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最終話


『どうして泣いてるの?』

 と、目の前に立つ美しい男は言った。
 それは何度も夢の中で見たあの人で、俺は無意識に奥歯を噛んだ。

「あんたには…分からないさ。彼奴に愛されてた、あんたには」

 悔しくて目に涙が滲む。
 今更気付いたって、気持ちを認めたって遅い。彼奴はもう、沼の底へ沈んでしまった。そしたら男はこう言った。

『助けてあげればいいじゃない』と。

 当然俺は激昂した。
 そんなことが出来るなら、とうの昔にやっている。
 この人は俺を馬鹿にしているのだろうか。

 だが、男はただ優しく微笑んで言うのだ。

『名前を呼んであげるんだ』
「あんた、本気で俺を馬鹿にしてるのか!? 俺はあんたと違って嫁じゃない! 愛されてないから、名など知らねぇよ!!」
『ううん、君は気づいてるはずだよ。彼の気持ちを』

 そう言って、男は白く細い手で俺の顔を包み込んだ。

『僕は君じゃない。だけど、君は僕なんだよ』
「は…? なに、言って…」
『お願い、もう彼を独りにしないで。側に居てあげて』

 だから聞いて、彼の名を。
 君に聞いて欲しい、あの神聖な音を…

「あ"あ"ぁ"あ"ッ!!」

 頭の中が逆回転を始める。
 強烈な痛みにもがき苦しんでいると突然、真っ白な世界に立たされていた。

 何もない、本当に真っ白な世界。
 一人ぽつんと立つ俺に、誰かがゆっくりと近づいてくる。それは白く長い髪に、赤く光る、瞳孔が縦に開いている瞳を持つ男。
 忘れる事など出来ない、その出で立ち。

「蛇……が、み?」

 それは紛れもなく、あの蛇神だった。
 彼はゆっくりと俺の前に立つと、ふわっと微笑み、そして俺の短い髪を耳にかけさせ耳元で囁いた。

 ―――――――――――、、、と。

 俺は驚いて蛇神の顔を仰ぎ見る。すると蛇神はコクリと頷いて、俺に呼べと目で訴えた。そして俺は口を開き呟いた。確かな声で呼んだのだ。


 そう、彼の名を――――――――




 ◇



 蛇神が沼に落ちていったいどれ程時間が経ったのか、ハッと気を取り戻すと目の前の沼の上に知らない男が浮かんでいた。

「名を呼んだよな、お前こいつの嫁か?」

 何だ、やっぱりまだ使命が終わって無いじゃないか。と良く分からない事を言ったその男の腕の中には、ぐったりとした蛇神の姿があった。

「全く無茶しやがる。ほら、早く背中を貸せ」

 え? と声を出す前に、訳知り顏な男に指示され思わず背を向けた。すると男はその背に蛇神を乗せる。

「今すぐ隣山まで走れ。こいつが居れば道は開ける」
「え!? あ、あのっ」
「時間がねぇぞ、さっさと行け。この森は浄化に時間がかかる…そいつが目覚めたら貸しはデカイと伝えておけ。じゃあな」

 そのまま男は沼の中に消えていった。そこで漸く彼が人では無いのだと気付くが、もう姿は何処にも見えずそこにはただ、意識を失った蛇神と自分だけが存在していた。



 先ほどの男に言われた通り、山を下りることだけを考えて兎に角走った。
 だが蛇神に甘やかされたこの一ヶ月ほどで、俺の身体は随分と体力を失っていたようだ。
 村へ下りる坂道を手前に、遂に俺は膝をついた。

「ちっくしょう…」

 己の身体よりも体格の良い男を一人背負い走るのは、かなり骨の折れるものだった。
 膝は俺を嘲るようにガクガクと笑い、息は上がり切っている。その上この坂にさしかかってからは雨が降り始めていた。身体が冷えて中々言うことを聞かない。
 どうにか立ち上がろうとするが足に力が入らず再び崩れ落ちる。

「ちくしょう…」

 もう一度呟いたその時だった。

「篤史っ!!」

 坂道の方から聞き覚えのある声が聞こえた。

「篤史っ!!」
「篤史さんっ!!」

 しかも二人分。

「祐介…? と、康介!?」

 それは、隣の村へ避難したはずの二人だった。

「良かった! まだ無事だった!!」
「祐介、なんでここに!?」
「ずっと村の近くに潜伏してたんだ。やっぱりお前を置いていくなんてこと、出来ないから」
「すみません遅くなってしまって。思いの外リンの監視が厳しくて」

 申し訳なさそうにする康介の顔は、矢張り祐介に良く似ている。

「いや、本当に助かった。来てくれてありがとう」

 ほっとした俺に、康介が照れたように笑った。

「ところで、リンは…」

 その言葉に俺は首を横に振る。それだけで二人は、詳しい事は分からずともリンの末路を悟った様だった。
 細かい話を省き、俺は隣山まで行きたいことを二人に告げた。二人も理由は聞かずにいてくれた。

