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【SIDE:新太】

「何だよお前、もう新しい彼女出来たのか?」

 バイト先でそう言われたのは、宏樹に別れを告げられてから三週間が経った頃だった。

「え、出来てないよ?」
「ついこの間まで死にそうな顔してたのにさ! いーよなぁイケメンは!」
「だから出来てないってば」
「嘘つけ! 顔がニヤついてんだよ! 鼻歌まで歌ってたっつーの」

 僕はハッとして、思わず自分の頬を両手で包み込んだ。


『この部屋には思い出が有り過ぎる』
 
 隼人くんがそう言ったのは二週間ほど前のこと。
 彼らの関係性には聞けば聞くほど驚かされたが、驚きよりも何よりも、僕は昌也くんに対してどうしようもない怒りが湧きあがった。
 そして強姦紛いの事をした昌也くんを責めもせず、好きだったからと許してしまう隼人くんに胸が痛み、切なくて、苦しくなった。

 どうして君がそんな苦しみを背負う必要があるの?

 付き合おうと言ったからには、昌也くんも隼人くんの事が好きだったと思いたい。でも、好きな相手にそんな酷い事が出来るものなのだろうか…。
 例え彼らが相思相愛だったとしても、隼人くんにはもっと良い人が、昌也くんよりも相応しい相手が居るはずだ。あんな一途でイジらしい彼に、昌也くんは似合わない。

 苦しそうに『忘れたい』と言った隼人くんが今でも忘れられない。そんな彼に引っ越しを勧めたのは、その言葉を聞いた次の日だった。
 早くその呪縛の様な苦しみから解放してあげたい。そればかりを考えていたその時の僕は、そんな昌也くんと今付き合っているのが恋人であった宏樹なんだと言う事を…信じられないことに完全に忘れ去っていたのだ。


「彼女なんて居ないけど、確かに良い事はあった…かな」
「何だよ、やっぱ何かあったんじゃん」
「後輩の子がね、やっと呪縛から抜け出せそうなんだ」
「呪縛ぅ?」

 訝しむ顔をした同僚に、僕はニコリと笑顔を返した。

 丁度昨日、隼人くんが遂に引っ越しを完了させた。僕は隼人くんが躊躇う物を全て、二言目には「忘れたいんでしょ?」を口癖にして容赦なく捨てていった。
 彼の辛そうな姿なんて、もう見たくなかった。見ていられなかった。

 初めこそ躊躇うそぶりを見せていた隼人くんの手つきも、気付けば僕と並ぶほどに手早く、そして躊躇いを無くしていた。作業を終えた後、思い出の詰め込まれたゴミ袋をみた彼は少しだけすっきりした顔で笑った。
 僕の選択は間違っていなかったんだと、この時隼人くんの横顔を見て思った。

「それで何でお前が嬉しそうなわけ?」
「うーん…さぁ、どうしてだろうね?」

 理由なんて分からなかったけど、彼が泣かないのであればそれでいい気がした。


 ◇


【お昼は一緒に食べよう】

 文章能力のない僕が文字を打つのはこれが限界だ。宏樹には『メールが冷たい!』と随分怒られたけれど、未だに直りはしない。無理なものは無理なのだ。
 スマートフォンなんて夢のまた夢。パタンとガラパゴスな携帯を二つに折り、起きたばかりの枕元に置くと古びた携帯は直ぐに振動した。
 もう一度手に取り開くと、そこには最近メールボックスを埋めている名前がまた、もう一つ増えていた。

【りょうかいですd(^_^o)】

 平仮名ばかりの文に僕は吹き出す。

「文字を打つのは苦手だけど、漢字はちゃんと読めるんだけどな」

 今日大学へ行くのは昼からだ、昼まではまだまだ時間がある。なのに僕はいそいそと出かける準備を始めた。
 少しでも早く、隼人くんに会いたい。




 早く着いたのは良いが、時間が中途半端だった為中庭にはあまり人が居なかった。人が多いのは好きじゃないから丁度良いのだが、時間を潰すには少し持て余す。
 本でも読んで時間を潰すか、とベンチに足を向けると後ろから懐かしい声が聞こえた。

