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ただいま増量中!【後編】


【SIDE:神田純也】


「そう言えばさぁ、前から聞きたかったんだけど」

 きっと、この後坂本が発したこのセリフこそが…俺とユキの関係を大きく動かす切っ掛けだったに違いない。

「オガちゃんは彼女とかいねーの?」



 ◇



 何気なく発された言葉に、ユキの体がびくりと揺れたのが分かった。今の俺たちにとってその話題は、とてもナイーブで、ある意味タブーだったから。

「いや……居ないよ」
「ぇえ!? 何で!? 絶対モテんだろーに!」
「モテないって、」

 こんなよく出来た子が嘘だぁ! と大袈裟なリアクションを取り背を伸ばした坂本は、少しハッとして俺の顔を見た。

「わぁ〜かっちゃったぁ〜」
「……何だよ」
「原因はお前だなぁ? 神田さんよぉ」

 ビシッと俺を指差し睨む坂本に、ユキは顔を青ざめさせた。

「坂もっちゃん、違うから」
「違わなーい!! 神田、全部お前が悪い!」
「何でだよ」

 イラっとしてそれを隠そうともしない俺に、それでも坂本は怖気付く事なく更に詰め寄ってくる。坂本の野郎、絶対酔ってるな。

「ハッキリ言ってやろう、お前が邪魔だからだ!!」
「坂もっちゃん!」
「まぁまぁ、オガちゃんも聞いてよ。良いか? 神田よ。今のオガちゃんはお前中心の生活を送ってんだよ。まるでお前の家政婦だ。殆んどの時間を神田に割いてちゃ、他を見る余裕も無いってワケ!」

 その上俺が嫌がるからと友達すら部屋に呼べない状況では、恋人が出来ても同じだろう。一人暮らしなのに呼んでくれない彼氏なんて、余りにも不信過ぎる。

「こーんな遊び盛りの年齢にだよ? オガちゃんが可哀想過ぎるよ。神田、お前そろそろオガちゃんを解放してやってだなぁ」

 坂本がそこまで言った時、遂に俺の頭の中で何かが切れた。

「煩いんだよっ! お前に何が分かるってんだ!? 何も知らない癖に余計な事言ってんじゃねぇ!!」
「おわっ、」
「純也っ!!」

 ユキの必死な呼び声も無視して、俺は荷物を手に玄関へと向かう。

「おい純也、落ち着けって。坂もっちゃんのはいつもの冗談じゃん」
「煩い」

 荷物や手にビニールを付け直し、そのまま靴を履くと外へ飛び出した。折角今日もユキの部屋に泊まるつもりだったのに、準備が全部無駄になった。


 ◇


「おい神田」

 少し眉を下げた坂本が、中庭で声をかけて来た。

「もぉ〜、そんな本気で怒んなよ。昨日は言いすぎたよ、悪かったって、な?」

 そのままベンチに座る俺の横に腰を落とすと、坂本は手に持っていたフルーツオレをギギューと不快な音を立てて飲んだ。

「昨日のはさー、まあ、ちょっとやっかみ、みたいな?」
「は?」

 しまった、反応してしまった。暫く無視してやろうと思ったのに、坂本の謎なセリフに俺は思わず間抜けな声を漏らした。

「羨ましかったんだよね、お前の事が」
「は? 俺が?」
「だってさー、あんなにお前の事だけを優先してくれる友達なんて、そうそう出来ないじゃん。その上お前にとってもオガちゃんは特別だろ? 触るし」

 特別? 特別…確かにユキは特別だけど、触るってのはなんだ。俺は家族にも触れる。

「はぁ、神田って本当鈍いのな」
「何がだよッ」
「いーか? “触れる”から触るのと、“触りたい”から触るのとじゃ全然意味違うだろ」
「触りたい…?」

 あ、変な意味じゃないぞ? と坂本が笑う。

「ほら、肩触ったりとか、手ぇ触ったりとかってさ。普通の人にとったらただのスキンシップなのに、俺たちは無理だろ? 特に神田は酷いじゃん。でもお前さ、オガちゃんにはよく触るんだよな」

 ニィっと意地悪く坂本が歯を見せた。

「俺たちにとって、そう思える存在はこれから先も唯一で貴重で、絶対なんだよ。出会えるかどうかも怪しい相手なんだからさ。だからこそ神田は、甘え過ぎずにもっとオガちゃんを思い遣ってやれって思っちゃったの」

