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人は基本、大抵の事を見た目から判断する。
気が強い、気が弱い
遊び人、真面目
男らしい、女らしい
そうした見た目による判断に傷付き、歪み、捻れて形成されたのがこのボクだ。
「どう? 初めてのネコ経験、はっ!」
「ァう"っ!!」
ボクの下で厭らしく腰をくねらせるのは、まだ今日出会ったばかりの相手。馴染みの店に顔を出した時に一際無粋な視線を送ってきていたノンケ野郎だ。
「ははっ! 初めてでこんなにアンアン喘いでさっ。アンタ、十分素質あるよ」
一等強くボクを叩き込んでやれば、ソイツは呆気なく欲を撒き散らした。
◇
「久くん…アンタまたノンケ喰ったでしょう」
そう言って静ちゃんがボクを睨む。
静ちゃんはボクの馴染みの店のマスターだ。背も高く物凄い色男なのに、それを崩す様に女の格好をしてオネエ言葉で話す変わり者。
まぁ…元が良いから似合っているのだが、背が低く小柄な上に女顔なボクからしたら、完全に宝の持ち腐れでしかない。
もう結構長い付き合いだと言うのに、静ちゃんがタチなのかネコなのか…寧ろゲイなのかすら分からない謎の男だ。
「最近アンタ何て呼ばれてるか知ってる?」
「タチ喰い?」
「それは最初からでしょ」
「え〜…、じゃあ何? あ、分かった」
「「ノンケ喰い」」
前にいる静ちゃんからではなく、ボクの後ろから声が重なった。
「竜馬」
「よっ!」
静ちゃんの趣向で店には、ノーマルを含めた様々な性的趣向の持ち主が老若男女幅広くやって来るが、そのどの層からも人気のある看板バーテンダーが竜馬だ。
その看板バーテンがまだ営業時間中だと言うのにボクの隣に座る。
「こんなに堂々とサボって良いワケ?」
「見ての通り、この雨で暇だからね」
今日は朝から土砂降りが止まない。
週のなか日という事もあり、何時もなら盛況なこの時間帯も店内の客は疎らだ。
「そんな事よりさ、静ちゃんが言ってたこと、本当なの?」
「またノンケを喰ったこと?」
「……あまり悪戯に手を出すものじゃないわよ」
この店の客を引っ掛けたのだから、何もかも筒抜けなのだろう。ボクの言葉に竜馬では無く静ちゃんが顔を顰める。
「言っとくけど、ボクは別に無理矢理ホテルに連れ込んでる訳じゃないよ」
「だから余計にタチが悪いのよ」
眉を顰めた静ちゃんにボクは苦笑を漏らした。
小柄な体格、女の子の様な顔。
この容姿のせいで昔から随分と苦労して来たし、それは今も現在進行形だ。
幼い頃は同級生から上級生にまで至り“おとこおんな〜!”何て言われて苛められたし、変質者には慢性的に狙われた。
ボクは自分の容姿が嫌で嫌で仕方なかったけど、子供が整形何て出来るわけもない。そんなボクが出来ることと言えば体を鍛えることのみだった。
色々なスポーツや武道を習い鍛えた体。そのお陰で随分と頑丈に育ったが、筋肉を付けた故か結局身長は伸び悩んだ。
良いんだか悪いんだか分からない結果だ。
ボクは幼い頃から自分がゲイである事を自覚していた。
そして自分の見た目が原因なのか、やたら男前を組み敷きたい衝動に駆られるのだ。男前を見るとコンプレックスを刺激されるのかもしれない。
そうして本能のままに、鍛えた身体を使い相手を組み敷いて来た結果得たのが【タチ喰い】の称号。
大抵の奴らはボクの小柄で女顔の容姿を見てネコだと勘違いする。そうして入ったホテルで、油断まみれの奴らは見事ボクに組み敷かれケツを掘られるわけだ。
『ふざけんなっ! この詐欺野郎!』
殆んどの奴が初めにそう叫ぶ。でも結局、上手く組み敷いて揺さぶってやれば最後には涎を垂らしながら気持ち良さそうに啼くのだ。
「でも、今はやっぱノンケかな。アナルセックスの“ア”の字すら理解してないのにさ、彼奴ら、ボクみたいな女顔の奴を見つけちゃ大してデカくもねぇモンを突っ込む気満々で見てくんだよ」
タチの奴らは何だかんだ言ってもゲイだ。それなりにこの世界を心得ているから、諦めも早い。でも、ノンケは全く別だ。
「絶望しながらも快楽に恍惚としていく顔は見ものだよ」
高らかに笑ったボクを、二人が複雑そうな顔をして見た。
何となく二人の言いたい事が分かった。でも、ボクはそこに触れられたくなかった。
「待ってても獲物は現れなさそうだし、今日はもう帰るよ。またね」
「ねぇ、静ちゃん」
いつもの喧騒を忘れた店内に、ひっそりとした竜馬の声が響く。
「美紀さんの相手って…確かノンケ、だったよね」
竜馬の言葉に、静は短く溜息を吐く。
「あの子、まだ引きずってるんだわ」
「本気……だったんだね」
ふたりは暫くの間、久弥が消えた先をジッと見つめていた。
◇
