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「うわぁ…一体その顔どうしたの? 更に酷くなってるよ?」
態とらしい心配げな顔はまだ良いとして、“更に”は大分余計だ。
「分かってる癖に聞かないで下さいよ! あの野蛮なチビ犬共に叩かれたんですよっ!」
部長が今度こそ吹き出しそうな顔で見つめる俺の顔は、両頬がパンパンに腫れていた。
◇
会長にインタビューを取り付けようと奮闘する事一週間。
会長の親衛隊からの妨害(と言う名の暴力)が酷くなる一方で、成果は全くと言っていい程上がっていない。
今はまだ誰もが何となく知っているようなあの男の情報を、チビチビと載せて繋いでいるという苦しい状況だ。
「あんにゃろぉ…ちっとも部屋から出て来ないんスよ。その上出て来ても親衛隊はべらしてるし」
転校生にかまけて仕事を放棄している他の役員に比べれば、確かに多忙な中良くやっていると思う。学園の細々とした行事が滞りなく進んでいるのも、まぁ…奴のお陰なのだろうから。
だかしかし、だ。
生徒会室を尋ねれば必ずと言って良いほど中には親衛隊が居て、そいつらが俺を追い払いに来るのだ。それ自体も問題では有るのだが、何が一番カンに触るかと言うと。
「あの男、さっきも情事後でしたよ!? いい加減にして欲しいっスよ!」
そう、奴はこんな忙しい時ですら性欲の解放を怠らないのだ。
「まぁまぁ、彼だって息抜きも必要なんでしょ」
氷嚢を作って渡してくれた部長の言葉に、俺は思わず目を見開いた。誰とでも簡単に肉体関係を持つことを、“息抜き”と言えてしまえる先輩に驚いたのだ。
「先輩も意外と……ゲスっすね」
冷やそうとしていた頬がもう一回り腫れることになった。
「おかえり、郵便来てたよ」
寮に戻ると同室の瀬野が封筒を差し出した。
「あ、さんきゅー…って、げっ」
渡された封筒は実家からだった。
大抵実家から届くものは碌でもないと知っている。そうして中身を確認すれば、案の定俺の大嫌いなパーティへの招待状が同封されていた。そして添えられたメモには『強制』の一言。
「なぁ、これ瀬野んちのホテルだよな? お前もこのパーティ行くの?」
この学園には御曹司ばかりが通っていて、規模は大なり小なり有りながらもその比率は生徒の半数を占めている。瀬野も例に漏れず金持ちの家に生まれた口で、強制参加を言い渡されたパーティの開催場所は瀬野の家が経営している有名なホテルだった。
「いや、今度は兄さんが行くから俺は行かないよ」
「へぇ、達樹さん日本に戻って来てるんだ」
パーティの殆んどを瀬野グループのホテルで行っていた為、少なからず顔見知りだった瀬野とは入学して部屋が一緒になってからはあっという間に仲良くなった。
目を完全に覆い隠した前髪に、割とがっちりした体格と高身長と言う瀬野の容姿に不気味なものを見る目を向けるものが多いが、中身はとても穏やかで優しい男だ。また、彼の兄である達樹さんも同じくとても優しい人だった。
煌びやかな容姿を持ちながらも、人から嘲笑われがちな俺の容姿なんてなんのその、いつも会えばとても良くしてくれる。
「うん。今回は割と規模の大きいパーティだし、兄さんも挨拶するみたい」
「そっか、会えるの楽しみだな」
退屈でしかない大人の社交場へ行く憂鬱な気分も、達樹さんのお陰で幾らか払拭された。
◇
遙か彼方にぶら下がる豪華なシャンデリアを見て、純粋に胸をときめかせたのはいつの頃だったか。ノンアルコールのグラスを手に持ったまま、俺は大きなため息を付いた。
「なぁに、もう疲れちゃった?」
俺の目の前に立ったのは、瀬野のお兄さんである達樹さんだった。
「あ、達樹さん! お久しぶりですっ」
嬉しい感情そのままに挨拶をすれば、達樹さんはにっこりと綺麗に笑った。
暫く達樹さんと他愛も無い事を話しながら立食を進めていると、遠くの方でワァっと賑やかな声が響いた。何だ? とその方へと顔を向ければ、同じテーブルで食事を取っていた同年代の令嬢や子息たちの目も釘付けになっている。
「やっとお出ましだね」
「え、有名人でも来てんスか?」
「ははは、キミは本当にいつも出席簿を見ないよね」
だって興味無いし、とムクれた俺を見て達樹さんがまた笑う。
「仕方ない子だね。今日のメインは芸能人じゃなくて、キミの大嫌いなア、イ、ツ…だよ?」
「………はぁ!?」
ちょっと考えた後に思い至った答えに驚愕した。
「ななななっ、何でですかっ! 俺たちの会社とは業種が全く別でしょう!?」
「いつもならそうだけど、今日の繋がりは言ってしまえば“金”だからね。彼等が呼ばれない訳ないよ」
「げぇぇ」
畜生…騙されたっ! 俺はあの男が大嫌いだと家族だって知っているはずなのに寄こしたと言うことは、少なからず顔見知りになっておけと言う意味なのだろう。図らずとも十分学園で纏わりつく羽目になっていると言うのに…。
うううっと頭を抱えた俺の居るテーブルに、こっちの想いを無視して悠々と近づいてくる足音が一つ。
