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「あ、ナナくんおはよー!」

 事務所のドアを開ければ、直ぐさま元気な声をかけられた。

「おはようごさいますアヤカさん」
「あれ? 桐嶋さんは一緒じゃないの?」
「あ、桐嶋さんならまだ社長の所です」
「そうなんだ。あ、座ってて! 今お茶入れてあげるから」

 そう言ってササーっと給湯室へ去って行くアヤカさんは、後ろ姿ですら綺麗だ。
つまり、真正面からの彼女は極上。
 今でこそこの芸能事務所で事務をしているアヤカさんも、元々はグラドルだった。
 現在二十五歳と、俺からしたらまだまだ綺麗の盛りだと思うのに…アヤカさんは陽の目を見ることなく早々と引退してしまった。

 芸能界の難しい所は、美しければ必ず売れる訳ではないと言うこと。
 例え華やかな容姿であっても、世の中の流れの歯車と上手く噛み合わない事にはトップに上がることは難しい。

「はい、どーぞ?」
「ありがとうございます」

 暖かいお茶を受け取ると、アヤカさんは俺の前のソファに腰を下ろした。

「そうだ! ナナくんのあのCM、やっぱり何回観ても素敵だよぉ」
「え、本当ですか?」
「うん! 何て言うのかな…こう、ナナくんの雰囲気が良い感じでふわぁって溢れててぇ、」

 今アヤカさんが一生懸命感想を述べてくれているのは、俺が出演したここ最近の仕事の中で一番評判の良かったCMのことだ。
 桐嶋さんの敏腕のお陰で勝ち取ることの出来た、某大手音楽メーカーから新しく出るヘッドホンとイヤホンのCM。
 勿論単独で登場なんて事はなくて、良く見かける役者なのか何なのか分からないような人達が複数出るタイプのものだ。

 外国人から日本人から、凡そ十名程が色んなシチュエーションで音楽を聴く姿が、セリフ無しでどんどん切り替わっていく。
 その中で、俺のカットがなんと、おおとりを務めたのだ。

 俯いていた俺が、ヘッドホンに手を当てながらスッと空を見上げる。凡そ数秒しか無いそのカットが、意外にも高評価を得た。と言っても、業界内で名前が広がりつつあるだけで、まだ世間のお茶の間にドカンと進出は出来ていないのだけど…。

「何か見てるだけで切なくなっちゃうもぉん」
「アヤカさん、褒め過ぎですよ!」
「なに謙遜してるのぉ、お仕事増えた実感あるでしょお?」

 褒められ慣れて無い俺の顔に、カァっと血がのぼる。けど、実際そのCMの評価は意外と高く、最近は以前よりも断然仕事の量が増えてきていた。

「ナナくんはやっぱり良いもの持ってるよ」
「アヤカさん、それは…」
「言い過ぎだよアヤちゃん。全部玲一さんのお陰じゃん?」

 俺の言葉を遮って現れたのは、Lumièreきっての稼ぎ頭であるモデル、NAOKIさんだ。

「あ、ナオくんおはよぉ」
「おはようごさいます」

 俺の挨拶は無視して「おはようアヤちゃん」とウインクを綺麗に決めたナオキさんは、俺の後ろに立ったまま口を開く。

「お前なんて、玲一さん居なかったら何も出来ない地味男じゃん? 社長も何でこんなのに玲一さん付けたんだか」
「ちょっとナオくん!」
「アヤカさん、良いですから」

 ナオキさんの嫌味は毎回だ。何故なら、

「今でも俺に付いてれば、もっとやり甲斐もあっただろうにねぇ」

 そう、以前桐嶋さんはナオキさんのマネージャーだったのだ。ナオキさんの容姿とスタイルは素晴らしく、本来なら桐嶋さんのバックアップは無しでも行けるはずだった。
 でもそれが叶わなかったのは、彼の態度が著しく悪い事だった。

 仕事現場での態度、対応が悪すぎて、一級品の見た目は信頼性を失い地に落ちた。そこで付けられたのが桐嶋さん。失ったナオキさんの信頼回復を測り、もう一度売り込みに駆けずり回った…らしい。
 そんな桐嶋さんのことをナオキさんはとても尊敬していて、俺の様な身内には未だにこんなダダ漏れな感じだけど、一度外へ出ればその態度は様変わりする。その切り替え様は、ある意味本物のプロだ。

 ナオキさんは桐嶋さんを俺に取られたと恨んでいるらしく、会う度に嫌味を言われる。言われる内容は悔しいし、腹も立つ。けど、本当のことだと思うからまだ言い返せない。
そんなジレンマの中、下唇をキュッと噛んだその時。

