2-1
深夜2時。
先に眠っている人間の事などお構いなしに立てられるドアの開閉音の後に、自分の物ではない足音が側を通り過ぎ、やがてシャワーの音が耳に届いた。
決して広くはないマンションの一室。
俺専用として宛がわれたこの部屋に、それもこんな真夜中にやってくる人間など限られている。
決して覚醒には届かない意識の中でそんな事を考えてる内に、先ほどまで響いていた流水音が消えたことに気付いた。
俺は瞼を閉じたまま、眠気で気怠い体を壁側に倒し寄せる。
間もなくして、俺の後ろでベッドの軋む音と共に短く吐く息の音が聞こえた。
そしてそのまま、暖かくも冷たくもない体温を携えた腕が俺の腰に回され、少しだけ後ろに引き寄せられる。
その瞬間俺と同じシャンプーとボディソープの匂いが鼻に届いたが、不思議とそれは俺を安心させた。
その香りを無意識に深く吸い込むと、俺は今度こそ戻れない眠りの底へと落ちて行った。
◇
午前8時。
古めかしい携帯が起床時間を告げて鳴くのを止めると、もそもそとベッドの上に起き上がった。チラリと隣を見るがそこは寝る前と同じで誰も居ない。
元からなのか寝癖なのか分からない爆発した髪を少しだけ掻き混ぜると、俺は漸く床に足を着けた。
今から3日前。
俺は許可を得ることなく客を取ったとして、数馬さんにボコボコにされた後、自室にて一週間の謹慎処分を受けた。
今の若者にとってはテレビも無い、パソコンも無い、その他の娯楽も何一つ無い部屋に一週間閉じ込められることは地獄かもしれない。
が、そんな環境で二十年以上生きてきた俺にとっては何てことない事だった。
そんなこと、口が裂けても数馬さんには言えないけど。
ぼうっとした頭でミネラルウォーターを取りに立ち上がったところで、部屋の中にチャイムが響く。
店はマンションを一棟貸し切って営業していて、俺はその内の一室を与えられている。
マンションは5階まであって、それぞれの階に5部屋ずつ。
1階が店と物置、マネージャーとオーナーの数馬さんしか入れ無い部屋が並んでいて、2階から3階までが客専用プレイルーム。
そして残りの4階と5階が従業員の寝泊まり部屋になっている。
俺はその中で5階の一番端の部屋、501号室を使わせて貰っているのだが、何故か俺の部屋は俺とマネージャー、そしてオーナーの数馬さん以外は立入禁止となっていた。
つまり、俺の部屋に誰かが来ると言う事はまず無いに等しい。
ではマネージャーか数馬さんが来たのかと問われれば、二人は部屋に来てもインターフォンを押したりしない。
一体、誰が来たのだろうか…。
俺は頭の上に沢山のハテナを浮かべたまま、玄関へと足を向けた。
「やっほ〜! 謹慎3日目元気にしてる〜?」
「………」
ドアを開けた目の前には、セーラー服を身に纏った少女…の様な青年、ユッキーが手を広げて立っていた。
「お前……着替えろよ」
「やだなぁ、使用済みじゃないよ? コレはさっき新しく入ってきたヤツで、似合うかどうか着てみてたんだけど、どう?」
ユッキーはスカートの裾を持ってくるりと軽快に回る。それに合わせてふわりと上がったスカートから細く白い太ももが露わになったが、俺には女装した男がただ回った、と言う事実しか認識できなかった。
「いや、分かんね」と正直な気持ちを呟けば、やっぱりユッキーは頬を膨らませて拗ねる。
「どうでも良いけど何しに来たの」
「糸くん冷たいっ! 退屈してると思って遊びに来てあげたのにぃ」
「いや、この部屋立入禁止になってるはずだけど」
それに遊んでたら謹慎にならないと思うけど。
そう言ってもユッキーは「良いの良いの、どうせオーナーは夜しか来ないでしょ」と言って部屋の中にズカズカと入り込んで来た。ホント、大人しそうな見た目と中身のギャップが激しい奴だと思う。
「部屋の中、結構綺麗にしてんだねぇ。この部屋ってオーナーも使ってるんでしょ? その割には物が少ないね」
