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栄華の夢:完結編【後】

【SIDE:雅】


 部屋の中には、紫の血の匂いが充満していた。

「雅くん、あの駄犬は直ぐにでも捨てた方が君のためだ」

 性懲りもなく頬をするりと撫でてくる指に、僕の心はどうしようもない程の嫌悪感に満たされた。
 この男の下心に気付かなかった訳では無かったが、それよりも優先したい…いや、利用したい気持ちの方が勝っていたのだ。
 友人である久也は大変頭の良い子ではあるが、彼の兄、千茅の頭の出来はそれの比ではなかった。
 久也の家に出入りするうちに千茅と出会い、彼から勉強を教えたいとの申し出を受け、これは丁度いいと思った。紫と共に歩むために、何時かぶち当たるであろう壁を乗り越えるためにその知識が欲しいと思ったのだ。

 だが、その目標に夢中になり過ぎて盲目的になってしまっていた。

 田尻に食いかかろうとする紫を見ても、優越感しか感じていなかった。もちろん気色悪いと思ってはいたが、それ以上に田尻へムキになる紫が珍しくて、紫の想いなど考えていなかったのだ。

 いつからあんな余裕の無い目をする様になっていたのだろうか。
 いつからあんな無気力な目をしていたのだろうか。
 真山に部屋から連れ出される紫は、もう何も目に映してはいなかった。


 この、僕の姿でさえも…


「何が僕の為になるかは、僕自身が決める事です。貴方に口を出されたくない」

 頬から首筋へと辿ろうとした手を払い、強く睨みつけた。

「家庭教師は今日までで結構です。有難うございました」

 床に付いた血の跡を追うようにドアへと足を進めると、それほど進む前に腕を取られた。

「何処へ行くと言うのかな。まさかさっきの使用人の所へ? その選択は感心しない。私の物になれば、何もかも上手くいくと思わないのかい? 君には劣るが家柄も十分だし、それに…」

 君自身を満足させる自信もあるのだけど、と掴んだ腕を厭らしく撫でた。下世話な内容まで含まれたその言葉に、僕は笑って見せる。

「ふっ…、アンタは何か勘違いしてる。僕がアンタに求めたのはその頭脳だけだ、それ以外に求めるものは何もない」

 突然変わった口調に、千茅は唖然としている。みっともなく縋り付いた形で自分の腕にぶら下がっている千茅の手をもう一度振り払い、今度こそ僕は歩き出した。

「あぁそうだ、ついでにもう一つ教えてやる。僕のすべてを余すことなく満足させられるのは紫だけだ。今度また紫を侮辱してみろ、命など無いと思え」

 腰の低い聖を見ていると分かりづらいが、経済界で聖の力は絶対的だ。
 親の力を借りるなどみっともないが、紫の為ならプライドなど捨ててやる。
 言葉の意味がそのままであることを理解した千茅は、ただ立ち尽くすしかなかった。




「紫」

 紫は真山の部屋で手当てを受けていた。
 後から名を呼ぶが、俯いたままこちらを振り向かない。僕の声に無反応なのは初めてで少し戸惑った。

「雅様、私は席を外しますからここを使って下さい」

 椅子に座ったまま動かない紫を置いて、真山はさっさと出て行った。

「紫…」

 紫の前に回り顔を覗き込んで驚いた。目の焦点が合わないまま、涙線が決壊したのか永遠と涙を流している。

「申し訳ありません…申し訳ありません…雅様」
「何だ、僕はお前を咎めるつもりなど…」
「もう、無理なのです…私にはもう、犬として徹することは無理なのです」

 それは……僕の側に居たくないと言う事か? 気が付けば紫の胸倉を掴んでいた。

「ふざけたことを言うなッ。僕はお前を手放す気など一切無い!!」
「駄目なんですっ!!」

 掴んでいた手を払われる。大人と子供の力の差を見せつけられた様で、ギリッと歯を鳴らした。

「……どう言う事だ」

 自分以外を見るはずが無いと、僕から離れるはずが無いと思っていた紫が、まさか僕から逃げようとするなど思わなくて。
 情けなくも声が震えた。正直、今は立っているのもやっとだ。だが次の瞬間、紫の発した言葉に世界が変わる。


