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 次男くんは、俺に“逃げたい”と言った。そう、諦めたいのではなく、逃げたいと言って救いを求め手を伸ばしたのだ。
 そうしてその差し出された手を取ったのは他の誰でも無く……俺だったんだ。


「逃げるって決めたなら、最後まで逃げ切ろうよ、次男くん」



 ◇



 肩を大きく揺らし荒く息を吐く上代は、額の汗を軽く拭うと最後に一度大きく息を吐いた。それによって息が整ったのか背筋がスッと伸びる。

「アンタ…何しに来たんだよ」
「ほんと本性えげつないよねぇ、二階堂兄弟は」
「るせぇ、何しに来たかって聞いてんだよ」

 まるで敵を威嚇する獣の様に唸る由衣に、上代がふっと笑った。

「そんなの一つに決まってんでしょ?取り返しに来たんだよ、“俺の”次男くんをさ」

 驚いて目を見開く紫穂の後ろで睨みを強くする諒と、紫穂の前に立ち唸る由衣。しかし、そんな中でクツクツと喉を震わせた者が居た。

「なにそれ、面白いね」

 今まで入り口付近から殆んど動かなかった和穂が、ゆらりと足を進め上代の横に立った。

「俺、別に笑わせるようなこと言ってないと思うけど」
「へぇ? “俺の”とか言っちゃったのは、冗談じゃないの?」

 和穂はゆらゆらと上代の周りをうろついた。けど、そんな和穂が標的としてロックオンしたはずの上代の目はずっと…諒の腕の中の紫穂に向けられていた。

「寧ろ、何で冗談だと思うのか教えてくんない?」
「はっ! やっぱりアンタは大バカ者だよ! 僕らが知らないとでも思ってんの!? 上代っ、アンタの目的は和穂兄だろ! ずっと紫穂ちゃんを和穂兄の代わりにしてたんだろ!? このクソ野郎っ!!」
「何だ、チャラ男くんってばそんなに僕が好きなの?」
「………」
「そんなに僕が好きなら抱いてあげようか? それとも、抱いてみる?」

 シーちゃんから離れるなら、どっちでも受け入れてあげるよ、なんて。そんな事を笑って言う和穂に、紫穂は全身に鳥肌を立たせた。それと同時に再び心に虚しさが広がる。
 由衣や和穂が言う様に、矢張り上代は紫穂を和穂の身代わりに使っていたのだろうか。和穂の体に良く似た色と形、大きさ。上代が何度も紫穂を求めたのは、そんな和穂を連想させる紫穂の“カラダ”に興奮したからなのだろうか。
 予測だけでしかなかったそれが今、紫穂の中で確信へと変わり始めていた。だが…

「ふっ…くく、」

 上代が堪えきれないと言った様子で声を漏らした。その瞬間、楽しげに上代を追い詰めていたはずの和穂の顔が怪訝なものに変わる。

「…なぁに?」
「確かに俺は三男くんを意識してるよ。でもそれは、どれだけ頑張っても越えられない壁って言うか、障害物って言うか…俺にとって三男くんはそう言うものなんだよね」

 そこまで言ったとき、矢張り声を上げたのは由衣だった。

「嘘だ!! だってアンタは水城さんを和穂兄の代わりにしてるじゃないか! みんなそう言ってるんだから!!」
「確かに…水城と関係を持ったのは三男くんに似てたからだ。実際水城にもそれを理由に誘われたしね。けどさ、水城を抱いたら直ぐに気付いちゃったんだよね。俺は三男くんの悔しがる顔を見たかっただけで、恋愛対象としては見てないんだって。ずっとずっと、憎らしい存在でしかなかったんだってね」
「嘘だ嘘だ嘘だッ!! だったらなんで今でも水城さんと!!」

