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「私、女に生まれたことを恨んだ事は無いよ。でもね、こういう時は偶に思っちゃうの。もしも私が男だったら、もっと上手く行ったのかな…って」
カウンターを拭く手を止めた麻美ちゃんは、そう言って苦笑した。
◇
二日ぶりに会った麻美ちゃんは思っていたよりも元気だった。
麻美ちゃん本人から聞かされた、“恋人との破局(相手も女性)”は衝撃的だったけど、彼女が少しでも元気になったならそれで良い。
「俺、麻美ちゃんはてっきりノーマルなんだと思ってた」
「相手を漁ったりもしないし?」
「ま、まぁ…」
ここで働いた半年間、厨房の中からだけだけど色んな人を見てきた。
自分と同じ性癖を持ちながらも、ここへとやって来る人たちは何ていうか…皆、積極的なのだ。お客は勿論、志津も、静さんも、他のスタッフも。
でも、麻美ちゃんだけは違った。ただ仕事を淡々とこなしている感じがしていたのだ。
「私の相手って、親友だったの」
幼馴染と言うほど長くは無いけど、親友と言うには足りる程の深く長い付き合い。
「ずっとずっと好きで、でも言えなくて。そしたらある日ね、他の女の子と付き合ってるのがバレちゃった」
「えっ、」
「随分積極的なの子だったんだ。外でキスしてるのを…ね。その後結構揉めて、でも妬いてくれてるのが分かって嬉しくて。結局恋人と分かれて付き合う事になったの。今思えば、あの時が一番幸せだった」
「どうして…別れちゃったの?」
聞くべきか迷ったけど、結局口に出してしまった。
麻美ちゃんは手に持っていた布巾をポイと放ると、カウンター席へ腰掛けた。
「あの子ね、プリンが好きなの」
有名店からコンビニスイーツまで、どんな所の物でもプリンだけは全種類食べる勢いの無類のプリン好き。
この店から帰る途中で寄ったコンビニで、恋人がずっと探していた季節限定のプリンを見つけた。それを見た途端恋人の喜ぶ顔が浮かび、迷いなく手はそのプリンを掴んでいた。
中身の少ないビニール袋がガサガサと音を立てる。
その音すら幸せだと思った。そう…思っていたのに。
「家に行ったらね、知らない男が居たの。あの子、随分前からあの男とデキていたみたい」
俺の喉がゴクリと鳴った。
「この間は本当にごめんね? 折角の休みだったのに」
「い、良いよ。特にやる事も無かったし」
「でも、ホールやらされたんでしょう?」
そう言われてから、漸くあの日志津に怒られた事を思い出した。ただ少し客と話をしただけなのに酷く怒られた。それを麻美ちゃんに告げると、彼女は口元を押さえて噴き出した。
「え、何で笑うわけ…?」
「ご…ごめっ、ぶくく」
結局堪えきれなかったのか、麻美ちゃんはカウンターに突っ伏して大笑いを始めた。
「ごめんごめん! こんな不器用な竜馬を初めて見たから、ちょっと可笑しくて」
「志津? 志津のどこが不器用なんだよ?」
手先だって人間関係だって、あいつ程器用な奴はいないじゃないか。そう膨れて言えば、麻美ちゃんは更に笑う。
「眞耶ちゃんさ、ここに来て半年でしょ?」
「うん…そうだけど」
「その間、ずっと厨房しかしてないの、何でだか分かる?」
静さんは厨房、ウエイター、そしてバーテンダーとしても動けるミラクルタイプ。そして、忙しい時は志津も厨房やウエイターを手伝ったりする。
流石にバーテンダーとして無理な麻美ちゃんも、厨房は手伝うこともある。けど、俺は厨房オンリー。
「俺、鈍臭いから」
「違うって。アレね、竜馬が静ちゃんに頼んだのよ。眞耶ちゃんをあんまり客の前に出さないようにしてって」
「え!? 何で!?」
みんなと違って俺の容姿が綺麗じゃないから!? それとも、矢っ張り鈍臭いから!?
どちらにしても、志津にそう思われているのかと思うと死にたくなった。
「あ〜ほらぁ〜無自覚だよぉ。眞耶ちゃん!!」
「はっ、はい!」
カウンター越しに、麻美ちゃんに両頬を挟まれる。
「眞耶ちゃんって、こっちの世界の勉強にBL本使ってるタイプでしょう」
「な、なんで分かんの!?」
麻美ちゃんが頭を抱える。
「ったく…何も教えてあげない静ちゃんも静ちゃんだよね。まぁこれだけ初心じゃ、守りたくなる気持ちも分かるけどさ」
「…?」
首を傾げた俺に、麻美ちゃんは大きく息を吸い込んだ。
「よーーーく聞いてね! 眞耶ちゃんは、正直この界隈ではとっても需要があるタイプなんです!」
「は!?」
スポーツで鍛えられ引き締まった細身の体と、派手さには欠けるが女々しくない精悍な顔つき。
「その癖、頭の中は油断と隙でぽやんぽやんでしょ? 経験が無いのが丸分かり」
一瞬にして恥ずかしさで顔にカッと火が灯る。
「この世界、意外と肉食は多いのよ? そこにまだ草しか食べた事のない黒豹が現れて見なさいよ。みんな征服欲を掻き立てられるちゃうでしょ。そこでいち早く守りに入ったのが竜馬ってワケ。この世界に慣れる前に、眞耶ちゃんが変なのに食べられたりしないようにって厨房に隠したのよ」
眞耶ちゃん、凄く大事にされてんだよ?
遂に爆発した俺の顔を見て麻美ちゃんがまた笑う。
「おはようございまーす。て、あれ? 何か凄い楽しそうじゃん。どうしたの?」
「なんでもないよ〜! ね、眞耶ちゃん?」
少し遅れて開店作業に入って来た志津の顔を、俺が見られるはずもなかった。
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