流れ星【後編】***
例の少年が言った通り、雅様は昼過ぎには戻られた。
少し慌てた様子で部屋に駆け込んでくると、「何も無かったか!?」と私に聞く。昼間に現れた少年のことを話そうかと思ったが、何となく止めたほうが良い気がして何もなかったと報告した。
その答えに満足したのかどうかは全く分からないけど、ただ黙ってジッと私を見ていたかと思うと、雅様が徐ろに私の首を撫でた。
「アレはどうした」
一瞬何のことだろうと首を捻ったが、直ぐに思い当たる。
「棚に仕舞って有ります」
以前雅様より誕生日に頂いた、薔薇の花のネックレス。丁度いま付けられている白い首輪と重なってしまうので、引っかかって細い鎖が切れたりしたら困る。
私は首輪を付けられた翌朝にはネックレスを外し、私専用の棚に仕舞いこんだ。
「何で付けない」
少しだけ怒った様な口調に、私は慌てて弁解する。
「でも、首輪で傷がついたら嫌なのでっ、その…」
懇願するように訴えれば、雅様は少しだけ残念そうな顔をしたけれど「そうか」とだけ言って引いてくださった。
その日の晩も、私たちは肌を重ねることなく静かな眠りについた。
そして翌朝も目を覚ますと既に雅様の支度が済んでおり、私はがっかりした。もう六日も雅様に触れられていない。本来の犬とは、こんなものなのだろうか…今までが幸せ過ぎたのかもしれない。
私の気分はもっとずっと奥底へと沈んだ。
その日、またしても昼過ぎに激しくドアノブが揺すられる。その音に今度こそ私は警戒してベッドと壁の隙間に身体を落とした。
目だけを覗かせて扉を見ていると、矢張りそれがギギギとゆっくり開き始めた。
「あれ? おいっ、何処にいる」
まだ幼さを残すその声は、雅様同様に変声期をまだ迎えていない。そう、雅様と同じなのに、何故か妙に耳障りだった。
「何だ、そんなところに隠れていたのか」
隠れていたのに呆気なく見つかってしまい、更に彼はケラケラと笑いながら私に近づいてくるので、私は思わず唸ってしまった。
「へぇ、ご主人様に操立てちゃってる訳だ」
睨んだまま唸り続ける私に、少年は再び嫌な笑を見せた。
「なぁ、犬っころ。ボクは雅とどんな関係か知っているか?」
彼から雅様の名が出て、思わず唸りを止めた。
「ボクは雅の従兄弟だ。聖さんの兄が、ボクの父。父は聖さんの仕事に多大な寄付をしている。その寄付が無くなったら、きっと聖さんは大変だろうね…」
言いたいこと、わかる? と可愛らしく首を傾げるが、言っている内容が物凄く可愛くない。
「……つまり、私に何をしろと言いたいのですか」
初めて口を開いた私に、彼は一瞬驚いて、次の瞬間には既に笑っていた。
「良いね、理解が早いのは好きだよ。じゃあさ、ボクにも遊ばせておくれよ。雅ともヤっているんだろう?」
そう言って少年がベッドへ身体を乗せると、私にもベッドへ上がれと顎で指示を出す。
「ほら、雅にいつもしているみたいにボクにもして見せろ」
言われた通りにしなければ、聖様に迷惑がかかる。もしも聖様に何かあれば、必然的に雅様にも災難が降りかかるのだ。
「私は雅様の犬です。私から何かをすることは出来ません。ですから、貴方のお好きな様に為さって下さい」
そうして私が黙ってベッドへ上がり仰向けになると、その少年は大きく舌打ちをする。
「何だよそれ、ムカつくなぁ。だったら言う通り好きなようにさせてもらう」
抵抗するんじゃないぞ、と言ったと同時に服を引き裂かれた。身体の上に乗り上げられ、彼に肌を撫でられ……
「いたぁあ!?」
「あ!」
無意識の行動だった。肌を撫でられた感触に耐えられず、思わず上にいた少年を張り倒していた。
「何するんだ!!」
「す、すいません…思わず…」
私も思わず真剣に謝ってしまう。そんな私に彼も毒気を抜かれたのか、再びベッドへ戻って来る。
「ったく、今度はジッとしてろよ!」
「はい…」
「だぁっ!!」
「あ、ご、ごめんなさいっ」
「あがっ!」
「わっ! ごめんなさい!!」
「あだぁあああっ」
「ああああ、ごめんなさいぃ!」