 ――ポコンッ

「あたっ!」
「こらナオキ。あまりナナを虐めるな」

 丸めた雑誌でトップモデルの頭を叩けるのは、社長か…この人だけだ。

「あ、玲一さん!」
「こんな所で油売ってて良いのか? 外に車待たせてるんだろう?」
「あ! そうだった!!」

 突然バタバタと支度をし始めたナオキさんに、桐嶋さんが溜め息を吐いた。

「未だにそれか? しっかりしろよ?」
「そんなに心配なら俺のマネに戻ってよ」

 スリ…と腕に擦り寄ったナオキさんの頭を、桐嶋さんは今度こそ拳骨で殴る。

「あだっ!」
「ほら、さっさと行け」
「もう〜酷いよぉ…行ってきまーす」

 漸く静けさを取り戻した事務所に三人の息がホッと吐き出される。そのままアヤカさんは桐嶋さんの分のお茶を入れに、給湯室へと姿を消した。

「ナナ、あまり我慢をするなよ」
「え?」
「下唇、切れてるぞ」

 桐嶋さんは自分の親指で俺の下唇を撫でた。

「あの…」
「お前は俳優なんだぞ? 商売道具に自ら傷を付けるんじゃない」
「す、すいません」
「ったく、まだ寝癖も直ってない」

 忙しなく俺の髪やら何やらを撫でまわす桐嶋さんを見て、戻ってきたアヤカさんが笑った。

「いつも思ってるんですけど、何だかふたりって兄弟みたいですよね」
「えっ!?」

 驚いたのは、俺。ふふふ、と笑い続けるアヤカさんに桐嶋さんも苦笑した。

「二十歳にもなるのに、本当困った奴なんだよ。朝も自分ではちっとも起きられないし、寝起きが悪過ぎて着替えも儘ならない」
「え、ナナくん桐嶋さんに起こして貰って、着替えまでさせて貰ってるの!?」
「ちょっ、桐嶋さん! それは内緒って言ったじゃないですか!!」

 ワタワタと慌てる俺を見て、ふたりが笑う。

「えー? でもそれだと、独り立ちした時大変だねぇ」
「え?」
「だって、今はまだ延長で桐嶋さんと一緒に住んでるけどさ?大分仕事も増えたし、成人もしたし。ナナくんその内引っ越すでしょう?」

 そしたら自分で起きなきゃね? アヤカさんのその言葉に、俺はフリーズした。

 俺は十六で田舎を出で事務所に入った。
 まだ未成年だと言うこともあって、俺はマネージャーとなった桐嶋さんの自宅に居候する事になったのだ。
 事務所に所属しても直ぐにデビュー出来る訳では無いから、収入なんてゼロに等しい俺にはそもそも独り暮らしは無理な話だ。

 余りよく知らない人の家に居候することは、凄く戸惑ったし緊張もした。けど、桐嶋さんは凄く優しかったからその不安は直ぐに杞憂に変わった。
 朝は起こしてくれるし、ご飯も偶に俺も作るけど基本は桐嶋さんが作ってくれる。何より、寝起きの悪い俺に服を着替えさせてくれたりもする…恥ずかし話なんだけど。

 広い家には空き部屋が幾つもあって、その中の一つを自室として与えて貰えたからプライバシーも守られる。不自由なんて何もない。寧ろ居心地が良い。

 でも今年俺は二十歳を迎え、もう未成年では無いし、最近は細かなものだけど仕事も増えてきて…選びさえしなければアパートを借りられる程度の収入は有る。でも、

 独り立ち…そう思った途端、凄く怖くなった。

「ナナくん?」

 急に黙り込んだ俺に、アヤカさんが訝しむ。すると、それでも反応出来ない、目をウロウロと彷徨わせていた俺の頭に桐嶋さんが手を乗せた。

「そんなのはまだ先の話だよな」
「へ…」
「独り立ちするにはまだまだだって言ってんだよ」
「イタッ」

 桐嶋さんにデコピンを食らわされ、俺がおデコを抑えて蹲る。

「痛い〜!」
「もう独り立ちしようとしたナナが悪い」
「そんな烏滸がましいこと、まだ考えてませんよぉ!」

 ギャアギャアと言い合い、漸く元に戻った俺を見たアヤカさんも笑う。桐嶋さんはきっと、俺の不安に気付いたんだ。だから、まだ急に考えなくて良いって、そう教えてくれたんだと思う。
 けど、いずれ俺は桐嶋さんの家から…桐嶋さんの手から、離れなくては行けなくなるんだ。

「ナナ、そろそろ出るぞ」
「あ、はい!」


 何だかそれが酷く心細くて…寂しく感じた。


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