「よお」
低く少し掠れた様な色気のある声が、とても短く挨拶をした。
それだけで同じような年恰好の者達だけが集まったテーブルは、男女違わず黄色い声を上げた。
「重役出勤かい、流石だね」
「主役は遅れて来るもんだろ」
達樹さんの嫌味もサラリと受け流す、正統派(に見える)イケメン。それはどこからどう見ても、俺の大嫌いな黄銅学園のトップ、楢崎斗真だった。
「へぇ、お前も居たんだ?」
達樹さんの横で、片方の口端だけを上げて俺を見下ろしてくる会長。
どうせ出席簿をチェックして知っていたくせに、そんな事をいちいち言ってくるこの男が本当に腹立たしい。
「……どうもぉ」
失礼極まりない適当な挨拶を口にすると、プイッと俺は顔を背けて食事を再開する。
「………」
「………もおっ、何ですかぁ?」
ビッシビシと横顔に刺さる会長の視線に耐えきれず吠えると、会長が驚いたように目を見開いた。
「お前、どうしたの。いつものあのストーカーみたいなしつこさは何処行ったわけ?」
「ストーカー言うな! 正当な取材だ!!」
大変不名誉な称号を頂いてしまった為カッとなる。
「楢崎君、この子、今日ここへキミが来ること知らなかったみたいなんだ」
「はぁ?」
「げぇ…何スかその反応。誰もかれもがあんたを意識してると思ったら大間違いっスよ」
何時か言ってやりたいと思っていたセリフを吐きだすと、俺は旨そうな骨付き肉に食らいついた。その瞬間周りから「アイツなんて事言ってんだ不細工のクセに」みたいな不満の声がワッと上がった。
見目麗しい奴らって本当に鬱陶しい…
「いや、お前が俺を嫌いなのは十分知ってるけど」
「あ、そうスか」
「そうじゃなくて、良い機会だって思わないのか?」
今日はチワワ達が居ないんだぞ? と肩眉だけを上げるそんな顔まで嫌味なほどに整っていて様になる。
「それって、もしかして取材の話…してます?」
「それ以外無いだろ」
何バカな事言ってんだ的な怪訝な顔をされたのだが、俺はお構いなしに首を横に振った。
「無い。無いっすわ」
「は?」
「俺、仕事とプライベートは分ける派なんで」
折角今はまともな世界に戻ってきているプライベートな時間なのだ。まぁ多少会長の存在でぶち壊されてはいるけれど、少しでも今はあの学園の事を忘れたい。例え、それで仕事の絶好のチャンスを逃してしまったとしても。
考えながらうんうんと首を縦に振っていると、横から「ぶっ、っくく、」と漏れ出る笑い声が聞こえた。
「え」
「お」
その笑いはまさかの会長のもので、珍しく達樹さんも驚いていた。
会長は良くも悪くも基本ローテンション寄り。決して暗い訳では無いのだが、声を荒げて怒ったりすることも無いし、笑う時だって「ニヤリ」だか「ニタリ」だかの効果音が付く程度だ。
そんな男の笑い声ってのは、奴に興味の無い俺ですら驚くほど貴重なものなのだ。
「おい三澤」
まだ可笑しそうに笑っている会長が俺を呼ぶ。
「お前、来週から生徒会室に来い。勿論朝からだ」
「は!?」
「俺は大変忙しい。取材なんか受けてる余裕は無い。でも、もしもお前が俺の仕事を手伝うと言うなら……取材を許可してやってもいい」
「っはぁああ!?」
つまり、えっと…どういうこと!?
「側に居て勝手に情報収集すりゃあ良い、得意だろ」
「けど、ずっと朝から晩までアンタんとこ居なきゃいけないんだろ!?」
「ん? あぁ、授業の事なら免除してやるから心配すんな。親衛隊にもちゃんと話は通しておく」
「いやっ、そう言う話じゃなふへっっ!?」
抗議の言葉を言い切る前に、俺の両頬は会長の片手に圧迫されて口がタコみたいになる。そこで再び周りから非難の声が上がるのが聞こえたが、どこからどう見ても俺が被害者だっていい加減気付いて欲しい。本当不細工って損だ。
「何ふんふかっ!!」
「よぉく考えてみな。今日ここで絶好のチャンス逃しておいて、岩佐に許して貰えると思ってんのか?」
「…うふぇっ」
そう言えば招待状を受け取った次の日、週末にこのパーティへ出席すると部長に伝えると、とても満足そうに「そうかそうか、漸くチャンスが巡って来たね」と呟いていた事を思い出す。
新聞部部長の岩佐さんは、見た目こそふんわりしているが中身は真っ黒だ。そして絶対にドSだ。もしも俺がここで折角のチャンスを自ら望んでふいにしたとバレたら、あの黒い笑みを向けられ何をされるか分かったもんじゃない。
「ふほっ! ほのひひょーほのへ!」
(クソっ! この卑怯者め!)
「何とでも言え、俺は本気で人手が欲しいんでね」
「………」
「………」
暫く互いに睨みあっていたが、突然会長の口元がふるふると震え出したかと思うと、予想通り吹き出して笑い出した。
「ぶっ!! くくッ、ひ…ひでぇ顔っ」
明らかに俺の顔を見て笑っているものだから、俺の中で何かがブチリと切れて、周りの騒音すら打ち消すほどに叫んだ。
「あんひゃのへいでほぉぉおおーーーーっ!!」
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