雅様の為だと思うのに、彼に触れられるだけでどうしても身体は拒絶反応を起こす。
始めに腕を縛られて、次には足も縛られて。どんどんと拘束は酷くなっていくのに抵抗を止められない。
そして結果、雁字搦めに縛り上げられたところでその蓑虫の様になった私をみた彼は、ふるふると肩を震わせ、声を上げて笑い始めた。
私も良い加減これはないな、と思う。あちこち縛られすぎて、これではセックスなど出来やしない。目の前で涙を流して笑う彼を見て、私まで釣られて笑いかけたその時。
「紫っ!!」
部屋の中に嵐のごとく駆け込んできたのは、他の誰でもない雅様だった。
「朝日!?」
「あ、雅」
雅様の形相に恐れることもなくゆったりと振り返る、朝日、と呼ばれたその少年。しかし、私の姿を見た雅様の瞳に更なる怒りの焔が灯る。
「朝日…紫に何をしている」
「な…、ちょ、本気になるなって、遊びだろ? お前があんまり隠したがるから気になっただけさ。ついでにちょっと遊んでやっただっッ!?」
言い切る前に、バキと嫌な音がした。
「出て行け」
地を這うようなその声に、少年の瞳は驚きに揺れる。
「出てけっ!!!」
「わ、分かったよっ」
少年は、慌てて部屋の外へと駆けていった。初めて雅様の怒鳴り声を聞いた私も思わずぽかんとしてしまう。
私が呆けている間も、雅様は黙々と私の拘束を解いていった。
「何をされた」
「え…あの」
「朝日にされたことを全部言え」
雅様は……泣きそうな顔をしていた。
「アイツの事だ。どうせお前を脅しでもしたんだろう」
何をされたんだ、と優しく私の頬を撫でる雅様に、私はベッドの上で土下座した。
「申し訳ございませんっ! 私は…私は……雅様以外ダメなのですっ。私の身体一つで済むのならばと思いましたが、どうしても、どうしてもダメで…」
端から見れば、子供に全裸同然の格好で土下座する姿などとんでもなく滑稽であろう。
でも、私は必死だった。
雅様を、聖様を守ろうとしたけれど、何一つ満足に出来なかったのだ。
「肌に触れられることすら…私には……えぐっ、うえぇ」
遂に泣き出してしまった情けない私の顔を、雅様が上げさせる。
「つまり、何もされていないってことか?」
「ふぇ、は、はい…何も、何も出来ませんでした…」
はぁ…と雅様が深く溜息をついたのに、私の肩がビクリと跳ねた。
「紫、今後僕たちの為だと脅されても、絶対に言うことは聞くな」
いいな? と言われ、私はこくりと頷く。
「僕しかダメなのか?」
「はい」
「どうしてもか」
「はい」
「僕は良いのか」
「はい、雅様じゃないと…んっ」
嫌です…と言う言葉は雅様の唇にかき消された。
その日はたくさんたくさん、雅様に触れて頂いた。もう無理だと私が泣いても、雅様は私を離しては下さらなかった。
何日も触れてもらえたかったことに不安を抱えていたことなど、いつの間にやら忘れ去っていた現金な私は、思う存分に満たされた。
ぐったりと横たわった私の髪を、白く綺麗な指でゆっくり優しく梳いてくれる。
「閉じ込めて繋いでおけばと思ったが、そっちの方が危険だな」
独り言の様にぽそりと呟かれた言葉は、ぼんやりとした私の頭ではあまり上手く理解できない。
「僕じゃなきゃダメか…?」
今度はちゃんと理解できた。
啼き疲れた喉では声も出せぬまま、それでもこくりと顔だけ動かすと雅様は「そうか」とだけ言って、ふんわりと笑んだ。
そう、笑んだのだ。
薄れゆく意識の中で、それだけが流れ星の様に光って消えた。
―翌日―
「なぁアンタ面白いオッサンだな」
「私に話しかけていると雅様に怒られますよ?」
「バレなきゃ良いんだよ。なぁ、ボクの犬になる気はないか?」
「有りませんし、有り得ません」
「まぁまぁ、そう焦って答えを出すなよ。ボクひと月はここに居るから、よーく考えてよ」
朝日少年は、中々に打たれ強い少年だった。
雅様の不機嫌の理由はこれだったのだ、と今更ながらに理解した私も、深い深い溜息をついた。
END
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