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「少しは落ち着きましたか?」

 まだ少しだけ嗚咽を残した松原くんは、蜂蜜を入れたホットミルクを両手で握りしめ、僕とは目を合わせずにホッと息を吐いた。

「…時間外でしょ」
「へ?」
「仕事、時間過ぎてんでしょ。もう大丈夫だから帰っていいよ」

 そういう彼の目は泳いでいた。
 一人になりたいのかな…でも、もしかしたら帰って欲しくないのかも…。そう思うのは、どこか彼に自分が重なったからだ。本当の自分を出すことが出来ずに、ずっと寂しい思いをして来た僕と。

「あの…少し話をしてみませんか?」
「……話?」

 僕はコクッと頷いた。

「それは仕事の内に入んの?」
「いや、入らないですけど…」
「じゃあいいよ、帰りなよ」

 少しだけ拗ねたような彼に僕は考える。直ぐに断らない彼はきっと、僕が予想した通り一人になりたい訳じゃないのだろう。寧ろ、一人になりたくないんじゃないか。

「だったら、“友達”ってことで、どうですか?」

 自分で口にしてむず痒くなった。

「友達?」
「えぇ、仕事外の時間ですし。知人…なんて設定も何だか可笑しいでしょう?」
「まぁ、ね」

 変なことを口にしている自覚はあるけど、一度外へ出てしまった言葉は取り消せない。
 テーブルに着く松原くんの前に立ったまま落ち着きなく自身の手を触っていると、不意に彼が手に持っていたマグカップをテーブルに置いた。

「そこ、座れば」
「へ?」
「何か飲む?」
「え、」
「“友達”、なんでしょう? だったら持て成すものでしょ」

 そう言って、彼は僕が来てから初めて、自らキッチンに立った。

「で、何飲むの?」






 目の前に置かれたストロベリーティーに、僕は目をパチクリさせていた。

「これ、貴方が自分で?」

 カップの中を覗くと苺の粒が沈んでいた。果肉も少しだけ浮かんでいて、香料で無理矢理つけられたキツイ香りじゃなく、品の良い苺の香りがする。
 市販のパック物ではない…明らかに手作りだ。

「そうだよ」

 何てこと無い様に返事を返されるが、こんな物簡単に作れない。殆んど感動に近い感情を乗せて、僕は紅茶を見つめた。

「ねぇ、さっき話をしようって言ったじゃん」
「あ、はい」
「例えばどんな話をすんの? 友達って設定なんでしょ?」

 自分から言いだしたことなのに僕は困ってしまった。だって、友達なんて今まで居たことが無いのだから…。
 では、例えば友達が居たらどんな話をするだろう?どんな話をしたいだろう? 凄く仲の良い“親友”を前にしたとしたら。
 僕は今まで幾度となく想像し、諦めて来たものを口にした。

「えっと…悩みとか、ですかね」
「悩み」
「そう、悩み事。親とか兄弟には話せないのに、友達には話せることとかって有ると思うんですよね」
「……うん、有るかも」

 目の前の彼に賛同を得たことで、僕は完全に舞い上がった。

「じゃ、じゃあ! それをお互いに話してみませんか?」
「アンタも話すの?」
「はい! お互いに悩み事を聞きあうんです」

 こんなに言葉を発することは久しぶりで喉が渇き、目の前の紅茶を口に含む。その瞬間口の中に広がる優しい香り。

「あ……美味しい」
「でしょ?」

 思わず呟いた言葉に返事が返ってくる。そんな些細な事にさえ僕の胸が踊る。

 何だろう、今のこの不思議な時間は…。

 目線だけを松原くんに向ける。出会ってからまだ二度目、そして通算十時間にも満たないのだけど、それでもきっと珍しいで有ろう笑顔がそこに浮かんでいた。

「俺、本当は珈琲よりも紅茶が好きなんだ」

 僕は思わず手からカップを落としかけた。だって彼が僕に作るように頼む飲み物と言ったら、お茶か珈琲のブラックだったのだから。

「じゃあ、なぜ珈琲を?」

 その質問に数回瞬きを見せた彼は、少しだけ思案するともう一度口を開く。

「ねぇ、俺の仕事、何だと思う?」
「え、仕事ですか?」

 脈絡も無く飛んだ話に驚くが、僕は思ったままのことを口にした。

「始めはホストかな…と思いました」
「あ、やっぱり? あれ、でも“始めは”?」
「見た目はホストに見えますけど、何だかしっくり来ないんですよね。お酒の匂いもしませんし」