ボクが失恋ってやつを味わったのはひと月ほど前の事だ。
初めはそんなつもり全然無くて、ただあの見た目が…如何にも“漢”って感じの見た目が気に入って引っ掛けただけだった。
予想に反した気の弱さと受け気質には正直ガッカリした。もっと抵抗して見せて欲しかったのだ。でも…。
抱いているのに抱かれている様な、そんな不思議な感覚を覚えた。
気付けば何度も肌を重ねる仲になっており、いつの間にか他の誰かを求める事すら止めていた。
でも、分らなかった。
歪んだ世界に居続けたボクには、この感情の育て方も、守る方法も、何もかもが未知だったのだ。
その癖、感の良いボクの本能はいち早く察知する。
“ボク以外の誰かを見ているぞ”
『割り切った関係じゃなきゃ嫌だ』
『カラダさえ満たされればそれで良い』
『縛られなくない、自由が良い』
『唯一だなんてまっぴらだ』
そんな事ばかり散々口にして来たボクは、ただただ焦るばかりでたたった一つの本音も言えぬまま…大切だと、好きなんだと認めた時には既に、それは何処かへ消えてしまった後だった。
◇
「俺じゃ駄目ですか?」
ボクの手に重ねられた大きな手は熱かった。
周りからは囃し立てる声が飛び交い、青年の頬に赤みが差す。
「ボク、この子を誘ったんだけど?」
「分かってます」
「このお友達じゃダメなの?」
「コイツには彼女が居ますから」
最近新たに得た称号は【ノンケ喰い】。
失恋の後遺症だなんてダサい言い方は止して欲しいけど、自分でも歯止めが利かないからまぁ、多分そんな所なんだろう。
店に出入りするいけ好かないノンケを喰い散らかし、熱と快楽を奪えばホッカイロみたいに捨ててやる。
どうやらそんなボクの評判は当のノンケ達にまで広がっている様だった。
「で、自分は喰われても構わないって?」
「俺で宜しければ」
そう言ってにっこりと笑んだ青年に、再び店の中が湧き上がる。完全に皆面白がってしまっている。だがそうなる事は予想済みだった。
何故なら今日ボクが声を掛けたのは、ここ最近で専ら噂の的となっているノンケイケメン集団の内の一人だったからだ。
静ちゃんのお店はノンケも何も関係無く人が出入りするが、メインは同性愛を趣向とする者達だ。
ノンケの客もそれを分かっていて面白半分で、または隠していた性癖を暴きに来る。
この集団は面白半分がメインだったが、ボクはそんな奴らこそを引きずり込むのが好きだった。尻で感じる事を知ってしまった絶望感を見るのが堪らないのだ。
始めに声をかけたはずのチャラ男は顔を青く染め、ボクの手に手を重ねている青年を見上げていた。
他の奴らはバカなのか、周りの客同様ヒューヒューと声を上げ囃し立てる。
「へぇ、面白いじゃん」
そんなに友達を助けたい?
ボクがニヤリと口角を上げてやれば、チャラ男の肩の上で重ねられた手に力が篭った。
目の前の青年は非常に爽やかであり、でも男臭さも滲む、言うなれば男前だった。
その面だけで見れば好みだ。いや、寧ろどストライクだった。でもボクは恋をする気がない。それもノンケ何かとだなんてふざけた話だ。
ボクはただ弄んでやって、あのどこから来るのか分からない自信と高い鼻をへし折れさえすればそれで良い。
「じゃ、早速行こうか?」
空いていた方の手をそっと手に重ね、指の股に指を差し込む。
その瞬間、青年の顔が少しだけ強張ったのが分かった。
「終わりました」
バスローブだけを羽織って出て来た青年を、使い慣れたホテルのベッドから見上げた。
「本当にやってきたんだ?」
「そりゃ、まぁ」
「へぇ…」
青年の差し出したスマホを受け取る。
画面はボクが渡した時のまま、“初心者でも分かるシャワ浣のやり方”なんてページが開かれていた。
目の前の青年の顔は先ほどと何も変わることなく男前で爽やかだ。
「もしかして慣れてんの?」
「はは、まさか」
そんな顔もまた普通で、ボクはイマイチ腑に落ちない。
本当はちょっと脅かしたら帰してやるつもりだった。
元々はあのチャラそうなノンケを弄んでやるつもりでいたのだ、誠実そうな彼が獲物ではない。その上ボクの毒牙から友達を救うために自らを差し出しているのだから、流石に仏心が湧いた。
だから、ちょっとした悪戯を仕掛けたのだ。怒って「帰る!」と逃げ出すようにと。
それが“シャワ浣”。
本格的な浣腸なんて物では無いけど、コレをやれと言われた相手は嫌でも自分が“下”だと気付くだろう。
自分が挿れられると知って、その上で自分で準備するなんて…望まぬ受けに立たされた奴に対して、一体どれだけの屈辱を与えるだろうか。
だからきっと直ぐに根を上げると、そう思っていた。
「まぁ、良くやったよ」
「……?」
「帰って良いよ。最初からヤル気なんて無かったし」
