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何あれ!!
和美ちゃんの珈琲嫌いが見事に俺のツボを刺激してくれた。
あんな如何にも甘い物は受け付けません、洒落た物なんか興味ありません的な顔しちゃって、まさかの紅茶好き。
あのきょどり様から言って相当珈琲が苦手なのだろう。“珈琲”と聞いて青ざめた和美ちゃんの顔を思い出し、俺はもう一度声を殺して笑った。
だけど決して馬鹿にしている訳では無くて、何と言うか、可愛らしいと思ってしまったのだ。これぞ正にギャップ萌え。
あの様子じゃきっとケーキとか甘い物は寧ろ好きだろうし、紅茶も結構拘って飲むタイプかもしれない。
先ほど俺が和美ちゃんに言った言葉は本当で、俺も珈琲より紅茶派。お気に入りの茶葉を戸棚から取り出すと、まだニヤつきの収まらない顔で水を火にかけた。
「おっ待たせー!」
小腹が空いた時用に買っておいたしっとり目のクッキーをお茶請けに、とっておきの紅茶を差し出した。
「……良い香りだな、オリジナルか?」
「当たり〜! やっぱ和美ちゃん、紅茶大好きなんだね。これね、割と安いのばっかりで作ってるんだけど超美味しいの。高級なのってやっぱ美味しいけどさ、俺は断然リーズナブルなもので美味しいのを見つける方が楽しいんだよねぇ」
あ、ちょっと語り過ぎたかなと思って和美ちゃんを見ると…。
「っ、」
俺を見ていた和美ちゃんが、まるでパンケーキでも頬張ったみたいにふんわり笑ってた。
「俺も割と安価な物で美味いのを探すのが好きだな。ココットって雑貨屋知ってるか?」
「えっ、あ、あぁ、うんうん、駅前のでしょ?」
動揺がバレないように平然を装う。
「あそこのオリジナルブレンドの紅茶も中々美味い」
「え? あそこ紅茶売ってるの?」
「店主が紅茶好きで、最近売り始めたんだ」
アンティーク調の店は見るからに女性向けな雰囲気で、その店に和美ちゃんが足を運んでいる所を想像して吹き出しそうになった。それを何とか我慢して、相手に気付かれなかったか盗み見る。
すると和美ちゃんは俺のいれた紅茶を一口くちに含んで味い頷くと、ジャケットの内ポケットからゴソゴソと何かを取り出した。
「ぶはっ!」
「………」
ギロリと睨まれてしまったが、笑うなと言う方が無理だ。だって、ポケットから出てきたそれは。
「あは! ハチミツっ!!」
“蜂川”で、あだ名が“プーさん”で、しかもポケットからハチミツ!!
「笑うんじゃねぇよ…俺はな、美味い紅茶にはとっておきの蜂蜜をスプーンに一杯入れて飲むって決めてんだ」
むくれながらもテーブルの上に置かれた小さくて可愛らしい小瓶から、琥珀色のトロリとした液体を銀のスプーンで一杯掬うと紅茶の中に溶かした。
「どう? 合う?」
「………ふっ、最高だな」
その顔はまるで紅茶に入れた蜂蜜の様に、甘く甘く蕩けていた。
いつ振りだろうか、誰かとお茶の時間を楽しんだのは。こんなに笑ったのは。
こんなにも、心が温かくなったのは……。
◇
「見て見てぇ、ココットのオレンジペコげっと〜」
和美ちゃんが生徒会の、いや、俺の救世主となってほぼ一ヶ月。日付も変わった仕事終わりにお茶をするのが恒例となっていた。
「オレンジペコなら合うな、今日はショートケーキだ」
「ショートケーキ!!」
始めの内は俺が用意していたお茶菓子。でも、とある日から和美ちゃんが持ってくるようになって、そのお菓子があんまり美味しかったからどこで売ってるか聞いてみると…『俺が作ったんだ』なんて腰を抜かす程驚く事実を明かされた。
甘いものが好きだろうとは思っていたし、実際ハチミツを持ち歩く程だったんだけど、まさかお菓子作りが出来るとまでは思わなかった。
あえてお菓子と紅茶をバラバラで用意することで、この紅茶にこのお菓子が合うとか合わないとかの討論もまた一つの楽しみになった。
心地の良い日々を過ごして行く内に、いつの間にか薄れた物悲しい気持ち。
ほんのひと月前には、もう死んだ方が楽なんじゃ無いかと思えた程に追い詰められていたのがまるで嘘の様だ。
仕事は相変わらず大変だ。六人で処理する仕事を二人で回しているのだから当たり前なのだが、けれどそれが今では楽しくも有る。
疲れても嫌な疲労感は無く、帰る前のこのお茶の時間は至福にも感じている。
和美ちゃん…
そう、和美ちゃんだよな、全ての変化の始まりは。