「俺が背負います」

 一番体格の良い康介が蛇神の身体をヒョイと背負う。そのまま俺たちは山を駆け下りた。森を離れるにつれ、雨足はどんどん強くなっていく。

「この雨はまずい、隣山も大丈夫か!? 土砂崩れを起こすかもしれないぞ!?」

 雨の異常な降り方に祐介が疑念を抱くが、何故か俺は先ほどの男の言葉を信じるべきだと思った。

「いや、寧ろ隣山に行かないと不味い気がするんだ。頼む、ふたりも一緒に来てくれ」

 俺がそう言うとふたりは一瞬互いに目を合わせ、そして俺の方を見て言ってくれたのだ。「俺たちはお前を信じる」と。
 やがて隣山を途中まで登った時、遠くの方で地響きを感じた。

「何てことだ…」

 祐介が言葉を失った。その視線の先には、彼が恐れた通りに山が土砂崩れを起こしていたのだ。
 しかしそれは今登る山ではなく、俺たちが先ほどまで居た、あの蛇神の森だった。

「村が……」

 蛇神の森の真下にあった村は、跡形もなく森の土砂に流され埋まっていた。それを見て俺は、皮肉なものだと思った。
 人を生贄に出してまで欲しかった雨。だが、結局はその雨に村ごと潰されてしまったのだから。
 もしかすると蛇神の存在で保たれていただけで、元々地質が水に弱い場所だったのかもしれない。

 村は押し流されてしまったが、俺はそれで良かった気がした。あの村にはもう、幾つも無残な死を遂げた者たちの血が流れている。そんな村はいっそ、消えて無くなってしまった方が良いと思ったのだ。

「祐介、康介。行こう」

 足を止めてしまったふたりを促し、俺は行くべき場所に向かい足を再び動かした。




 
 ◆



「ぅ……ん」
「蛇神!!」

 目を覚ませば、目の前で篤史が心配そうに私の顔を覗いていた。

「うーん…お前、窶れたか?」
「このっ、アホ!!」
「あだっ!」

 冗談めかして言って見たものの、篤史の顔は本当に窶れていた。

「あたた……しかしお前、本当に顔色が悪いぞ? 大丈夫か?」

 すると途端に篤史は目に涙を浮かべるもんだから、私は兎に角焦った。

「なっ、何じゃ! どうしたっ! どうしたんじゃ!?」
「なぁ、分かってる?」
「へっ!?」
「あんた、ひと月も寝たきりだったんだ…ずっと、死んだみたいに眠ってて、俺…」

 リンと一緒に沼に落ちるし、沼から出て来たかと思ったら目を覚まさないし。とポロポロ泣き始めた篤史を見て、私は漸く自分の状況を思い出した。

「んん? 私は沼に落ちたんじゃろ? なんで…」

 何で生きてる?

 人は良く勘違いしがちだが、神にも命はある。命があると言うことは、つまるところ生と死が存在する訳だ。
 私は確かにあの時、リンに刃物で刺され、沼に落ちた。あの沼は輪廻の輪に繋がっており、落ちれば命はその輪に戻される。

 人と同じように、神である私も本来輪廻の輪に戻るはずだった。だが、何故か私はまだこの世界に止まっている。

「知らない男が、あんたを抱えて沼の上に浮いてたんだ」

 そして篤史はその男から私を受け取り、隣山のここへと運んだと言う。

「可笑しいのぉ…幾ら神とて一度落ちたら戻れぬはずじゃが…」
「あ、えと…その人が、まだあんたは使命が終わってないって言ってた」

 鼻をすすりながら言った篤史の言葉に、私は更に首をかしげる。
 神の使命はその神によって色々とあるが、私に対しての使命などそれほど無い。託された森を見守ることと、そして妻を娶り子を成すこと。

 私を沼から引き上げたのは輪廻の神であることは間違いないが、状況から見てあの森はもう闇に飲まれ過ぎて手遅れだった。守る事は無理だ。だとすると…

「子を成すこと、か…?」

 私が妻を娶っていたのだとしたら、それを理由に助けられるのも分かる。
 私達神は、人間である妻よりも先にこの世を去ることは許されないからだ。ある意味使命とは、子を成すだけでなくしっかりと次の神を育てることを指している。
 だが、私にはまだ妻は居ない。

