1-2*
※モブとの絡みあり。
向かう足取りは重く、思っていたよりも時間がかかったが迷う事無く指定のホテルに辿り着いた。
正直、怖い。
どんな男かも分からない奴に、これから尻を犯されるのかと思うと足が震えた。
でも、遅かれ早かれこうなる筈だったのではないかとも考える。
金に困っていて、かと言って使う頭脳もない俺は、結局カラダで稼ぐしか出来ないんじゃないかと思うのだ。
そこにゲイかどうかは関係ない、相手が何を求めるかなのだから。
「初めて……褒めて貰えるかもな」
全く笑ってくれない、いつも怒ってばかりの俺の飼い主。
二十年共に過ごして来た母親には一度も期待した事なんてなかったのに、数馬さんに褒められるかもしれないと思うと下がったはずの気分が少しだけ浮いた気がした。
見上げたホテルは見慣れた毒々しいものでは無く、寧ろ高級感漂う立派なものだった。
それだけ相手が大物と言う事なのか、余計に体に力が入る。
失敗は許されない。
そうして踏み出した一歩がどれ程重いものだったのか…俺はこの後、嫌という程思い知ることになる。
「へぇ、君がトイくん?」
“トイ”とはマネージャーが咄嗟に付けた何の捻りも無い俺の源氏名だ。
開いた扉の先に居た紳士然とした男、八島(やしま)は、俺を見た途端爬虫類みたいに目を細めて舌舐めずりをした。
「さぁ、中に入って」
「し…つれい、します」
背中に回された手の温度が気持ち悪い。
身震いしたのが伝わったのか、八島は可笑しそうにクツクツと喉を震わせた。
「そんなに緊張しなくて大丈夫だよ。酷い事はしないから」
「はい…」
そう言われたって怖いものは怖い。
俺は震える手で携帯を取り出すと、売り子達がやっている様にプレイスタートの連絡を店の専用電話に入れた。が、可笑しなことに誰も電話に出ない。
いつもならマネージャーが出られなくても、必ず誰かしら出るのに。
コールをし続けるが一向に状況は変わらない。仕方なく不安を覚えつつも電話を切ると、隣に立って様子を見ていた八島が俺の顔を覗き込んだ。
「どうかした?」
「あ…いや、」
「唯でさえ定を狂わされてるんだ、もう始めても良いかな?」
品の良い高そうなスーツに身を包んだ八島は、その服装に不釣り合いなギラギラした欲望を垂れ流し俺の腕を掴んだ。
怖い怖い怖い怖い怖い
気持ち悪い
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
無理矢理押し込まれる形で連れ込まれたトイレの中で、八島に見られながら何度も何度も腸内洗浄をされた。
換気機能が優れいているのか不愉快な臭いは直ぐに取り払われるものの、それでも排泄した直後は無臭と言う訳にはいかない。自分の排泄物の匂いと男の荒い息に涙と吐き気が込み上げ、耐えられず嘔吐するが八島は余計に喜ぶだけだった。
最悪だ。
何なんだこの変態は。
マサキはこれが嫌で逃げたのだろうか?
だとしたらその気持ちにはとても共感できると、ぐちゃぐちゃに乱れた頭の中でマサキを思い浮かべた。
ぐったりとした俺をシャワールームに連れて行き体をおざなりに洗ったかと思うと、八島は嬉々として俺をベッドに突き飛ばす。
「この髪色良いね、地毛なのかな?乾いていても綺麗だけど、濡れるともっと深みが出る」
陽にあたると透けてオレンジ色に見える髪色は、両親が一番嫌っていたものだ。
それを初めて『綺麗だ』と言われたことに、俺は不覚にも一瞬気を抜いてしまった。だがそれは矢張り間違いだった。
「ぃ"い"ッ!?」
「良いね、その生意気そうな目付きも気に入ったよ。凄く怒っていたけど、君に免じて優しくしてあげよう」
八島は俺の髪を加減無しに鷲掴み顔を無理矢理上げさせると、ギンギンに反り立った男根を俺の口元に押し付けた。これの一体どこが優しいって言うんだ。
この男は少し頭がオカシイのかもしれない。
「ほら、咥えて勃たせて。上手くなるように指導してあげるからね」
もうMAXで勃ってんじゃねぇか!! と罵倒したい気持ちを必死で抑え、男臭いそれをそろりと出した舌で舐め…
「あぁあっ!!」
「ぶわっ!?」
舌先が触れた瞬間ドロッとしたものが突然顔面にブチまけられ、少しだけ口に入ったそれは恐ろしく苦くて不味い。慌てて口から吐き出そうとするが八島は更に髪を掴む手に力を込め、俺の頭を前後に無理矢理揺さぶった。