言ってボクはベッドに伏せた。安いホテルとは言え折角金を払ったんだから、今日は泊まっていこう。
そんな事をぼんやりと考えたところで、寝転んでいたベッドが揺れた。枕に埋めていた顔を上げた視線の先にはベッドに腰掛ける青年の背中。
「……なに、してんの」
「俺じゃあ、魅力が有りませんか」
彼の肩からするりと落とされたバスローブ。
晒された肌は白過ぎず黒過ぎずの健康的な色で、湯上りだからか少しだけ汗が滲み薄暗い部屋の中でキラキラ光った。
隆起した繊細そうな背筋と細い腰、その下にある引き締まった臀部。
落とされたバスローブを目で追う事も出来ず、ボクは息を呑んだ。
「そんなに、彼が気に入りましたか?」
「いや…違……」
ハッキリと否定したいのに、頭の中は青年の肌に気を取られて舌がもつれる。
気を取られていなくたって「弄んでやりたかっただけ」なんて言えないのだけど。
「このまま帰れば、俺は逃げ出した腰抜けって笑い者になっちゃいます」
「……そんなの、何とでも言えるでしょう」
やっとの事でそこまで言うと青年はクスッと笑う。
「本当は、男同士のセックスに興味が有るのが本音です」
クスクスっと笑うたびに揺れるベッドがボクを酔わす。
「言っておくけど…ボクはタチだからね」
「でしょうね」
「小柄だからって、ボクを舐めてると痛い目に合うよ。ヤル気、もう出ちゃったからね。途中で怖くなったって知らないよ」
伸ばしたボクの手は重ねられた時と同じ熱い手に捕まった。
「どうぞ、思う存分喰って下さい」
そう聞こえたのは、
ボクの願望だったのだろうか……
結果から言えば…良かった。
想像以上に良かった。
正直途中まで“コイツ経験者なんじゃ?”と疑っていたのだが、何が何が…。
随分と立派な物を持っている上に、下世話な話カナリ使い込んだ感じな癖に。ボクが愛撫を始めた途端全身を紅く染める初心具合。
腕で顔を隠すわ唇を噛んで声を抑えるわ、その上キツく締め付けてくるわで段々こっちまでメラメラと燃え上がってきて、結局声を我慢出来なくなるまで突き上げ擦り、ぐちゃぐちゃに掻き混ぜて啼かせてやった。
啼かせたその声に意識を持っていかれて、顔をしっかり見そびれたな…と少し残念な気持ちになる。
「なに、帰るの?」
体格差のある男を蹂躙し尽くした弊害は当然降りかかる。
クタクタになって起き上がれないボクを置いて青年は服を身につけ始めるが、視界に入ったそれは矢張り後ろ姿だった。
「明日は朝早いので」
少し急いたように準備する姿をぼうっとして見ていると、徐に財布から出した札を簡素なテーブルの上に置いた。
「これ、ここに置いておきますね」
「要らないよ」
「……いえ、受け取ってください。これは合意なんですから」
そのまま出て行こうとする背中に声をかけると、躊躇うように、でもその足を止めた。
「名前……なんて言うの」
そんな今更なセリフに、彼はほんの少しだけ振り返り言った。
「凛一です。月島凛一」
「りんいち? へぇ、綺麗な名前だね」
「……有難うございます」
「じゃあ、またね、リンちゃん」
「おやすみなさい、久弥くん」
完全に振り向くことが無いままドアに向き直った凛一は、今度こそ躊躇い無く部屋から出て行った。
バタンと閉まる扉の音とともにボクは立ち上がり、テーブルの上の札を確認する。
「ふふっ、きっちり半分」
“合意だ”と言った意味が良く分かる。
アレはどちらかに偏る事のない“合意”の行為。だからホテル代もきっちり半分。そう言うことだ。
ボクはそれをテーブルに放って再びベッドに大の字で寝転がった。
『……有難うございます』
名前を褒めた時に返されたお礼の言葉には、ありありと“照れ”が含まれていた。
肌を合わせた時の初心な恥じらいや物腰の柔らかさが、どこか美紀さんを思い出させる。
見た目の男らしさに反する可愛らしさ…とでも言うのだろうか、そんなギャップも少し似ていた。
胸の奥がぎゅっと縮む。
ふっと小さな溜め息を吐いた。
自然と瞼が落ち、眠りの香りが漂った。
今日はここ最近で一番気分が良い。
こんなホテルの一室で、こんなにも心地の良い眠りを迎えるのはいつ振りだろうか。
『おやすみなさい、久弥くん』
聴き心地の良い声を思い出すと、眠りは一気に深くなっていった。
ホテル街から少し離れた路地裏で、壁にもたれかかり立ち竦む男が一人居た。
自分自身で握る手は微かに震えている。
そのまま男は壁伝いにズルズルと滑り落ち、からだ全体を抱き締めるようにして蹲った。
「代わりでも良いって…決めただろう?」
その声は、
誰にも届くことは無かった。
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