「一体どういうことじゃ…」

 ふと篤史を見れば、驚くほど赤い顔をしていた。

「おい篤史。お前その顔は何じゃ」

 私の座る場所から少し離れて正座したまま、赤い顔をして俯いている篤史の腕を掴み引っ張った。

「こら、お前何か知っとるじゃろ」
「へ、蛇神…」
「……ッ、」

 私を見上げた篤史の顔に、私はゴクリと唾を飲んだ。

「分かんない…?」
「………」
「あんた、さっきから俺の名を呼ぶんだ。情が湧くからってあんなに嫌がってたのに、躊躇いもなく俺の名を」
「あ…」
「俺たちの関係は、変わったんだ。あんたが俺を呼べるように、俺も呼べるんだよ、」



 ――――あんたの名を。





 私と篤史の間で夫婦の契約が成立した事を聞かされ、嬉しい気持ちと共に、何故か重い荷を降ろしたような気分になった。

「あの人が連れて行ってくれたんだ、あんたの所へ」
「明彦が?」
「俺は、あの人の生まれ変わりなのかな…あの人言ったんだ。『僕は君じゃないけど、君は僕なんだ』って」

 何となく嫌そうな顔をした篤史に、私は笑えてきた。

「いいや、生まれ変わりではないと思うぞ? お前と明彦は余りにも似ておらんし」
「どうせ俺はあんな綺麗じゃないよ!!」

 篤史はぷうっとムクれた顔をして、私からプイと顔を背けた。そんな幼子の様な姿に益々笑える。

「ばっかじゃのお。ほれ、こっち向け」
「やだ!」
「良いから、ほれ」

 両頬を手で包んでこちらを向かせれば、また少し目に涙を浮かべている。丸呑みにしてやりたいほど、愛おしいと思った。

「ンっ、んん、はっ…な、何すんだよ」

想いを抑えきれず口付ければ、予想通り顔を朱に染める。

「良いか? 何をそんなに気にしておるか知らんが、もしもお前が明彦の生まれ変わりだったとしても、私はお前と明彦を同一視など出来はせん。私は今のお前を好いとるんじゃから」
「なっ、なっ、」
「じゃから、非常に納得のいかんことがあるんじゃが?」

 そう、とても気に入らない事が一つある。

「私はお前を好いておる。好いておるからこそ、無理強いをしたく無かったんじゃ。お前、私の名を明彦に言わされたんじゃろ?」
「え?」
「私の名を、妻になろうと思って呼んだ訳ではあるまい」

 私と夫婦の契約を交わすには、私本人から名を聞き、そしてそれを呼ぶ必要がある。
 話を聞く限り、篤史は明彦の導きによって私の意識の中に入り込み本能のままの私から名を知らされると、考える時間も与えられぬままに私の名を呼ばされたのだろう。
 この子が妻となることは嬉しくもあるが、だが、決して無理に手に入れたい訳では無かったのだ。

「少々手順は面倒ではあるが、一応契約を破棄もでき「ふざけるなよっ!!」」

 私は久しぶりに目を白黒させた。
 目の前では、今まで見たこともない程に怒りを露わにした篤史が、その怒り故に体を震わせていた。

「無理矢理だったら、とっくにこんなとこに止まっちゃ居ない! 直ぐに逃げてるよ!! 蛇神だって、本当は知ってるんだろ? 気付いてたんだろ? 俺の気持ち…」
「篤史…」
「あんたは優しいから、俺が自分の気持ちを認めるまで待っててくれたんだろ? 俺だってここまで来たら、もう逃げやしねぇよ!」
「っ、」

 ぎゅう、と篤史が私に抱きついてきた。その温もりが懐かしかった。その匂いが、酷く私の心を揺さぶった。
 しがみ付く篤史の背に、私も腕を回す。

「好きだ、好きなんだよ。あんたの“明彦(過去)”に嫉妬するくらい、俺はあんたのことが、好きだ…」

 
 あぁ、愛おしい人の子よ。


「だったら、今度こそ私の目の前で名を呼んでくれ」

 意識の中で無く、今ここで。
 お前のその音で、私の名を、呼んでくれ…






 遥か遥か昔、『蛇神の森』と呼ばれる、神の住む森があった。
 その森は二つの山が寄り添う様に連なっており、後に夫婦山(めおとやま)と呼ばれる様になった。
 森の下の村が無くなってから数百年経った今でも、人が遠方より幻の沼を探してその森に入る。
 もしもその沼を見つけたならば、その者は生涯夫婦円満に暮らせると言い伝えられているそうだ。





「さぁて、それじゃあ森が復活するまでやる事も無いことじゃし、子作りに専念するかの!」
「わっ、ちょ、何処触ってんだよ!」
「なんじゃあ、夫婦なんじゃからもう我慢せんでも良いじゃろ」
「な、何でそう言うことにっ」
「言うておくが、神と人が子を成す為には一年間交わり続けんといかんのじゃからな? 精々愛され過ぎて苦しめよ」
「え!? うわぁあぁあっ!!」


終わり☆


番外編1



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