぐらを掴む。
「俺にそんな価値が無くても! 桐嶋さんは絶対そんな事したりしないっ!!」
掴んだ手を投げ捨てるようにして手放すと、俺は五辻くんに背を向け来た道を戻る。そんな俺の背中に五辻くんが叫ぶ。
「お前のマネージャーは確かに“ヤリ手”だよ!! 無能な新人の為に身体まで売るなんて、誰にも出来ないからなぁ!!」
俺は振り返らなかった。振り返ったとしても、子供みたいな反論しか出来ないから。
どうしてこの俺が、脇役とは言え塩田監督の映画にオファーされたのかは分からない。でも、例えその裏に何か大人の事情なんてものが隠れたていたとしても…こんな事を言われてしまうのは俺の実力不足のせいだ。
俺はただ…唇を噛み締めた。
◇
「ナナ?」
桐嶋さんの運転する車の中で、俺はずっと外の景色を眺めていた。心の中がモヤモヤして気分が悪い。
「おいナナ、どうした? さっきから難しい顔して。顔合わせで何かあったか?」
赤信号に捕まった車はゆっくりと止まり、桐嶋さんがこちらを見ているのがガラスに映っていた。
「俺は、何でオファーが貰えたんでしょうか」
「…何?」
「オーディションも無しに、俺が選ばれた理由は何なんでしょうか」
信号が青に変わる。桐嶋さんは無言で車を走らせ始めた。そうして暫く無言が続いてから、漸く桐嶋さんは口を開いた。
「ナナは、自分の力で塩田監督の目に止まったとは思わないのか」
「思わないです」
「どうして?」
「だって、」
だって俺にはまだ、圧倒的に実力が足りない。そう言うと桐嶋さんは小さく溜め息を吐いた。
「確かにナナはオーディションを受けて無い。そこに何かしらの事情が入った事は、俺も否定はしない」
「桐嶋さんッ!」
「でもな。あの監督はそんなモノに簡単に流されるような男ではないし、何より仕事には誇りを持ってる男だ。実力の無い名ばかりの俳優を使う訳はないと、俺は思ってる。それが例え、脇役であったとしても」
桐 嶋さんは、出会った頃から俺の事を評価してくれている。それは一重に社長が押していることが大きいとは思うけど、それにしても桐嶋さんは俺をいつも褒めてくれるんだ。
だけど、俺はまだ自分に自信がない。
俺が役を得るために、きっと何かが犠牲になったはずなんだ。それはお金? もっと別の物? それともその犠牲は、貴方自身なんじゃないんですか…とは、流石に口に出来なかった。
『今頃、何してんだろうな?』
五辻くんの言葉が蘇る。あの時桐嶋さんは、塩田監督と一体何をしていたんだろう…。
「ッ、」
それを考えると胸の痛みが酷くなる。消えないモヤモヤが増殖して、まるで俺の心を蝕んでいくようだった。
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