 それに、もっと何だかこう…品の良さ? みたいなものを感じたのだ。
 ただギラギラしているのかと言うとそうでも無いし、彼の所作の端々に品の良さを感じた。
 そう言うと松原くんは驚いた顔をして僕を見ていた。

「アンタ…何か凄いね」
「へ?」
「TNグループって聞いたこと有る?」
「そりゃあ勿論。つい最近もニュースで総資産が数百億とかなんとかってやってましたし」

 この国に住んでいるのなら、ほぼ誰でも知っている大企業だ。

「俺さ、そこの跡取りなんだよね」
「………え"っ!?」

 僕は今度こそカップを落とした。

「爺さんが会長で、親父が社長。俺は次期社長なんだってさ」
「何だってさ…って。でも、あまり仕事に向かわれてませんよね?」
「だって必要とされてないし。行っても仕方ないじゃん」

『仕事でだって必要とされねーし!』

 そう叫んだ先ほどの彼を思い出した。

「どうしてそう思うんです?」

 そう問いかけると、彼の眉間にシワが寄る。でも、その顔はやっぱり小さな子供みたいだと思った。子供が、辛いことを堪えてる様な…そんな表情だ。

「俺の今の役職は専務。けど、最初は平社員として入ったんだ」


 大学を卒業して、直ぐに親の会社へと入社した。投げやりだった訳じゃない。ただ、昔から跡継ぎだと言われて育ってきたから、そうする事が当たり前だと思っていた。
 その道へ進むことを疑問にも思ってなかったのだ。だけど…。

「人の上に立つならまずは現場を見て来いって親父に言われて、俺は作業着を纏って仕事に出たわけ。それなにり緊張してたよ。やったことも無い体力勝負の仕事に回されたから、失敗して怒られる覚悟だってしていった」

 でも、現実の厳しさはもっと別の所にあった。

「俺が通された場所は、応接室」
「え…」

 埃にまみれた、現場の直ぐ近くに有る掘建小屋。そんな中に申し訳程度に場所を取ってある応接室に通された。目の前にはお菓子と珈琲、そして灰皿。

「流石に俺もポカンとしたよ。何だこれ、って。そしたら言われたんだ。『ここがアンタの居場所だ』って」

 意味がわからなかった。どういう事だって、何言ってんだって立ち竦んだ。そしたらダメ押しをされた。

『坊ちゃんが現場なんかに来て何が出来るんだ? ここで一日好きなことしてる方がお似合いだよ』

 そう言って投げられたのはエアコンのリモコン。ここで、暑さや辛さとは無縁の生活をしてろ。そう言われた気がした。

「作業着着て、応接室で携帯かまってお菓子食ってるとか意味分かんないでしょ? だから結局それから一週間で応接室とはおさらば。もうずっと会社には行ってない」

 行ってないのに、地位だけはどんどん上がって行くんだから不思議だ。その上、下手な社員よりも給料を取っている。

「周りが俺に求めてるのは、何もかもやる気の無いクズなボンボン。誰も本物の俺なんか求めて無い」

 紅茶を飲んだら、連れに似合わないと笑われた。真面目に仕事をしようとしたら、会社の奴らにやる気なんて無いだろうと笑われた。
 誰も本質を知ろうとしなかった。

「本当の俺なんて必要無いんだよ。偽ってたって誰も困らないし、世の中イメージの方が大切なんだ。それこそ俺が消えたって何も困らない。人件費がちょっと減る程度しか会社にも影響は無いし…って、はは! 俺なに話してんだろ! こんな事初めて話した!」