「可愛いなぁ君は!! そんなに恐々とされちゃあ我慢できるワケないじゃないかぁあ!!」
「うぐぇえっ! むぐっ! ぐえぇえっ!! むぐぅうっ!!」
ガンガンと腰を振りながら俺の口の中に突っ込む八島は最早獣と化していて、紳士なんて言葉はどこかへ吹っ飛んで無くなっていた。
俺の頭の中はただただ混乱していて、何をされているのか分かっている様でいて思考がついて行かない。
無理矢理喉の奥に突っ込まれて嘔吐くが、既に腸内洗浄の時点で胃の中の物すべてを出し切っていた俺からは胃液くらいしか出てこなかった。
「はは! 私のモノを胃酸で溶かすつもりかい?」
気持ち悪くて、胃の中も頭の中も視界もぐるぐると回っている。
男が煩く何か言っているけど、もう俺にはそれを聞き取ることが出来なかった。
ひたすら早くこれが終わる事だけを願って脱力すると、屈服したと思ったのか八島がまた嬉しそうに何かを叫ぶ。
それと同時に口の中に不味い物が広がった。
吐き出すこともままならず男に尻を向けた形で四つん這いにさせられ、遂にそこへ男の指がかかった。
あぁ…
売り子って大変なんだな。
カラダを売るのって大変なんだな。
お前らが俺を悪く言う気持ち、すっげぇ良く分かった。
ちょっと尊敬したかも。
でも…
この仕事も俺には向いてないかもしんないな…だって、何一つ気持ちよく無い。気持ち悪くてしょうがない。
カラダすら売れない俺には数馬さんの世話になる資格ってやつが無いのかも。
だったらやっぱり、離れるしかないのかな…と、いつも堂々巡りを繰り返す答えに再び辿りついたその時。
男が繰り返す荒い呼吸の合間に、バタンと扉の閉まる音が聞こえた気がした。
「ん…?」
八島もそれに気付いたのか、一度俺から指を外すと入口に続く方を見る。
すると矢張り、その方角からは人の足音が聞こえてきた。
二人…ほど居るだろうか?
「な、なんだ?」
それは迷わずこのベッドルームに辿り着き、荒々しい足音を立てて部屋に踏み込んできた。
「八島さん、そこまでです」
「………え、なんで」
思わず呟いたのは俺だった。
だってそこには、ここに居るはずの無い人が立っていたから。
「なにしに来た! まだ途中だぞ!」
「“ソレ”は売り物ではありませんので引き取らせて頂きます」
「ぐぅッ!!」
居るはずの無い人…数馬さんは、酷く冷たい声で言い放つと八島を蹴り飛ばし、その下に居た俺を引きずり出した。
「かずま、さん…」
「……………」
声音からして、完全に怒ってる。
また凄い形相をして俺を見てるんだと思いながらも、恐る恐る俺は数馬さんの顔を見上げた。が、
「ぁ……」
俺は呼吸を忘れてしまった。
だって、数馬さんの顔が…
「おい! 何考えてる! 俺にこんなことして良いと思ってんのか!! あ!?」
俺がもう一度数馬さんに声を掛けようとしたところで、八島の怒声がそれを止めた。
数馬さんは俺から目を逸らし八島を見ると、まるでツバでも吐く様にして言い捨てる。
「恩義のある相手はアンタじゃ無いんでね」
「なにぃ!?」
「あの人の弟だからと多少大目に見て来たが…まぁ、それも今日までだ」
数馬さんはそのまま俺を荷物みたいに肩に担ぐと、さっさと八島に背を向けて歩き出した。
数馬さんの後ろについて来ていたホテルマンらしき青年が、慌てて担がれてる俺にシーツをかける。
「仕返しっ、仕返ししてやるからなぁ!!」
まだ後ろから叫ぶ八島に、数馬さんは一度だけ足を止め首だけで振り返る。
「こんなトコで遊んでんの、バレて困るのはアンタじゃないのかぁ? なぁ、八島組の雌犬さんよぉ」
それきり八島はパタリと大人しくなり、今度こそ誰に止められる事もなく俺たちはホテルを後にした。
◇
外に出た俺はそのまま黒塗りのデカい車に投げ入れられた。
よく見ればそれはいつも数馬さんが乗っている車で、普段なら運転手が居るはずのその位置に数馬さんが荒々しく腰を下ろす。
「か、数馬さんが運転してきたんスか?」
俺の問いかけは完全に流され、それからマンションに着くまで数馬さんは無言で車を走らせた。
「ヨシ、こいつを風呂に入れたら上がって来い」
店として使っている103号室に引きずる様にして俺を連れて行った数馬さんは、マネージャーに俺を投げつけると部屋から出て行った。
「シャワー、浴びるか」