「新太!」
「………宏樹?」

 振り向くとそこには、満面の笑みを浮かべた宏樹が立っていた。会えた嬉しさよりも、驚きの方が先に立つ。

「後ろ姿が見えたから、追いかけて来ちゃった」

 大きな瞳を囲う長い睫毛を揺らしながら、上目遣いで見上げられる。この瞳に恋をしていたのだと、そんな事を僕はどこか他人事に考えていた。

「何だか久しぶりだね、元気にしてた?」
「あ、あぁ…うん、元気だったよ。宏樹も元気だった?」

 何だろう、この会話。あれ程取り戻したかったあの宏樹が相手なのに、今はその事実が逆に違和感を感じさせる。
 僕をあんな風に捨てたのに…どうして話しかけて来られるんだろう? この感覚はおかしいだろうか。

 そっぽを向いてしまった相手を必死に振り向かせようと思っていたら、努力する前に振り向いていた様な…そんな変な違和感。
 相手は宏樹だと言うのに、無意識に体が強張っていた。

「ねぇ新太。そう言えば僕、気になる噂を聞いたんだけど」
「噂?」
「うん…最近、隼人と仲が良いんだって?」

 誰もが可愛いと称するであろう笑顔を浮かべながら、宏樹が僕を見上げている。けれどその時の僕はそんな宏樹の可愛い笑顔よりも、その時耳に入って来た隼人くんの名前に体が反応した。
 強張っていた体の力が、スッと抜けた。

「うん、そうだね」

 年齢は一つ上の僕だけど、隼人くんと一緒にいるとツッコミを入れられることが多い。それはいつもとても的確で、感心させられる事もしばしば。「新太さんは天然だったんですね」なんて溜息をつかれたのはまだ最近のことだ。

「とても仲良くして貰ってるよ」

 仲良くして貰ってる。この表現が一番だなと、隼人くんと過ごす時間を思い出して笑みが溢れた。それを見た宏樹が目を見開く。

「…隼人が、好きなの?」
「え?」

 ボソリと呟かれた言葉は聞き取れなかった。僕の腕に添えられていた宏樹の手に力が篭る。

「ねぇ新太、今度またふたりで何処かに遊びに行こうよ」
「へ?」
「ご飯だけでも良いし…でも、また新太の家に行きたいな」

 ぎゅっと握られた宏樹の手の力に寒気が走る。
 この子、何を言ってるんだろう…?





「はぁ…」

 甘えてくる宏樹をのらりくらりと撒いた後、僕は自分の研究室に逃げ込み昼まで時間を潰した。無意識にポケットの中で握りしめていた携帯を取り出し、苦手なメールを送る。

【カフェテリアで待ってる】

 妙に疲れてしまった今、朝よりも隼人くんに会いたくなった。けど、その返事はいつまで経っても返っては来ない。電話をかけてみるが電源が入っておらず繋がらない。嫌な、予感がする。

 カフェテリアを出て考え付く範囲を探してみるが、今日に限っていつも隼人くんと一緒に居るあの二人組みすら見つからない。そうして無性に焦りを感じたその時。

「え、まじ? でも昌也ってアイツとは別れたんじゃねーの? 何か可愛い奴に乗り換えたって噂じゃん」
「でも廊下で堂々と揉めてたぞ。男同士の修羅場とかシャレんなんねぇな」

 ケラケラと笑い合うその会話には覚えがあった。僕は思わず彼らの腕を掴む。

「その話っ、詳しく教えてくれない!?」

 珍獣でも見る目つきで見られたが、今はそれどころでは無いのだ。


 ◇


 僕の元へ宏樹が現れた様に、隼人くんの元にもまた、昌也くんが現れた。

『詳しい会話は知らねぇけど、何か昌也に絡まれてたよ。途中で二人組が助けに来たから終わったけど、結構揉めてた』

 その話を聞いた後、もう数カ所だけ大学内を見て回ったけど矢張り隼人くんは見つからなかった。こうなったらもう、自宅に戻ったとしか考えられない。
 気付けば僕は、大学から飛び出していた。