 ははは、と笑い声はするけど、心が全然笑っていないのが分かった。胸が痛い。だって、やっぱり彼は僕と良く似てる。

「本当の友達とかには、話したりしなかったんですか?」

 僕なんかじゃなくて。そう聞くと彼はまた辛そうな顔で笑う。

「俺の周りって、金目当てかこの顔目当ての奴ばっかなんだよね。そんな奴しか寄ってこないんだ。後は足を引っ張るために弱みを探してる奴とかさ。そんな奴らにこんな話したら……って、アンタもしかして回し者!?」

 本気の怒りで目を吊り上げた彼に、僕は叫ぶように主張する。

「そんな訳無いでしょ!! 貴方のことホストだと思ってたのに!! それに…」

 それに、立場は違えど同じ様な辛さを知ってるから…リークなんて出来る訳がない。ポソリと独り言の様に呟いた僕の言葉は、彼の耳にしっかりと届いた様だった。

「ねぇ、お互いに悩みを話し合うんだよね?」
「え?」
「アンタも何か話してみてよ」

 俯けていた目線を上げて彼を見ると、先ほどの悲しげな顔は何処へやら。その瞳は期待に満ちていた。

「人の悩みを、そんな嬉しそうに聞かないでくださいよ」
「仕方ないじゃん、だって何か楽しいんだ」

 邪気を全く感じない彼の言葉に毒気を抜かれる。僕はふっと肩の力を抜いた。

「じゃあ、僕も誰にも話した事のない話を松原く…松原さんに」
「それ、止めよっか」
「ん?」
「話し方。敬語と呼び方。俺のことは伊織で良いよ、俺もアンタを名前で呼ぶから」
「じゃ、じゃあ伊織…くんで」

 少しだけ照れながら口にした僕の耳に、次の瞬間信じられない音が飛び込んだ。

「ん〜、アンタは…ミキ、で良いよね」
「え!?」

 驚いた僕を気にすることなく彼は続ける。

「会った時から思ってたけど、ヨシノリよりもミキの方が似合ってるよ。うん、ミキちゃん」

 どこがどう似合ってるんだ!?
 中学高校と“顔面凶器”なんて陰口を叩かれていた僕に、ミキちゃん…なんて…。

 でも、何処か嬉しいと思う自分が居た。
 幼稚園では【組長】、小学校では【オッサン】、中学高校では【顔面凶器】。どれも愛称と言うには程遠い、単なる悪口にしかならないようなものばかりだった。
 それが【ミキちゃん】だなんて…可愛らし過ぎるけど、生まれて初めて付けられたまともなあだ名だったから。
 僕は思わず顔を緩めた。

「ねぇ、そう言えばミキちゃんは歳幾つなの?」
「あ、二十八……だよ」
「えっ!?」

 伊織くんがガタッ!と勢いよく立ち上がる。

「それっ、マジなの!?」
「う、うん…本当だけど」

 伊織くんはそのまま少しだけ固まった後、お腹を抱えて笑い始めた。

「あははっ! 何だよ、俺たちタメなんじゃん!」
「えっ!?」

 と、歳下かと思ってた…。

「ミキちゃん貫禄あり過ぎだよ! 完全に人生の先輩だと思ってたのに!!」

 そのまま涙を流して笑う伊織くん。

 【オッサン】【老け顔】【年齢詐称疑惑】なんて酷いことを散々言われて来たこの顔。
 劣等感でいっぱいで、マスクで隠して生活するしか無いと思っていたこの顔を、今全力で笑われている。
 だけど、僕は少しも腹が立たなかった。

「伊織くんちょっと笑いすぎ。それに、それを言うなら君だってちょっと見た目が若過ぎるよ。同い年に見えないもん」
「あはは! よく言われる!」

 そう言って伊織くんが大きく笑うと、口元からチラリと八重歯が見えた。それが彼をまた更に幼く見せて、可愛くって、僕まで笑顔になった。
 生まれて初めて、心から楽しいと思えた。
 この日の僕は、初体験の波に大いに翻弄されたのだった。



「あ、ミキちゃん笑うとやっぱ可愛いじゃん! 何でいつも仏頂面なんだよ勿体無い」
「なっ、可愛い!?」


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