「私は…私は…」





 ―――貴方を愛しているのです、雅様…




 まるでそれが罪で有ると言うように紫は泣き崩れ、僕も力を失い膝から崩れ落ちた。けれど悲観して泣く紫とは対照的に、僕は歓喜に心を、身体を震わせた。

 紫はただ、僕に逆らえず側に居るのだと思っていた。拾われた子犬の様に、頼り縋る相手が僕しかいないと洗脳されているのだと。
 僕以外に触れられることを嫌うのは嬉しかったが、それは純粋な心から生まれたものではないと思っていたから、心から喜ぶことは出来ず複雑だった。
 だがどうだ。いま紫は、僕を愛していると言ったではないか。

「お願いです、私を殺してください。このままではいつか、貴方に触れようとする者全てを殺しかねない…」

 傷付いた手をもう片方の手で握り、涙を零す。僕よりも大きな体を、めいっぱい縮こまらせて震えている。

「お前は馬鹿だよ、紫」

 予想に反して笑った僕に驚いたのだろう、俯けたままだった泣き濡れた顔をやっとあげた。

「お前は僕の夢を忘れたのか?」

 いつか書いた将来の夢。
 あの頃から僕は、紫だけを見ていた。

「お前が居てこその夢だと、何故分からない?」

 お前は僕の夢を壊す気なのか? と問えば真っ青な顔でふるふると首を横に振った。しかし相変わらず紫の顔は苦痛に歪んでいる。

「チッ、仕方ないな…良いか、よく聞けよ。田尻の事は許せ、あれはお前が嫉妬する姿があまりに可愛くて、直ぐに対処出来たところをわざと我慢していたんだ。あの後田尻は父に制裁された、二度と僕の前に現れることは無いから安心しろ。千茅にももう会わない。こんなことは二度と無い様にする」

 矢継ぎ早に話せば、紫は如何にもちんぷんかんぷんと言う感じの顔で呆けている。

「……私が、要らなくなった訳ではないのですか?」
「馬鹿言うな! さっきも言っただろう、全部あの夢を叶える為だ」

 沢山の知識を付け、レベルの高い高等部へと進学することが第一目標だった。有名大学へ進学し力をつけ、立派な跡取りとなる。そうなれば僕が何をやっていても誰も文句を言う者は居ないだろう。
 そうしてあの夢を実現させることが出来ると思っていたのだ。

「…あまりお前ばかりに構っていて、下半身だけの男だと思われたくなかったのもあるけど」

 それを言った途端、今まで呆けていた紫が吹き出した。

「なっ、笑うなよ! 僕は真剣なんだ!!」

 血が上っていると自分でもわかる程に顔が熱い。絶対笑われると分かっていたからこそ、黙って進化を遂げるつもりだったのに…これでは何もかも台無しだ。

「クソ、こんな事ならお前に触れることを我慢するんじゃなかった」

 きょとんとした紫が、「私に飽きたのでは無かったのですか?」とまたふざけた事を言ったので、遂に僕はキレた。

「この大馬鹿野郎! お前に飽きることが有って堪るか!! 今も昔も僕の中にはお前しかいないんだ!!!」


 だから僕だけを見ていろ。
 僕以外に目を向けるんじゃない。
 僕をもっと求めろ。
 僕だけを求めろ。

 そう、僕だけを……







 ――――愛せ







SIDE END



 ◇


 少しだけ冷えてきた風に頬を撫でられ、重い瞼を持ち上げた。

「っと、やってしまった…」

 心地よい日ざしと風に誘われて、ついつい寝てしまった。寝ぼけ眼に未だぼうっとする頭は、どこか甘い霞がかかっている。
 何だか、とても懐かしい夢を見ていた気がするがあまりよく思い出せない。ただ、照れたように笑う雅様の顔だけが鮮明に残っていた。

 目の前に広がる空は、いつの間にか茜色に染まりかけている。その下に広がる海は、自分の青さと空の赤みを混ぜ合わせて幻想的な色を見せた。
 塩気のある風に揺らめく白い薔薇たちは一心に咲きほこり、そのコントラストは素晴らしく美しい。

 眠る前には空が青かったことに気付きハッとして頭を覚醒させる。庭に何も履かずに降りていた事を思い出し、足を拭い家の中へ入った。
 まだ作りかけだった料理を進めようとしたところで鳴った玄関のベル。もう帰って来たのだろうかと慌てて玄関へ向かへば、そこに立っていたのは朝日少年…いや、もう青年だったか。