 取り乱した由衣に上代は苦笑する。

「最低な話だけど、俺って貞操観念低いからさ。水城とはまぁ…単なるセフレであって、それ以上でもそれ以下でもない。正直何の感情もないんだよ」

 皆が上代の言葉に驚き唖然とした。それは勿論、紫穂も同じだった。

「…は? 何言ってんだよアンタ。だったら、何で紫穂ちゃんを…」
「ねぇ、次男くん。どうして俺たちが“恋人”なんてものになったか、覚えてる?」

 まるでレーザービームの様な強い眼差しで上代は紫穂を突き刺す。

「『今すぐ抱いてくれ』って、『兄弟なんかにヤられる前に他人に奪われておきたい』って、そう言って俺に隙を見せたのは君だよ、次男くん」
「上代…」
「俺は初めから次男くんを三男くんと重ねちゃいなかった。まぁ、二階堂兄弟は色んな意味で有名だから知ってはいたけど、同室でクラスメートってくらいしか接点が無くて、大して話したことも無かったし。
 だから正直次男くんの誘いには驚いたよ。何で俺を選んだのかな? ってさ。まぁでも最近退屈だったし、真面だと思ってた次男君がそう言わなきゃならなくなった現状ってやつにも興味を引かれてさ、それで誘いに乗ったんだ。それが俺たちの始まりだよ」

 そして請われるままに紫穂を抱いた。だがそれは、思ってもみない方向へと上代を導いた。

「単なる興味本位だった。二階堂兄弟がどんな反応するかも見てみたかったしね。だけどさ、多分俺は…次男くんに触れた一発目からもう、完全にやられてたんだ」

 血の繋がった兄弟たちから向けられる、異常な愛情から逃げようとする紫穂。そうして普通とは言い難い道を選び、上代と言う同性にカラダを明け渡し泣きそうになりながらも快楽に溺れていくその姿は…。

「どうしようもないくらい心が揺さぶられたよ。背も高いし、目付きだって良い方じゃない、見た目は完全に普通の高校男子なのにさ。何も出来ない子供みたいな目をして、そのクセ酷く甘くてやらしい声出すんだもっ…!?」

 上代が言い切る前に“ガンッ”と何かが棚にぶつかる音が部屋中に響いた。間一髪と言った形でそれを避けた上代。その上代の顔の横では和穂の足が鉄の棚をへこませていた。

「あっぶねぇ…これ、殺す気だった?」
「……そんな話、聞きたくないんだけど」

 全く余裕を無くした和穂は、ただ棚にめり込んだ足を下しながら上代を睨みつけている。だが、そんな和穂に脅えたわけでもないのに、上代は初めてその顔から笑顔を消した。

「いいや、聞くべきだと思う。今まで散々次男くんを好きに動かしてきたんでしょ? 近寄る者を排除して、無理矢理に自分たちしか見れないように仕向けてさ。けど、だからこそアンタ達は知らなさすぎる」

 兄弟たちに襲われた後の紫穂はいつだって悲壮感に濡れていた。その姿は酷く艶めかしく隙だらけで、興味本位だったはずの上代は気付けば思わずその隙を狙って入り込んでいた。
 一度カラダを許している相手に紫穂のガードは驚くほど脆く、簡単に“偽の恋人”なんて馬鹿げた関係を築かせてくれた。でもそうして擽られた加虐心は、その後の紫穂との関係で徐々に変化していったのだ。

「いつも諦めたような顔してんのにさ、偶にふっと笑うんだ」

 だけどそれは、いつだって上代の想像とは違う場面で見せた。

「アンタ達さ、一体いつから次男くんの笑顔を見てないわけ? 端から見てたって、兄弟の間でそんな時間持てて無いよね。それでどうして満足してられんの?」

 好きだって言うなら、笑った顔を見てたくないの? そんな上代の言葉に、諒も由衣も、そして和穂でさえも思わず言葉を失くした。

「手に入れてしまえばそれで満足? 泣き顔ばっかり見ててそれで満足? 次男くんのカラダを好きに出来ればそれで満足なのかよ。隙に付け込んだ俺が言えた立場じゃ無いのは分かってるけど…それでも俺は、嫌だと思ったよ。強引に抱いたって快楽は与えてやれるけどさ、次男くんは……そっと抱きしめて優しく頬にキスすると、恥ずかしそうに擽ったそうに…小さく綺麗に笑うんだ」

 紫穂は顔を真っ赤に染めた。そんなこと、紫穂自身も知らないことだったからだ。

「お…俺、」
「笑ってくれたんだよ」

 上代は紫穂に向けて、これ以上ないくらい優しく微笑んだ。

「兄弟達が可笑しくなるのは理解出来る。次男くんは俺たちを狂わせる何かを持ってんだ。“逃げたい”って言う癖にちっとも本気で逃げない次男くんを見て、俺だって何度酷く犯してやろうと思ったか分かんない。けどさ…結局最後に見たくなるのは脅えて泣いて縋る顔なんかじゃなくて、嬉しそうに笑ってくれる顔なんだよね」

