×― 花開く ―
【SIDE:新太】
「新太さん見て! 結構咲いてますよ!」
興奮する隼人くんに手を引かれ、僕も足早に桜へと近付く。
「昨日まで蕾だったのに、もうこんなに開いてる」
「今日は午後から暖かかったもんね。一気に咲いたんだ」
見上げた桜は満開とはいかなくとも、今日一日で五分咲きまで到達していた。優しい灯りに照らされた夜桜が、仄かに風で揺れている。
「でも、今週末は雨だって言ってましたよ」
「じゃあ一気に散ってしまうかもしれないね」
「花の命は短いんだなぁ…」
しみじみと桜を見上げる隼人くんの横顔に、僕の胸は酷く騒いだ。
◇
隼人くんは、僕と過ごす恋人としての時間全てに新鮮さを感じている様だった。それは嬉しくもあり、そして切なくもあった。
いつまでも気にするのはみっともないけれど、でも、この子の過去は確かに昌也くんによって造られている。
カラダの繋がりばかりを求められる関係は、きっとまともな思い出を作れずに来たのだろう。
「隼人くん、あっちに屋台が出てるから見てみる?」
「あ、桜祭り! 行きたいです!!」
その子供の様な瞳の輝きに、僕はクスッと笑みをこぼした。
桜を見に行くと決めたのは突然のことだった。
「桜か…」
ニュースで流れていた開花宣言を見た隼人くんが、ぽつりと言葉を漏らした。
その時はそのまま流してしまったのだけど、その言葉は僕の頭の中にずっとぐるぐる回って消えなかった。
(これは…明日あたりに開くな)
大学からの帰り道で見た蕾はもうパンパンに膨らんでおり、暖かい日が続けば直ぐにでも満開になりそうな様子だった。
「ねぇ隼人くん、明日の夜にでもお花見に行かない? 近くの桜並木でお祭りをやってるんだって」
「桜祭りですか!?」
僕を見上げたその嬉しそうな表情を見て、誘いをかけた自分の行動を自分自身で褒めてやりたくなった。
「わっ、なにこれ! りんご飴は分かるけど、ぶどう飴といちご飴って何ですか!?」
隼人くんが足を止めたのは、りんご飴の屋台の前だった。
「結構美味しいよ? 気になるなら買ってあげようか?」
驚いた顔で飴を見つめる隼人くんの顔を覗き込めば、我に帰ったのか恥ずかしそうに一歩下がる。
「や、あの…」
「ぶどうかいちご、どっちが良いの?」
隼人くんは赤い顔をうつむかせながら、小さな声で「いちご…」と呟いた。
◇
ちゅくちゅくといちご飴を舐め、舐めるたびに紅く色付いていく隼人くんの唇に目を奪われる。
「…? どうかしました?」
「ううん、何でもないよ」
にっこり笑って見せれば、隼人くんも照れ臭そうに笑い返す。ああ、ここが外じゃなければ直ぐにでも押し倒すのに…。
「うわっ、新太さん…アレ!」
隣で僕が邪まな想いと戦っているとは露知らず、何かに気付いた隼人くんが一点を指差した。その先には、
「ああ、枝垂れ桜だ…」
柳のように枝を垂らしたその木は、他の桜よりも少しだけ濃い色の花を付けていた。もう、殆んど満開に近い。
「なんて綺麗なんだろう…俺、枝垂れ桜を見たの初めてです」
「そうなんだ?」
「まぁ普通の桜もこんな風に見に来たこと無いんですけどね」
うっとりと枝垂れ桜を見上げる横顔にまた目を奪われていると、ふいに隼人くんが僕を振り向いた。
「新太さん、今日は誘ってくれて有難うございます」
「急に改まってどうしたの」
僕がふふっと笑うと、隼人くんは恥ずかしそうに目を反らす。
「いや、本当に…嬉しくて。新太さんは沢山色んな事を教えてくれるから。俺……凄く幸せです」
――ブツッ
頭の中で、
何かが切れた音が聞こえた。
「あ、新太さん!?」
僕は隼人くんの手を引き、喧騒からは程遠い場所へと足を向ける。そんな場所にも桜は咲いていた。
「あの、どうしたんですかっ?」
「この辺でいいか」
「???」
突然人気の無い、電灯も少なく薄暗い場所に連れ込まれた隼人くんは、何事かと目をはためかせながら息を整えている。そんな彼を僕は桜の木に押し付けた。
「隼人くん。僕も君と一緒にいると、いつも新しい自分に気付かされるよ」
嫉妬深くて、ヤキモチ焼きで、独占欲が強くて。
「直ぐに隼人くん切れを起こすしね」
「もっ、何言ってんですか!」
隼人くんがカッと頬を赤らめる。そんな彼の頬をそっと片手で包み、僕の方へ顔を向けさせる。
「それにね、どうやら僕は“花より団子”なタイプみたいだ」
そのままいちご飴に染められた唇を奪う。しかし、甘酸っぱいそれは予想外に抵抗なく僕に奪われ反応を返して来た。
「隼人くん…」
ここは外だ。名残惜しくも一度離れ、離れ難いと隼人くんを見てみる。と、そこには…。
「ッ、」
どの桜にも負けない花が。
僕のためだけの美しい花が、
今、
目一杯に花開いていた。
END
番外編D
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