「数馬さんは寝に来るくらいだからな。俺には必要なものって特にないし」
ユッキーは何か言いたげに俺の顔を見ていたけど、結局何も言わずにソファに座った。
「でもさ、オーナーってちゃんと自分の家があるよね?」
「うん、すっげぇ高級なマンションだってマネージャーが言ってた」
「なのにここに寝に来るの?」
ユッキーは部屋の中をぐるりと見回し首を傾げた。
「一人には十分な広さだけど、男二人には狭いよね。オーナーっていつもどこで寝てるの?」
「何処って、そこ」
俺は部屋にひとつだけ有るシングルベッドを指差す。
「え…じゃあ糸くんは?」
「?、そこ」
俺がまた同じベッドを指差すと、今度こそユッキーは目を見開いて驚いた。
「一緒に寝てるの?」
「そこ以外に寝るとこ無いだろ、それに毎日って訳じゃないし」
「いや、そう言う問題じゃ……ま、い、いいや。あ! そうだ僕暇つぶしを持ってきてあげたんだった!!」
何かもごもごと口ごもっていたユッキーは、勝手に自分で解決したのか話の流れを変えた。
そしてここに来た時からずっと持っている紙袋を漁りだす。
「じゃじゃ〜ん! このあと各プレイルームに置く予定の、新作ゲイビで〜す!」
「げいび…」
「AVは分かるでしょ? それのゲイ版だよ」
「何でそれを俺に見せるんだよ」
俺ゲイじゃ無いんだけど、とユッキーを睨めば、ユッキーは目線を宙に泳がせた。
「だ、だってほら、八島さんに酷い目に合わされたって聞いたし…でもここ辞める訳じゃないんでしょ? それならちょっとでも男同士に対する悪い印象が拭えないかな〜って思ったりなんかしちゃったり…して」
それで持って来た物がゲイ物のAVかよ…とは思いつつも、それがユッキーの優しさなのだと思えば受け入れるしかなかった。
「……見る」
「ほんと!? あ、強姦ものとかじゃないからね! 溺愛ものだから!」
「分かったから。でもこの部屋テレビ無いんだけど」
「ふふふ、抜かりはないよ。隣の部屋には大型テレビがあるのでぇ〜す!」
そう言ってユッキーは、この部屋の隣、502号室の鍵を取り出した。
◇
パンパンパンパンパンパンっ!!
『んっ! んっ! んんっ! あっ、だめッ、イクッ、いくぅう! あぁああっ!!』
目の前ではお世辞にも“可愛い”とは言い難い男が、これまた浅黒い肌の男にめちゃくちゃ犯されていた。
それでもその顔はドロドロに蕩けていて気持ち良さげで、ずっとイキっぱなしで。それが例の…尻の穴によって得られる快楽なのだとは信じられなかった。
だってそこは、俺に痛みと気持ち悪さしか与えなかった場所なのだから。
隣をチラリと見てみれば、ユッキーが画面を食い入る様に見ている。
「なぁ…」
こそっと話しかけてみるが、ユッキーはゲイビに夢中で気付かない。
「なぁって、」
「ッ、うわっ、」
軽く手の甲でユッキーの肩を叩けば面白い程に体が跳ねた。
「なっ、何!?」
「あのさ…これって本当に気持ちぃの?」
「え?」
「俺、八島に指入れられた時すげぇ気持ち悪かったし痛かった。こんなアンアン言えるなんて信じらんねぇ」
俺は再び画面に視線を戻したが、ユッキーは俺を見たまま動かなくなった。
「糸くん…お尻弄られたの…?」
「ん? あぁ、ま、少しだけ。その後自分でも触ってみたけど、やっぱ痛くて直ぐ止めた」
「自分で触ったの!?」
「だってさ、もし数馬さんにヤらせろって言われたら困るし……つかあの人ってゲイなんかな? って、わっ!?」
気付けば俺は、ユッキーによって床に押し倒されていた。
「おい…?」
「糸くん…お尻触る時、ちゃんとローション使った…?」
「ローション?」
「男の子は女の子と違って濡れないから…人工的に濡らしてあげないといけないんだよ」
はぁ、はぁ、はぁ
おい、何かコイツ息荒くねぇか?