 お節介だとは分かってるんだけど、と溜息のような息を吐いてから坂本が残りのフルーツオレを飲み尽くした。
 そのあと少しだけ、ユキとは何の関係も無い話をしてから、バイトに向かう坂本と別れた。
 その場にアイツの姿は無くなったのに、ずっと頭の中をセリフがぐるぐると回る。

『触れるから触るのと、触りたいから触るのとじゃ全然意味違うだろ』

 多くの日々の中の、一瞬の会話。けど、馬鹿で鈍い、ずるい俺の目を覚ますには十分な言葉だった。
 どうして今まで分からなかったのか、気付かなかったのか。
 否。分からない、気付かないフリをしていただけだ。だって俺は、小学生みたいな子供じゃ無いんだから。




「え? ちょ、どーしたの純也!」

 名前も、場所も聞いていたけど一度も向かった事のなかったユキのバイト先に顔を出すと、想像以上に驚いた顔が見れた。
 割と周りからは評判の良い居酒屋ではあるが、相変わらず俺は外食が出来ない。飲食をしない客など迷惑この上ないが、思い立った今すぐに約束を取り付けなければ、また俺のビビり虫が顔を出すに違いなかったのだ。

「迷惑なのは分かってる、すまない。でも直ぐに言いたくて」

 客入りがラッシュの時間だけは避けたつもりなので、店の中で動く店員には余裕が見られる。

「この馬鹿、責めてるつもり無いって。心配してんの、匂いだって苦手だろ?」

 心配げに首を傾けるユキに、胸のあたりがズクリと蠢いた。
 何時だって、ユキは俺中心に考えを進める。それはただ単に幼馴染であることが理由ではなくて、ユキが、俺を別の意味で好きだからなのかもしれない。
 今まで当たり前の様に受け取ってきたユキの好意が、どれ程貴重で奇跡的な事なのかを、俺は知らずに生きてきた。

「直ぐに店出るから平気だ。ユキ…今日、バイトが終わったら俺の家に来てくれないか」
「へ、純也のマンションに?」
「ああ、」

 昔は自分の部屋が一番だったのに、最近ではユキの家の方が落ち着く気がする。ユキの匂いがすると、酷く安心するのだ。その理由を、俺は考えない様にしていた。自分の中に起きている変化に、気付かないフリをしていた。
 ユキが何も言わないのを良いことに。

「分かった。終わったら直ぐ行くから」

 ユキが頷いたのを見て、俺は店を後にした。


 ◇


「遅くなってごめん」

 カバンや体に纏っていたビニールを慣れた手つきで剥ぎ取ると、ユキが寒そうに部屋へ入ってきた。

「飯は?」
「賄いで済ませた」
「なんか飲むか?」
「暖かいやつ!」

 予報では明日の朝から雪だと言っていたから、今晩外はとても冷えていたのだろう。赤く悴んだ指に息をかけている。

「外、寒かったか?」
「もうキンッキンだって。車のガラスとか凍ってたし」

 熱々のココアを渡してやると、それを両手で握り込んで至福の表情をした。

「で、今日はどうした? バイト先なんて来るからびっくりした」

 ズズッとココアを啜るユキは、言うほど重要な話が待っているとは思っていないようだ。俺が行動を起こす時は、どんな小さな事でもいつも突拍子も無い事をするから。

「ユキ」
「うん」
「俺はね、」
「うん?」
「ユキが好きだ」

 ユキが瞬時にフリーズして、手からマグカップを落としかける。予測していた俺は難なくそれを支えながらも、目はずっとユキから逸らさなかった。

「え…な、なん、」
「ああ、今更だよな。あの日ユキを離してやらなかった癖に…ユキが何も言わないのを良いことにずっと俺は」

 逃げて来た。変化が怖くて、逃げて来た。
 幼馴染だったら、ずっと側に居られる。けど、恋人になってしまったら? その前に、好きってなんだ?
 いつか別れが来るくらいなら。そんな訳の分からない想いに振り回される位なら、ずっとこのままの方がいい。そんな卑怯な答えが、一番最初に出てきた。

