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毛嫌いしていた志津に惹かれ始めたのは、出会ってから間も無くのことだった。
同僚が好きだったはずなのに、いつからこんなに気が多くなってしまったんだろう。
自分に無いものをたくさん持ったアイツに、目は自然と引き寄せられていた。
◇
「急にごめんなさいね、あのまま麻美を出す訳にはいかなかったから…」
休みに呼び出された俺に、静さんが申し訳なさそうな顔を見せた。
「いいですよ、特にやる事も無かったし」
自分の性癖を隠すために、学生時代は常に目立たない様に過ごしてきた。
欲望に忠実な若い身体の暴走が恐ろしくて、入りたかった野球部も諦めた。
元々会話が得意でない俺に、自然と友達が出来る…何てことはなく、とても質素な人間関係の中で学生時代は終わりを告げた。
唯一会社では人付き合いがあったものの、それも辞職してからはぱったり。
休みの日は専ら一人でダラダラと過ごしている。
「麻美ちゃんは大丈夫なんでしょうか」
呼ばれて店にやって来たとき、目を泣き腫らした麻美ちゃんとすれ違った。
「私たちの世界じゃ珍しくも無いことよ…直ぐに立ち直ってくるわ」
詳しい話は聞けなかったが、何となく、人から聞くことでは無い気がした。
「早く元気になると良いですね」
俺と静さん、そして奥でお酒の確認をしていた志津は、静かに開店の準備を始めた。
◇
予想に反して店はいつもより盛況で、人手不足な状態に陥った。
静さんに料理を任せ、今日はウエイターに徹する。ウエイターは初めてやるが、人手が足りないから仕方ない。
忙しなく動き回っていると、後ろから歓声が聞こえた。
振り向けば志津の周りには人垣が出来ており、今はお客の鳴らすテンポの良い拍手の中でパフォーマンスを繰り広げているところだった。
「彼、凄いね」
うっかり見惚れてしまっていた俺の背後からそっと声をかけられる。
「あ、すいません」
「ふふ、何で謝るの?」
振り向いたそこには、仕立ての良いスーツをピシリと身に纏った優しそうな男性が座っていた。
「あの、何かご注文が…」
「ううん、先ほど取ってもらったからまだ大丈夫」
「ごっ、ごめんなさい!」
自分でオーダーを取っておいて顔を忘れるだなんて。
失礼を働いたと慌てて頭を下げると、その男性はまた柔らかく笑った。
「君、新人? 見たことのない顔だけど」
「あ…いや、半年ほど働いてます。ただいつもは厨房担当なので」
「ああ、成る程ね」
男性は優しげな目をスッと細め俺の手をそっと取ったかと思うと、親指で俺の手の甲をすうっと撫でた。
「君みたいな子、一度見たら絶対忘れないもの」
撫でる甲に向けられていた目線が、身体を滑るように辿り顔まで上がる。背筋にぞわりと悪寒が走った。
「えっ、あ…あの」
「氏原(うじはら)!!」
蛇に睨まれた蛙のように動けずにいると、後ろから首元へ腕を回され引っ張られる。その拍子に俺の手は男性の手から外れた。
「志津…」
「遊んでないでオーダー! お客さん待ってるよ!」
そのままズルズルと俺を引きずって行こうとする志津に、男性は苦笑すると立ち上がった。
「今日はこれで帰るよ。また来るね、“氏原くん”」
「痛っ、痛いって志津!」
「氏原は無防備過ぎなんだよ! この辺で働いてるって自覚あんの!?」
回していた腕が離れたかと思うと、志津が凄い剣幕で怒鳴ってくる。
「な、なんだよ…」
「あんなの明らかに氏原狙いじゃん! 喰われるつもり!?」
「そんな訳ないだろ…ただ手を触られただけで」
そこまで言ったところで志津がカウンターを殴った。
「バカ!! 手を撫でられただけ、腰を触られただけ、そんな事言ってる間にぶっ込まれてヤられんだよっ!!」
「ッ、」
驚いた拍子に体がビクンと跳ねた。
何で志津がこんなに怒るのかが全く分からない。ただ、少し客と会話をしただけなのに…。
「お前だって…尻触ったじゃん」
言わなきゃ良かった…と、志津の顔を見て思った。普段ヘラヘラニコニコしているその顔に青筋が浮かんでいた。
「俺のアレとあの男のそれを一緒にすんな」
そのまま厨房へと向かった志津が静さんを連れて来たことで、俺は再び厨房担当へと戻った。
分け隔てなく仲良く出来る志津が、俺に怒鳴った。それも凄い形相で。
滅多と会話をすることのない志津との久しぶりの会話が喧嘩だなんて…。俺はまな板の上でそっと溜め息を吐く。
回されていた志津の腕の体温と匂いを思い出して、今度こそ泣きたくなった。
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