 まだ限られた人しか知らない隼人くんの新居のインターホンを連打で押す。
 それでも無反応なドアの向こうに、もしかしたら此処にも居ないのかもしれないと諦めが頭の中を過る。けど。

 ――ガチャ…

 何の前触れもなく開いた玄関のドアに、僕は反射的に体を滑り込ませた。

「隼人くん!」
「新太さん…?」

 顔色が悪い。昌也くんに会ったのは矢張り本当だったのだと彼の顔色を見ればよく分かった。

「学校に行ったら噂を聞いて…大丈夫なの!?」
「あの、取り敢えず部屋に入ってください。声、ダダ漏れだから」

 僕は慌ててまだ開いたままのドアを閉めて、リビングへ向かう隼人くんの背中を追った。





「え…なに、これ」

 僕は持っていたカバンを床に落とす。目の前に広がるのはガランとした部屋の中と、積まれたダンボール。
 引越しは二日前に終えて、片付けだってもう済んだはずだ。なのに何故、再びダンボールが積まれている?

「隼人くん、これ」
「新太さん…俺、前の部屋に戻ります」

 僕は驚きで目を見開いた。

「どうして!?」
「アイツが…昌也が、探してるんです。俺のこと」

 蓋の開いたダンボールに衣服を詰め込もうとする隼人くんの手を、無理矢理に掴んでこちらを向かせた。

「馬鹿なこと言わないで! 昌也くんの元へ戻ってどうするの? 彼は今、宏樹と付き合ってるんだよ!?」

 やっと彼の呪縛から抜け出せそうなのに、どうしてまた戻るなんて言うの。
 今日のことを一部始終見ていた子達にも話を聞いた。昌也くんの主張はどう考えてもおかしい。
 あんな彼の元へ、隼人くんを戻したくなんてない。

「都合の良いように扱われても良いって言うの!? もうあんな苦しい思いはしたくないんじゃなかったの!?」
「だって! もうどうしたら良いか分かんないんだよっ!!」
「っ、」

 詰め込まれようとしていたシャツが僕の顔に投げつけられる。

「怖いんだ! だって何も残ってないッ。昌也が居なくなったら俺、何も残ってない!!」
「そんな事ないっ!」

 自分の膝を抱えて蹲る隼人くんに手を伸ばし、僕の腕の中に引き込んだ。

「どうしてそんな事言うの。どうして縋る相手が昌也くんなの」
「だって他に誰もいないじゃん!」
「いるでしょう!?」

 ――僕が

 そう言おうとして思わず口を噤んだ。自分でも、驚いたからだ。

 僕は誰が好きだった?

 あの日、確かに心に大きな穴が開いた。痛くて、悲しくて、みっともなく酒に溺れて。そうまでして取り戻したかったものはなんだった。
 心にぽっかり空いていた大きな穴は、気付けば柔らかなものに包まれて埋まりつつある。
 傷付いてからまだ間もないと言うのに、その修復速度は自分でも驚くほどに早いものだった。けど、それが何故かだなんて今なら考えなくても分かる。

「僕が…いるでしょう」

 腕の中にある隼人くんの体がビクリと強張った。

「新太さんも…離れて行くじゃん」
「行かない」
「ウソだ。新太さんは宏樹の所に行っちゃうよ」
「行かない。どこにも行かない」

 宏樹を『死ぬほど好きだ』と言った僕の口では、直ぐに信じられないのも無理はない。自分でも驚いているんだから。だけど、嘘だと否定しながらも隼人くんの手は僕の胸元を掴んだまま離さない。
 その手が、どうしようも無く愛おしい。




 もしも運命があるのだとしたら。
 あの日、同時に恋人に捨てられ、共に置き去りにされた事に何か意味が有るのだとしたら…いや、きっと意味はあるんだ。

「隼人くん、君は“運命”を信じる…?」

 僕は隼人くんを抱きしめる手の力を強めた。

 この出会いにはきっと意味が有る。例え少ない時間の中でも、大きく変化するものは必ず有る。何故なら…


 僕は確かに今、
 君に惹かれているのだから―――


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