大元の元凶はまた別だが、“自分の中の変化”とすれば間違いなく和美ちゃんが原因だった。
変化の度合いは大きく、以前とは別の意味で眠れぬ夜が増えた。
触れたい…と思うのだ、彼に。
少なからず遊んで来たのだ、それが何を意味するのか分かってる。けど、そんなこと和美ちゃんに言える訳も無いし、ましてや今までの遊びとも訳が違う。
多分、俺は本気なんだ。
二人用に焼かれたケーキは見た目も大きさも可愛らしく、淹れたてのオレンジペコが更に食欲をそそる。
「えへへ」
「何だ、気持ち悪ぃな」
「いーのいーのぉ、さ、食べよっか」
一緒に居られるだけで幸せとか、そんな事を感じるとは思いもしなかった。愛だの恋だの、そんなもの信じちゃいなかったから。
自分に縋る相手を可愛いとは思っても、愛おしく感じることは無かった。どんな時だって受け入れ態勢で、側に居たいと、触れたいと思うことは無かったのに…今は無性に心が疼く。
和美ちゃんに触れたくて触れたくて仕方なくなる時がある。一瞬一瞬が貴重で、彼の表情を誰にも見せたくないと思う。
この時間を大切にしたいのだ。
「よしっ、じゃあ頂きまぁーす!」
「頂きます」
甘く美味しそうな香りを放つケーキと紅茶に手を伸ばし、至福のひとときを過ごそうとしたその時。
「あーーーーっ! 何だよ春樹!! やっぱり連れ込んでるじゃないかー!」
突如開け放たれた扉から、鼓膜が破けるのではないかと思う程の大音量を撒き散らし入って来たのは…
「皇太陽…こんな時間に何で!?」
「太陽って呼べって言ってるだろっ!?」
「う…」
声が大き過ぎて言葉として認識出来ない…が、耳を塞ごうとしたそんな中、とんでも無い言葉が入って来た。
「セフレなんかダメだって言っただろ!?」
「は……は!? セフレ!?」
「太陽、こちらは体育教師で生徒指導部長でもある蜂川先生ですよ」
久しぶりに聞いた、少し高めの声。
「副…会長」
「ついに教師にまで手を出したか?」
嫌な笑みを浮かべ、信じられないことを言うのは。
「会長…」
「最低ですね、本当に汚らわしい」
「なっ!?」
「あんた教師なのかっ! 生徒に手を出すなんて最低だな!! あんたが遥希をダメにしたんだな!?」
「………」
今まで生きて来た中で、初めて他人に殺意を覚えた。
どれだけ仕事をサボられても、嘘をばら撒かれても、それでも呆れや諦めが勝って怒りは湧かなかった。でも、大切な時間に土足で踏み込まれ、その上俺だけならまだしも和美ちゃんを愚弄したのだ。
一体誰のせいで和美ちゃんが苦労してると思ってるんだ。
余りの怒りに、手が震えた。
「あれぇ? 蜂川先生にそっちの気は無かったはずだけどなぁ。朱里の色気に目覚めちゃいました?」
副会長や会長の後ろから現れた鈍広先生の言葉に、ついに俺は堪忍袋の緒が切れてしまった。
「鈍広先生っ!!」
俺の怒声に驚いたのは鈍広先生だけでは無く、その周りに居た生徒会役員たちも目を見開いて驚いた。
そりゃそうだ、今まで何をされても怒ったことなど無かったのだから。だから簡単に相手を捕まえることが出来たはずだった。
しかし、あと少しで鈍広先生の胸ぐらを掴める言うところで思わぬ相手に阻止された。やんわりと軌道を外された俺の腕。
「か、かず」
「そうだなぁ、俺もそんな趣味は無かったつもりなんだがなぁ」
和美ちゃんの何か含んだ物言いに驚いたのは俺では無く、いや、俺ももちろん何を言い出すのかと思ったのだが…。
「な…に……?」
自ら言い出した張本人の鈍広先生の様子が明らかにおかしくなった。が、それを見ても和美ちゃんは言葉を続けた。
「こいつは本当に良い男だ、モテるのも納得できるなぁ。その気の無い俺も、朱里になら抱かれても良いと思っちまう位にな」
そう言い切った瞬間だった。
――ガシャァアン
「そんなっ、そんな事ぉ!!」
「「鈍広せんせっ」」
庶務の双子が必死で止めるものの、乱心した鈍広先生はテーブルの物を全て叩き落とした。
楽しみにしていた紅茶もケーキもぐちゃぐちゃで、何てことをと恨めしく先生を見てみれば。
「っ、」
和美ちゃんの言葉に気を取られていたけれど、それよりも今は…。余りの形相で和美ちゃんを睨む鈍広先生の顔に俺は、真実を見てしまった気がした。
和美ちゃん…
もしかして、鈍広先生は……
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