俺を支えたマネージャーを振り向けば、右側の頬が変色して腫れ上がっている。
「マネージャー、その顔」
「お前が気にすることじゃない。ほら、さっさと風呂入れ」
背中を押されバスルームに入れられる。
シーツさえ外してしまえば全裸だった俺は、そのままノブを回して殆んど水に近いシャワーを浴びた。
八島にかけられた精液が顔や肩にこびり付いたまま固まっていて、これを数馬さんやマネージャー、まだ部屋に残っていた売り子達に見られたんだと思うと、珍しく本気で憂鬱になった。
用意してもらった適当な服に身を包みマネージャーと共に自身の部屋に戻れば、そこには無表情を張り付けた数馬さんがソファに座って待っていた。
俺とマネージャーはその数馬さんの足元…つまり床に正座して向き合ったが、正直怖すぎて数馬さんを見ることは出来ない。だって、周りを漂うオーラが黒すぎるのだ。
それはマネージャーも感じ取っているのか、俺の隣で冷や汗をかいている。
「で、何でテメェが客なんか取ってんだ?あ?」
「え…と、……」
難しい事を聞かれている訳では無いのに、質問が単刀直入過ぎて逆に言葉が出てこない。
俯いたまま俺がオロオロしていると、横からマネージャーが助け船を出してくれた。
「オーナー、こいつは悪くないんです。俺が頼んじまったから、だから糸は」
「俺は糸に聞いてんだ、お前は黙ってろ」
「す…すいません」
だがそんな船も直ぐに沈没し、再び突き刺さる視線が俺に戻って来た。
見なくたって分かる。今数馬さんはめちゃくちゃ怒ってる。
けど、考えてみれば何故怒っているのか俺にはイマイチよく分からない。
だって俺は店に貢献していたはずだ。あんなグダグダな電話番よりもずっと役に立ってたはずだ。
実際客であった八島は喜んでたじゃないか。
俺はゴクっとツバを飲み込み口を開いた。
「俺、そんなに悪い事、したんスか…?」
「…あ?」
「だって、人が足りねぇって言うから…。ユッキーみたいのじゃなくて、ブサイクが良いって言うから、俺、やっと役に立てると思ったんだ。実際あのオッサン、すっげぇ楽しんでたじゃん」
そこまで言った瞬間、俺の左側から何か固い物がぶち当たって来た。そのまま体が吹っ飛んで隣に座っていたマネージャーにぶつかる。
「糸ッ」
「いって…」
それが数馬さんの足だったのだと、体制を整えた時に漸く気付いた。左頬と肩が痛む。俺は数馬さんに蹴られたのだ。
「俺がいつ、お前に客を取れと言った?」
「でも…俺、」
「俺がッ、いつッ、お前に! 客を取れと言った!?」
「うッ!!」
パァン、と頬を殴られた時の破裂音にも似た音が他人事みたいに耳に届いた。
痛みは俺を馬鹿にするみたいにじわじわと時間差でやって来る。
余りの力の強さに目を回してくらくらしていると、その俺の胸倉を数馬さんに掴まれた。
「テメェを電話番に置いた意味、分かってんのかぁ?」
「ッ、」
もう一度頬を殴られ、今度は反対方向へと顔が向く。
「ンな見れたもんじゃねぇツラしといて、店の売り物になるとでも思ってんのか? あ!?」
「でも、」
「黙れッ、俺が売り物にならねぇっつったらならねぇんだよ!」
何度も何度も殴ったあと俺を床に放り投げ、そのまま数馬さんの足で横っ面を踏みつけられた。
散々殴られた顔はどんどん腫れ上がってきているし、鼻血を垂れ流し酷い有様になっていることは見なくても分かる。
「テメェを拾ったのはヨシじゃねぇ、俺だ。テメェは俺のモンなんだよ分かるか? あ? 俺が飯食えっつったら飯を食え。クソしろっつったらクソしてろ。テメェはただ黙って俺の言ったことに従ってりゃ良いんだよ。それが出来ねぇならテメェはもう「オーナーッ、もう止めて下さい!」
俺の顔を踏みにじっている数馬さんに、マネージャーが耐え切れず止めに入った。
「糸、血まみれですから…」
「…………」
誰にでも容赦のない数馬さんが柄にもなく、血まみれな俺の顔を見て足を退けようとする。けど…
「あ?」
「糸…?」
退けようとした数馬さんの足首を、俺は無意識に掴んでいた。
「……ねぇ、で」
「なに?」
「…捨てねぇで、かずまさん」
「ッ、」
腫れあがって視界の狭まった目でも、数馬さんとマネージャーが驚いた顔をしたのが分かった。
俺、そんな変な事言ったかな。
「間違えたら、殴って。言う事、聞くから。ちゃんと…守るから」
