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栄華の夢:完結編【前】


「どこかに行かれるのですか?」

 学園より戻られた雅様が、素早く制服から私服へと着替えて再び鞄を手にした。

「あぁ、夕食に招かれたんだ。下に待って貰っているからもう行く」

そのまま慌てた様子で部屋を飛び出して行く背中に、お気をつけて! と叫ぶのがやっとだった。果たして、急いでいた雅様の耳に届いていたかどうかは定かでない。

 雅様は昔に比べ、随分社交的になったと思う。私の相手ばかりしていた頃が懐かしく思うほどに。
 いつ求められるか分からぬ“お勤め”に備え、相変わらず雅様が帰られる時間までには湯浴みを済ませている。だが、最近では求められることはとんと減り、無駄になることが多かった。

 後一年も経てば、雅様は高等部へと進まれる。
 頭の位置が私の腰ほどまでしかなかったあの頃には知らなかったことを、きっと友人たちから学んだのだろう。
 私を構うことよりももっと、もっともっと楽しい遊びを知ったに違いない。無駄に清潔な香りを漂わせた自身の身体が妙に滑稽に思えて、私は一人苦笑を漏らした。


 ◇


 昨夜、ご友人宅の車に送られ戻ってきた雅様はとても上機嫌だった。その要因の何かに思考を囚われたまま、心を何処かに飛ばしてまわれている。
 いつもなら直ぐに勘付く私の気分の降下にも、今は気付く素振りも無い。それは私の事を見ていない、確かな証拠だった。そしてその一週間後、災厄が訪れる。

「こちら千茅(チガヤ)さん。今日から夜、僕の家庭教師をして頂くことになった。十分に持て成すように」

 雅様が召使いたちに名を通したのは、雅様のご学友である久也(ヒサヤ)少年の兄、千茅だった。
 背が高く無駄のない引き締まった体。艶のある黒髪は短くスッキリと切りそろえられており清潔そうだ。そして何より、眼鏡に邪魔をされても分かるほどにその容姿は整っていた。
 以前この館を訪れた朝日少年も背が高く整った容姿をしていたが、お人形の様な彼とは違い千茅と言う青年は明らかに“男”だった。
 何か、嫌な予感がする…。



 早速その日の夜から勉強会が始まった。
 いつも通りで構わないと言われたので、多少複雑ながらも勉強を進める二人とともに雅様の部屋に滞在する。
 出来るだけ邪魔にならぬようにと気配を消すものの、矢張り気になるのは千茅の行動だ。

 幾ら教えるにしてもそれは近すぎるだろうと言う距離。そしてさり気なく雅様の背に回される手。
 雅様は勉学に集中しすぎて気付いていないのか拒否をしない。私の奥歯がギリリと鳴ったその時。

「っ、…っ!?」

 千茅が冷たい目でチラリとこちらに目線を送ってきたかと思うと、次の瞬間背に回していた手で雅様の腰をツツツ…となぞったのだ。それは、明らかに意思を持った指の動きだった。
 思わずカッとなり音を立てて立ち上がると、その時初めて雅様が私を見た。

「おや…困ったね。折角集中出来ていたのに途切れてしまった」

 立ち上がった私を見たまま、千茅が態とらしい溜息をつく。

「矢張り彼は邪魔になるね」
「え? あ、別に僕は」
「先程から気になって、私も集中出来ないんだ」

 否定しようとした雅様に、千茅が困ったように笑ってみせる。そんな千茅を見た雅様は、少し逡巡すると私の方へ向き直り目で訴えた。

 出て行ってくれ、と。



 ◇



「お前、何をやっているんだ」

 雅様の部屋へ休憩のお茶を用意してやってきた真山様に、訝しむ目を向けられる。それはそうだろう。部屋のドアの真ん前に、膝を抱えて座っていたのだから。
 何も言わない私に短く息を吐くと、そのまま真山様は雅様の部屋へと消えて行く。

 前まであったはずの自信。雅様のものであると言う自信が、今の私は持つことが出来ない。
 確かに雅様の物ではあるのかもしれないが、所有されている実感がなかった。雅様の犬であるということに、この私が、少しずつ苦痛を感じ始めていた。


 夜のみ、雅様の部屋へ立ち入りを禁止されてから四日目のことだった。

「雅、明日の夜は勉強をお休みしてくれるかい? 田尻様がいらっしゃるんだ。とてもお前に逢いたがって居るから、少しだけ相手をしてやって欲しい」

 聖様の言葉に雅様は舌を打ち、私は眉を顰めた。田尻、とは、聖様の会社の上顧客だ。
 でっぷりとした体に脂ぎった顔。ギラついた目はいつも厭らしい色を滲ませている。あの色を思い出すだけで、今すぐにでもブチのめしてやりたいと思う程に不愉快だった。





「やぁ、雅くん! 相変わらず美しいっ」
「ありがとうございます」

 厭らしい顔をした男にニッコリとして見せた雅様の笑顔は完璧だ。
 苦々しい気持ちで側に立っていると、雅様が私を睨んで制する。聖様がいる手前あからさまな事はして来ないが、あの絡みつく様な視線がすでに許せなかった。

