3
朝起きると、時計は十時を回っていた。もちろん、休日なんかではない。
携帯には友達から何通もメールが入っていて、内容を確認してうんざりした。まぁ、あんな人の多い所で言えば当たり前だけど。
『お前、斎藤くんと別れたって本当!?』
『さっき斎藤軍団の一人がウチのクラスに優を探しに来たけど、今日は休み?』
『今日来れるの? 風邪??』
こんなに騒がれていると出て行きにくいが、明日になったところで騒ぎは収まっていないだろう。仕方なくダルい体を無理矢理起こし、制服に着替えて家を出た。
学校に着くと、思った以上に騒ぎは大きかった。斎藤くん、流石有名人。
うんざりしながら教室に向かう途中、運悪く斎藤軍団の一人に鉢合わせた。しかもA君。A君は額に青筋を浮かべて僕の腕を掴むと、凄い力で引っ張って歩き出す。教室とは逆方向、屋上の方へと。
「ちょ、ちょっと何するの、痛いよ!」
「うるせぇ! 黙って歩け!!」
そのまま引きずられるようにして屋上まで連れて行かれれば、予想通りのメンバーが。
「あ、宮ちゃんだ」
いつの日か聞いたことのある、緩い話し方をする人B君だ。て言うか、宮ちゃんて呼ばれてたんだ、僕。
「ねぇコウちゃん、宮ちゃん来たよ」
B君の視線の先には、僕の好き…だった人。鋭い、突き刺さるような目で僕を見て、また直ぐに視線を逸らす。
見たくもないってこと?
心が痛い。
話そうとしない斎藤くんに焦れたのか、B君が変わりに口を開いた。
「宮ちゃん、いま学校で流れてる噂知ってる?」
「…噂」
「そう、コウちゃんと宮ちゃんが別れたって噂。あ、違うか。付き合ってない、だった」
優しいでも、怒ってるでも無い話し方。でも、普段の緩さは何処かへ仕舞っている様だった。
「…友達から聞いた」
「そう。噂、ってもの違うね。ボクらのクラスの子から聞いたの。昨日、宮ちゃん本人から聞いたって。僕は斎藤くんと付き合ってない。って言ったって」
「おい、テメェそれ本当なのかよ!?」
今まで黙って聞いていたA君は遂に我慢出来なくなったのか、また僕の胸ぐらを掴んできた。僕はその手を振り払って答える。
「言った。昨日聞かれたから、付き合ってるのは本当かって聞かれたから、付き合ってないって答えた」
そう答えると、斎藤くんがさっきまで逸していた目をこちらに向けて口を開く。
「は? お前、何言ってんの?」
先ほどの突き刺さる視線は序の口で、今なら射殺されてしまいそう。でも僕も、負けるわけにはいかなかった。
「何か、間違ってる?」
「あ?」
「僕たち、付き合ってなんかいないよね?」
「テメェ!!」
「君はちょっと黙ってて。これは僕と斎藤くんの問題でっ」
口を挟んできたA君に苛立って反論すると、言い切る前に頬に鋭い痛みが走って地面に倒れた。口の中を切ったようで、血の味が口内に充満する。
「中田、止めろ」
「塚原! でも、コイツ!!!」
更に僕を殴ろうとしたA君、改め中田くんを止めたのは、B君改め塚原くん。
「止めろ」
「っ!! チッ! コウに付き合って貰っといて、テメェはっ!!」
口に溜まった血を吐き出しながら立ち上がる。
「君が言った通り、身の程を知ったんだよ」
「はぁ?」
「中田、ちょっと黙ってろ。宮ちゃん、ちゃんと話してくれるよね?」
こんな時だって、僕は斎藤くんと話せていない。笑っちゃうよね。一体僕は、誰との関係を話せばいいの? ホント、笑っちゃう。
「この一ヶ月間は、僕にとって地獄だった」
◇
僕が斎藤くんを気になり始めたのはもっと前のことだけど、好きだと自覚したのは一年生の体育祭の時。
忘れているかもしれないけど、斎藤くんのクラス、リレーで途中までトップだったのに、ひとりバトンパスを失敗した子が居た。
結果、一位は取り逃してしまった。
その失敗してしまった子は、僕の友達だったんだ。その子、相当落ち込んでて大泣きしてた。
だけどその時、通りかかった斎藤くんが「頑張った結果なんだ、仕方ねぇだろ」って声を掛けたんだ。それだけ言ってそのまま立ち去っていったけど、彼にとってはそれが凄く励みになった。
自分の頑張りを認めてくれてるんだって。
分かってくれてる人がいるんだって。
失敗は悔しくて、未だに思い出したくないって言ってるけど、それでも立ち直れたのは斎藤くんの一言があったから。
それから沢山、斎藤くんの言葉の中の優しさに気付く様になった。素っ気なかったりキツかったりする中にある優しさが、凄く…格好良いと思った。
僕は告白したあの日、斎藤くんに振られると思ってた。だけど君は、予想外にもOKをくれた。僕は、天にも登る思いだった。
だって君は、好きになる要素がなければ振るのでしょう? だからこそ僕は、好いて貰えるように頑張ろうと思った。少しでも君に近づけるよう、少しでも君の事を知れるよう努力した。
だけど、全部ダメだった。
僕ひとりの力では、斎藤くんは遠すぎて。
そう言うと、斎藤くんも塚原くんも、あの中田くんでさえも黙ってしまう。見られているのはわかるけど、その表情は分からない。僕の視界はぼやけているから。
「どうして僕を振ってくれなかったの?」
ひゅっ、と誰かが息を飲んだ。
「好きじゃないなら、何で振ってくれなかったの」
変に期待を持たせないために、キッパリ振っているはずでしょ? 偽善的な事は嫌いなはずでしょ?
――平凡な僕には、そんな気遣いも必要ないと思ったの?
「ッ! 一緒に居ただろう!!」
「一緒にいた? お昼休みのこと? あんなの、同じ空間にただ存在しただけでしょう。一言も話なんてしなかったじゃない」
好きな相手に、空気のように扱われることがどれだけ辛いことか、言わないと分からない?
「中田くんが言うように、可愛くもなければ格好良くもない単なる木偶の坊の僕は、身の程を知った。きちんと振ってすら貰えないような立場なんだって」
「っ!!」
「僕、もう君を好きでいたくない。こんな思いをするのは二度とごめんだよ」
いま言うべきことは全て言った。何か言おうとしてるのか、口をパクパクとさせている斎藤くん。でも僕はその場に居たくなくて、屋上から駆け出した。
屋上からの階段を駆け下りたとき、呼ばれて腕を引かれた。
「宮ちゃん!!」
「塚原…くん」
「ねぇ、待って? お願い。多分色々誤解有るし、ボクらも悪かった自覚あるし、ちゃんと話しよう?」
「必要ない。もう十分過ぎる程分かったから。だからっ、これ以上僕を惨めにさせないで!」
最後の方は殆んど叫ぶようにして言うと、塚原くんの手を振りはらって走り出した。
「宮ちゃんっ!!」
こんな時でも、僕を呼ぶのは君じゃないんだね。
いつの間にか溢れていた涙は、家に着く頃には流れ尽くして何処かへ消え去ってしまった。
悲鳴をあげ続ける、僕の心だけを残して。
次へ
戻る