何となく嫌な予感がしてユッキーを押し退けようとするが、あの小柄で細身で女みたいな奴からは想像もつかない力で俺は押さえ付けられていた。
「使わないと痛いよ…でも、使うと凄く…気持ち良くなれるんだよ…」
「へっ!?」
そう言いながらユッキーが俺のスウェットパンツに手を突っ込んできた。
細くて綺麗な指は引っかかることなく俺の下着の下まで到達し、揉み込まれた尻たぶの感覚に体が反射で飛び跳ねた。
「おいっ、ユッキー! ちょ…お前っ、ぁっ」
「はぁ…はぁ、お尻…柔らか…」
指はどんどん下へと進んでいき、遂にその奥まった場所へと到達する。
ユッキーはスカートの下で固くなった自身を、まだ柔らかいままの俺のソレに擦り付けながら、首筋にちゅっちゅとキスをした。
そうして奥まった場所を指の先でゆっくりと何度も撫でる。その度に俺の背中には訳の分からない感覚が走り、力が抜けた。
「あっ、…ぁ、まっ、」
「糸くん…糸くん可愛い…」
「うぁっ!」
耳を柔く噛まれ思わず声を上げた、その時。
俺は、地獄の底から響く声を自身の耳で捉えた。
「随分と謹慎を満喫してんなぁ、糸ぉ」
「ッ!!!」
「ッ!!??」
俺は自分でもびっくりするほど強い力でユッキーを突き飛ばす。
「数馬さんっ!?」
何でここに、と驚いて声を上げたのは俺だけだった。ユッキーは俺の横で顔を真っ青にして座り込んでいる。
「あのっ、あの俺っ、」
パンパンパンパンパンパンッ
『あっあっあっ! くっ…あっ! あぁあうっ、あっ、ひっ、』
緊張感の走る部屋の中で、テレビからは未だに激しい溺愛セックスに感じて善がる男の声が響いている。
だが、そんな音を気にしている余裕なんて俺には無かった。
だって、絶対いま数馬さんはブチ切れてる。
黙ったままこっちに近づいて来る足音に、俺は反射で殴られる衝撃に備えた。が、その衝撃はいつまで経っても来ることは無く、数馬さんは俺を通り越す。
俺は呆気に取られ思わず数馬さんを見上げたのだが…俺を見下ろす数馬さんの目に思わずひゅっと息を呑んだ。
氷の様に冷たい目。
その目で俺を見下ろしながら、ベッドに腰掛けた数馬さんがニヤリと口元だけで笑った。
「俺の前でヤッて見せな」
「は、……え?」
訳が分からずポカンとしていると、数馬さんの視線は俺を通り越しその後ろに向いた。そして再び信じられない言葉を紡ぐ。
「ユキ、続けてやれ」
今度こそユッキーは「え、」と声を出した。
「ヤリてぇんだろ? ほら、見ててやるから続けろ」
数馬さんが長い足を組みながら言い放つ。
「悪かったなぁ、そんなにテメェがヤリてぇ盛りだとは思わなくてよ。何なら八島もあのまま任せりゃ良かったか?」
「な…」
何を言われているのか、俺は直ぐに理解できなかった。
「か、かずまさ」
「早くしろ。今すぐここで、俺の前でヤれ。ユキ」
呼ばれたユッキーが体をビクッと跳ねさせる。
「今まで尻弄ってたんだろ?」
「いっ、いえ! まだ…そこまでは…」
「じゃあ今から弄れ。ローションとゴム持ってこい」
「でっ、でも、」
「何度も同じことを言わせるな」
ユッキーは慌てて部屋から出て行った。多分、自身の部屋に戻ったのだろう。ゴムと、ローションを取りに。
「数馬さん」
「…………」
「数馬さんっ!」
黙ったまま見下ろされるのが堪らなく辛かった。言いつけを守らず部屋を抜けたのは俺だ。だから、殴られると思った。
なのに予測したそれは一つも無い。むしろ数馬さんは俺を怒鳴りもしない。
どうして
どうして
どうして
痛みしか知らない俺はどんどん不安になる。
「数馬さん…」
呆然とする俺の背後では、相変わらず愛され過ぎた男が喘ぎ声を漏らしていた。
『あっあっあぁあぁあああぁあッ!!!』
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