『愛なんて知らない』
『恋なんて知らない』

 そう自分に言い聞かせて、でもユキの手は放すことをしないで。それがどれだけユキを苦しめる、残酷な事なのかを考えもしないで。
 坂本が言ったことは、全部正しい。俺はユキに甘え過ぎていた。このまま一緒に居られるんじゃないかって、何も変わることなく一緒に居られるって、そう思い始めてた。

「俺は、坂本にずっと嫉妬してた」
「へっ、」
「坂本とユキが仲良くなってく度に、会わせなきゃ良かったって思ってた」

 そう言ったら、途端にユキの顔が曇った。

「まさか、それで俺を好きだって気付いたとか言わないよね」
「それもあるけど」

 違う、と言いかけたところで、ユキがカップを凄い勢いでテーブルに置いた。

「ユキ?」
「勘違いだよ、純也。お前のそれは、勘違いだ」

 カップを握るユキの手が震えている。

「どうしてそんな事、言うんだよ」
「こっちのセリフだよ。何で、何で今更そんな期待させる様な事言うんだよ!?」
「期待じゃない! 本心で言ってるんだ!」
「だからっ、それが勘違いだって言ってんだろ!?」

 バンっ、とテーブルを叩く音で一瞬にして静寂が生まれる。

「純也は分かってない。お前が坂本に思ったことなんて、有り触れた独占欲だよ。お気に入りのオモチャ取られるみたいな」
「違うっ!」
「違わない。ねぇ純也、好きってことがどう言うことか、本気で分かってる? 俺が純也に対して、どんな想いを持ってるか本気で分かってる?」

 コタツから抜け出たユキが、俺の側まで移動してくる。

「誰かがお前の隣に居るだけで、俺は気が狂いそうになる。お前が俺以外を見てるかと思うと、頭が可笑しくなりそうなんだ」

 ユキはそっと、暖まりきらない冷たい指で俺の頬を撫でた。

「触れたくて触れたくて、堪らない。俺が純也に向ける気持ちは、お前が何よりも嫌う、汚い物なんだよ」

 俺を見つめる瞳から、ポロっと大きな雫が溢れた。

「ユキは、俺とお前の気持ちが違うものだって言いたいのか」
「だって、そうだろ!?」

 俺の言葉を信じようとしないユキ。これは、あの日から今まで、俺が答えから逃げて来た後遺症だ。

「俺はユキに触れる」
「そんなの、家族にだって触れる!」
「ああ、俺もそう思ってた。坂本に言われるまで。でも、違いに気付いた。だからもう言い訳が出来ないんだ」

 あと少しの衝撃で溢れそうになっている雫を目尻に溜めて、ユキが俺を見つめる。

「俺は、ユキに触れたくて触ってる。家族とは全然違う」
「で、でもっ、」

 次に言われることは分かってる。家族とは違っても、友達との触れ合いと同じだと言いたいんだろ? けど、違うんだよ。全然、違う。

「俺はユキに触れたいんだ。自分でも驚くくらい、自然とユキに手が伸びる。触りたい…俺だって、触れたくて堪らない」

 そう言って俺が指でユキに触れた場所は、あの日、一瞬だけ熱を共有した場所。

「じゅ、」
「シ、黙って」

 一瞬何かじゃなくて、そんなあやふやな触れ合いじゃなくて。
 紛れもなく、事故だなんて言い訳が出来ない位にしっかりと重なり合った柔らかな場所から、ジワリと互いの熱が溶けた。



 あの日触れ合った時に、あの瞬間に気付くべきだった。汚いと、悍ましいと思わなかった理由に。
 触れた場所を拭うこと前提に置かれた除菌シートにも、それを置いたユキにも腹が立った理由に。

「はっ、ぁ…じゅん、」
「こんな所の熱、友人と共有しようなんて思わない。違うか?」

 まして、他人の唾液なんて触れたくもない。ユキ相手だからこそ、心臓が壊れそうな程にみゃくを打つ。切なくて胸が痛くなる。
 これが恋や愛じゃないなら、俺はそんなもの一生知らなくて良い。ユキの額にコツンとおでこを付けると、同時に鼻までぶつかった。

「今まで逃げて悪かった。気付くのが遅くなって、傷付けて、本当にすまない。今更だって分かってる。けど、好きなんだ」

 どうしようもなく、好きなんだ。
 告げた言葉に、顔を真っ赤にしたユキ。それを見て俺の中に、また新たな気持ちが溢れてくる。


 嗚呼、余りに






 ―――愛おしい


END


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