「あれ? 朝日さん。こんな時間にどうされたんですか」
「どうもこうも、ちょっとお邪魔させてもらうよ!」

 見た目は立派な青年へと成長しているのに、中身は昔とちっとも変らない。

「ちょ、ちょっと朝日さん!」

 ズカズカと家の中に侵入した朝日青年は、部屋の中をぐるりと見渡し、作りかけの料理に目を付けた。

「あーーーー!!」

 そのままパクリとつまみ食いする。

「何してるんですか!」
「良いじゃないか、ちょっとくらい。ボクにも少し幸せを分けてくれ」

 悪戯っ子の様に笑った朝日青年に私は苦笑した。

 今日で、私がこの家に引っ越して丁度一年が経つ。家自体はオモチャの様に小さいけれど、柔らかい芝生が広がる庭に出れば、そこには美しい白薔薇が咲き誇っている。
 この薔薇は、雅様の館のあの庭から持って来た苗たちだ。潮風に吹かれながらも強く根付いてくれていた。

「なぁ、今日はやっぱり記念日ってことで、お祝いするんだろう?」
「勿論しますよ。その大切な料理を貴方がつまみ食いしているんですよ! 今日は仕事を早く切り上げて戻られるそうですから、あまり食べないで下さい!!」

 そう、この小さな家に引っ越したのは、私だけではない。
 雅様が社会人となられた年の翌年。誕生日プレゼントとして私に渡されたのは小さな小さな箱だった。

「僕の夢を、一緒に叶えてくれ」

 そうして開けた箱の中には、アンテーク調の鍵が一つ入っていたのだった。



「お前、雅が帰って来たときいつも何と言って迎えているんだ?」
「え? それは変わりなく、お帰りなさいませ、と」
「違う違う、大事なのはそこじゃない。まさか未だに雅を『ご主人様』だなんて言っていないだろうな?」

 そんな朝日青年に、何て馬鹿なことを、と私は憤慨した。あの方がご主人様以外の何だと言うのだろうか。だが…何故か私が逆に怒られてしまった。

「馬鹿はお前だよ紫」

 その上、「それじゃあ雅が余りにも可哀想だ」なんて言われてしまい困惑する。お帰りなさいませご主人様、では何がいけないのだろうか。

「ど、どうしましょう。私は何か雅様に失礼な事を?」
「まぁいい、今までの生活がそうさせているんだから仕方ない。だが、お前は今日から生まれ変わるんだ」
「生まれ変わる…?」
「あぁ、そうだ。その上雅をこれ以上無いって位喜ばせることが出来るぞ」

 そう言って笑った朝日青年は、未だかつてない程とても悪い顔をしていた。



 雅様の車の音がした。約束通り、仕事を早く切り上げて来たようだ。
 私は朝日青年に言われた通り、玄関へと走り床に座る。
 身に着けている物は普段着と違い、着物に着替えさせられた。そして鍵が外されドアが開くと同時に、私は三つ指を付いてこう言った。


「お帰りなさいませ、あなた」……と。







 濃紺の空に、銀色の月が浮かんでいる。
 夜風に揺れる白薔薇はとても綺麗だったが、月明かりに照らされ眠る雅様はそれ以上に美しかった。
 夕方見た懐かしい夢に感化されたのか、一瞬眠る顔に幼かった頃の雅様が重なって見えた。
 見た目こそ随分と男性らしく成長し、遂に今年身長も抜かされた。相変わらず華奢ではあるが筋肉もついて、最近ではひょいと私の身体を持ち上げてしまうこともしばしば。
 夢のまた夢でしかなかった生活が今、現実として私の手の中にあった。


 私を拾った男の子。
 私に生きる理由を与えた男の子。
 生きることの素晴らしさを教えてくれたのも貴方だった。

 夢見る喜びを教えてくれた貴方に、今度は私が夢を見させてあげたい。




 安らいだ顔で眠る雅様の額に、
 私はひっそりと口づけを落とした。


END


↓↓おまけ↓↓


【SIDE:朝日】

「雅、記念日はどうだったんだ?」
 
 結果は紫から聞いて知っているのだが、雅の反応が見たくて敢えて聞いてみる。だが予想に反してギロリと睨むだけの雅。
 ボクの言葉に動揺を見せず、あまり面白くない。

「紫に入れ知恵をしたのはお前だろう」

 ちぇ、そこまでバレてるのか。
 とっても面白く無いので、とっておきの爆弾を投下した。

「そんな怖い顔をしても無駄だぞ。雅、お前鼻血出したんだってな」

 飲んでいた紅茶をブーーーーーッ!と吹き出され、ボクの顔はびしょ濡れになったが、それでも幾らか気分は晴れたのでまぁ良しとしよう。

「雅って、ムッツリだったんだな!」

 その夜紫がとんでもない目に合ったのは、また別の話。


END


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