「聖様」

 食事の最中に入って来た真山様が、聖様に何か耳打ちする。

「分かった、だが今は大事な会食中だ。後で掛け直すと伝えておけ」

 そのまま下がらせようとした聖様に、田尻が制止をかけた。

「お急ぎの様ですし、どうぞ行ってきて下さい」
「いや、そんな訳には」
「私は本当に構いませんから。こんな時はお互い様ですよ?」

 そう言って笑った田尻に、聖様も申し訳無さそうに笑った。

「ではお言葉に甘えさせて頂きます。直ぐに戻りますので、少々お待ちを」

 美しい所作でお辞儀をすると、聖様は部屋を後にした。そしてその空間を待ち侘びたかの様に、田尻の目が光る。

「ところで、雅くん」

 雑な立ち上がり方で鳴らす耳障りな椅子の音。そのまま田尻は、食事を摂る雅様の真横へピッタリとへばり付いて座った。
 少し離れた場所に居た私が駆け寄ろうとするが、矢張りそれを雅様は目だけで止める。

「君ももうすぐ高等部か…随分と美しく成長されたもんだ」
「先程も褒めて頂きましたよ?」

 ふふふ、と笑う雅様に、田尻が息を荒くした。

「私も学園を何校か経営していてね。君にぴったりの学園もあるのだよ。どうだい? 君さえ良ければ、私の家から住み込みで通うと言うのは」

 ぶくぶくと太り細部まで肥えた、芋虫の様な醜い指が雅様の太ももを撫でた。それはやがてスルリと後ろへ回り、雅様の双丘の間に擦り付け始める。だが、雅様は顔色ひとつ変えずに触られたまま動かない。
 そしてただ、その目はひたすらに私へ我慢を強いていた。



 その後直ぐに聖様が戻ってきたことで、田尻は雅様から離れ何事も無かったかの様に会食が再開された。でも、私の心の中は嵐が吹き荒れていた。


 どうして

 どうして

 どうして…


 もしかしたら雅様は、取引先相手にならカラダを求められても差し出すつもりなのかもしれない。
 そう思った瞬間私の頭の中は真っ白になった。その日から毎日、眠る前に必ず頭の中で唱える癖が出来た。

 私は犬だ
 私は犬だ
 私は雅様に忠実なる犬なのだ
 犬はそれ以上でもそれ以下でもない
 己の意志など捨ててしまえ

 私は心なんて、
 持っちゃいけないのだから―――



 いつもの様に雅様に抱きしめられて眠る。
 けれど、私がその腕から温もりを感じることは無かった。



 ◇



 そうして家庭教師の千茅が来る様になって一週間、相変わらず私は部屋の外へと出されている。夜もだいぶ冷えるようになり、老体にこの床の冷たさは毒だと思いつつも動くことが出来ないでいた。

「またそんな所に居るのか」

 膝を抱えて座り込む私を見て、真山様が困ったように笑う。
 最近私の様子がどこかおかしいと、聖様至上主義の真山様には珍しく私を気にして下さっている様で、お茶に誘ってみたりと声をかけて頂く回数が増えていた。

「雅様の休憩のお茶を用意したから持って行け」
「え…でも、私は」
「そんな疲弊した顔をして何を言ってる」

 ほら、行け。とティーセット一式が乗ったお盆を手渡され、私の頭の中に花が咲いた。
 ちゃんとした理由があるのだから、禁止された部屋へ入ることが出来る。少しでも様子が見られれば、それだけでも安心感が増すのだ。
 そうして私は間違えた。

 ノックをせず、部屋へ入ってしまったのだ。


「………」

 部屋の光景を見て、私は手からお盆を滑らせた。
 陶器の割れる音が耳を刺すけれど、それが私の脳に届くことは無い。ただ、無心で割れたティーポットの破片を手に握り、雅様を絨毯の上に組み敷いていた千茅へと近づき、手を振り下ろした。

「紫ッ!!!」

 何も届かなかったはずの耳に、雅様の声だけが届いた。私の意志とは別に、身体はその声に従順に反応して動きを止めた。

「手を下ろせ、紫」

 開け放たれたままのドアから入ってきた真山様に、後から振り上げた手首を取られる。
 少しの間驚いた顔をしていた千茅は、雅様の拘束を解いて床から起き上がり、やがて捕えられた私を見て嫌な笑みを見せた。

「ここの使用人は、主人の言うことが全く聞けないと見えるね。お楽しみを邪魔するだなんて何て野暮だろうか」
「ッ!? 貴様ぁ!!」
「紫! 止せっ!!」

 無理やり雅様を手籠めにしようとしていた癖に、何がお楽しみだって!? 視界がカッと赤らんで、もう一度手に力を込めるが真山様の拘束に手も足も出ない。
 ひょろひょろな私の身体を止めることなど、がっちりとした真山様には簡単な事なのだろう。その上雅様からまで咎めるような声をかけられれば、私の闘志など直ぐに萎んでしまった。

「それを放すんだ」

 振り上げたままの手からは破片で切った傷口からダラダラと血が流れ落ち、高級な絨毯に染みを作る。
 闘志を完全に消失させた私は力を抜き、血にまみれたティーポットの破片を手放した。

「真山、紫を手当してやってくれ」
「はい」

 そのまま真山様に肩を押され部屋から退出させられる。
 私の犬としての生活もこれで終わりを迎えるのだろう。
 そう思っても、今の私にはなんの感情も湧きはしなかった。


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