 真っ直ぐ、紫穂だけに向かって、上代はその長い腕を伸ばした。

「おいで、次男くん」
「ッ、」
「一人にしたりしない。諦めさせたりしない。ずっと笑っていられるように、俺が必ず最後まで逃がしてあげるから」

 だから、俺の所においで。

「上代…」

 紫穂の瞳から、涙が一粒零れ落ちた。
 胸の奥が押しつぶされるように痛んだけど、不思議と心地よくも感じる…今までに感じたことの無い痛みだった。思わず身じろいで、閉じ込められていたはずの諒の腕の中から飛び出した。でも…

「行かせるわけ無いでしょう」
「いッ、」

 走り出した紫穂の腕は、上代へ辿り着く前に和穂に捕えられていた。

「馬鹿なこと考えないで」
「和穂っ」
「僕らが今まで我慢してきた意味はどうなるの? 僕との約束はどうなるの? 約束破ったらどうなるか、アレだけ教え込んだのにまだ分かんないの? ねぇ、シーちゃん」
「痛ッ、和穂! 痛いッ!!」
「和穂兄やめてっ! 乱暴だけはしないって言ったじゃないか! 紫穂ちゃんを放して! きゃあッ!!」

 紫穂に乱暴を働く和穂に耐え切れず由衣が飛び出すが、体格差もあり簡単に由衣は和穂の片腕で弾き飛ばされた。華奢な体が壁にぶつかり嫌な音を立てる。壁に沿ってズルズルと床に倒れこんだ由衣はそのまま動かなくなった。

「由衣っ!」
「何であんなチビ見るの? 駄目じゃない、僕以外を見たら…どうして分からないの? 僕たちは二人で一つなのに、どうして僕以外を選ぼうとするの」
「あ"ぁ"あッ!!!」

 掴まれた腕を変な方向へと捻り上げられ紫穂が悲鳴を上げる。

「次男くん!!」

 暴走を始めた和穂に上代が飛びかかろうとしたところで、突然和穂の体が紫穂から離れ吹っ飛んだ。

「行け、上代! 早く紫穂を連れてけ!!」
「先生っ?」
「諒くん!?」

 和穂が吹っ飛んだのは、諒が脇腹を蹴り込んだからだった。

「良いから早く行けッ!」
「ッ、…行くよ次男くん!!」

 ハッとした上代が素早く紫穂の腕を取り走り出す。釣られて紫穂も走り出すが、それでも…と思わず諒を振り返った。

「……行け」

 諒は紫穂を見ずに呟く。そんな諒の足元で、和穂がゆっくりと立ち上がろうとしていた。

「りょ…」
「行け!!」

 諒の声に背中を押されるようにして、そのまま紫穂は上代とともに部屋を飛び出した。部屋からは何度か鈍い音が聞こえたが、紫穂は今度こそ振り返らなかった。





 校舎から飛び出した二人の頭上は、来た時よりもどっぷりと夜に浸かっていた。体育会系では無い二人には永遠に走り続ける事なんて無理な話で、二人は校舎から少し離れた茂みに身を隠し息を吐く。
 そうしてやっと落ち着いたところで二人の目がふと合った。紫穂は思わずそれを逸らそうとした。でも、

「驚いてるよね」

 そう言って困ったように笑う上代を見て、結局それは失敗に終わる。

「驚くのも無理は無いよ、俺自身驚いてる」
「上代…」
「あ、やっぱ少し赤くなってる」

 上代は薄暗い街灯に照らされた紫穂の左頬をそっと触った。

「これ、俺のせいだね…さっき俺が叩いたから」
「え? あ…」

 寮で和穂の身代わりの件を口にした途端、上代に加減なく頬を叩かれたのだ。

「もう、忘れてた」
「ハハ、それどころじゃ無かったよね。でも、ごめん。叩くつもりなんて無かったのに…本当にごめん」
「良い。俺男だし、別にこんなの大した事じゃ…」
「良くない。全然良くないよ」