俺がカラダを売れば、それで恩返し出来ると思った。
褒めてもらえると思ったんだ。
でも、それがこんなに数馬さんを怒らせることになるなんて思わなかった。
そして何より、迎えに来た時の数馬さんは汚れた俺を見た瞬間、凄く…凄く悲しそうな顔をしたんだ。
それがどうしてかなんてあの時の俺には分かんなかったし、今だって正直分かんない。それでも、あんな顔は二度とさせちゃダメだって思った。
だからもう一度やり直させて欲しい。
俺は数馬さんを喜ばせたいし、俺は数馬さんに褒めてもらいたい。
母親に捨てられたって何とも思わなかったのに、死にそうになっても怖くなかったのに、俺はこの人に見捨てられることが…どうしても怖いんだ。
数馬さんの言う通りに動くだけで願いが叶うなら喜んでそうする。
だから、だから頼むから俺を…
「捨てねぇで…お願い」
俺は残った力を振り絞って数馬さんの足にしがみ付いた。
数馬さんはしがみ付く俺を振り払わなかった。けど、その代わりに…
「あでッ!?」
バシン! と良い音を立てて俺の頭を平手で叩いた。
音程痛くないそれは、先ほどまで与えられていた“暴力”とは違うのだと分かる。
驚いて足元から数馬さんの顔を見上げると、そこには片方だけ口角を上げて笑ってる数馬さんが居た。
そう、笑ってたんだ、あの数馬さんが…
「バァーカ、誰が捨てるっつったよ。俺はこう見えても責任感が強ぇ男なんだ、一度拾ったもん簡単に捨てたりしねぇよ」
「へぇ…」
良くわからず返事をすれば、数馬さんもマネージャーも変な顔をした。敢えて言うなら、残念そうな顔…か。
「兎に角、今度勝手に何かしてみろ。お前の首に縄付けて縛って自由に動けねぇ様に閉じ込めてやっからなぁ。覚えとけよこの駄犬」
数馬さんは今度こそ俺を足から振り落とした。
俺はそのまま床に転がる。
部屋を出て行く数馬さんをマネージャーが追いかけて行って、何か少しだけ話をしてから数馬さんだけが部屋を出て行った。そうして部屋に戻って来たマネージャーの顔は、何故か赤かった。
「どうかしたの、マネージャー」
寝転がったまま俺がそう聞くと、マネージャーは困ったように笑いながら俺の横にしゃがんだ。
「何でもない。それよりお前、立てるか?顔がひでぇことになってんぞ、早く洗って冷やせ」
俺は手伝って貰いながらなんとか起き上がりソファに移動すると、キッチンへと消えて行くマネージャーに声を掛けた。
「……ねぇ、マネージャー。結局俺って、捨てられずに済んだの?」
そしたらマネージャーは「当たり前だろ、明日からもしっかり働けよ」と言って俺に濡らした冷たいタオルを投げて寄こした。
俺はそれで顔を拭いながら、ウトウトと眠りの世界に誘われる。
八島の相手で心身ともに疲れていたし、その上数馬さんからの暴力で俺の体は限界を越していた様だ。
今日はもういいや。明日から頑張ろう…。
そう思った途端、俺の意識は簡単に夢の世界に連れて行かれた。
だから俺は知らない。
「お前、とんでもねぇ人に捕まっちまったなぁ」
そう言って、眠る俺を見下ろしたマネージャーが苦笑していた事を…
第一章:END
☆おまけ☆
↓ ↓ ↓
足にしがみ付いていた糸を振り落としたオーナーは、そのまま玄関へと向かって行った。
俺はそれを慌てて追いかけた、のだけど…
「おい、ヨシ」
「はいっ」
「アイツに関して“次”は無いからなぁ。お前も覚えとけ」
「は、はい、すみませんでした」
「あぁ、それと」
「はい?」
『そんなに男に股開きたきゃ、俺が嫌ってほど開かせてやるってあのバカに伝えとけ』
見下ろした先の、パンパンに顔を腫れさせたまま無防備に眠る糸にほんの少しだけ憐れみを抱く。
糸が客を取ったと分かった途端店に乗り込んできたオーナーに、加減なく頬を殴られた。
そうして運転手を車から追い出し嵐の様に糸の元へと向かっていった彼の後ろ姿を、店の誰もが信じられない気持ちで見送った。
何にも執着し無いあのオーナーが、糸にだけは可笑しくなるのだから世の中不思議なものだ。
「お前、とんでもねぇ人に捕まっちまったなぁ」
オーナーに殴られた頬の痛みと共に、俺は新たな頭痛の種を抱え苦笑した。
END
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