 触れていただけの指が、するりと肌を撫でた。

「傷付けたくない。なのに…次男くんを見てると無性に傷付けたくなる時が有るんだ。これは衝動的なもんだったけど、それとは別に、もっと残酷な気持ちになるんだよ」

 優しく自分の頬を撫でる上代に、紫穂は戸惑うしか出来ない。

「それは…やっぱり和穂の事が関係あるのか?」

 紫穂が部屋を飛び出す原因にもなった、上代が和穂へ向ける感情の種類。それを口にすれば、上代は大きく溜息をついた。

「やっぱ気になる部分はそこだよね。それは俺も誤解を解いておきたいんだけどさ…さっきも言った様に、本当に俺は三男くんに恋心なんて持ってないんだ。次男くんと三男くんを重ねて見たことも無いし、次男くんを誰かの代わりに抱こうなんて思ったことも無い。そもそも俺は、三男くんのカラダなんて見たこと無いからね?」

 上代が苦笑する。

「周りから誤解されるような事をして来た自覚はあるけど、でも、今回ほど後悔した事は無いよ。次男くんにそう誤解された事に、あんなにショックを受けるなんて自分でも驚いた」
「ショック…」

 ポカンとしたまま自分を見つめる紫穂に、上代は更に眉を下げた。

「好きなんだ、次男くんが」
「へ……え、」
「ちっとも言えなかったけど、結構前から自覚してた。でも自覚すればする程残酷な気持ちが増えて、それがドロドロ渦巻いて余裕無くしてさ…遊び人の名が聞いて呆れるよね」

 頬を撫でていた手が止まり、今度は両手で紫穂の頬を包み込んだ。

「もっとちゃんと俺のことを見て欲しい。簡単に諦めて、兄弟の元へなんて行かないでよ。他の奴を見てると思うと気が狂いそうになるんだよ。そんくらい……本気で俺は、次男くんが好きだ」
「ッ、」

 紫穂の心臓が大きく跳ねた。

「次男くんが俺をそう見てないことは知ってる。でもさ、最近の俺とのエッチ、気持ち良かったでしょ?」
「ばッ、ンなっ!!」
「単なる慣れじゃなくってさ、自惚れで無ければ…最近の俺にはそう見えてた」
「ひゃっ! わっ!」

 チュッ、と軽く頬にキスをした上代はそのまま全身を紅く染めた紫穂を抱き締めた。

「前より感じ始めた理由、考えてみた事ある?」
「なっ! バカ! 感じてなんか!」
「じゃあ、今日部屋を飛び出したのは何が理由?」
「それはお前が!」
「『身代わりにしてた』から? でも、俺の気持ちなんてどうでも良かったはずじゃないの? 水城と寝たって怒らなかったのに」
「…………」
「相手が三男くんだったから? 本当に理由はそれだけ?」
「そうだよ」
「ほんとに?」
「ほっ……んと、に!」

 紫穂の首元で上代が笑った。

「まぁ、今は良いや」
「……今はって何だよ」
「ふふ」
「笑うなよっ!」

 笑いながら上代は更に腕に力を入れた。
 長身である上代と大して変わらない身長と、それなりに有る肩幅。パッと見た感じは立派に青年へと向かう少年然としているが、こうして抱き締めれば分かる、少しだけ華奢な体つき。
 中身はとんでもない天邪鬼なのに、そのカラダは愛情を注ぐと驚く程素直に喜びを返してくる。上代はそんな“紫穂”と言う存在を、愛おしくて仕方ないと思った。
 兄弟じゃなく自分を見て欲しくて、でも兄弟から離れられなくて、いつも泣いてばかりの頼りない少年を…上代はどうしても手放したくないと思った。

「上代…俺は、」
「うん」

 紫穂の手が、上代のワイシャツの裾を少しだけ握り締める。それに合わせて上代が顔を上げて紫穂を見た。

「俺は…」

 再び口を開けた紫穂は、だが目が合ったはずの上代の目が、少しだけ紫穂を通り過ぎ後ろへ向かうのに気が付いた。気付いた瞬間、上代に体を突き飛ばされ横へ飛ぶ。
 その直ぐあとに上代の呻き声とも叫び声とも取れる音が耳を通り抜けた。肩を押さえ倒れこむ上代に、四つん這いで慌てて近付く。

「上代!?」
「……ば、早く、逃げ…ろっ、ぁぐっ」

 そこからの出来事は全てがスローモーションになって見えた。
 座り込んだ位置から少しだけ後ろを振り向く。そこには、逆光に映し出された影が立っていた。

「ぁ…」

 見開いた紫穂の瞳に映った影は、鈍く光る長い物をゆっくりと振り上げ、そのまま何の躊躇いもなく紫穂へと振り下ろした。











「死んで、シーちゃん」




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