×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -
10



「俺が来たこと、驚かないんだな」

 薄暗い部屋に響く重苦しい紫穂の声に、それでも諒は楽しげに喉を震わせた。

「戻って来るって分かってたからな。でも、こんなに早いとは思わなかった」

 そう言って近付いてきた諒は、未だ汚れたままの紫穂の下半身をスラックスの上から握り込んだ。そのままぐにぐにと揉みこんでくる。

「あっ、ひ…」
「風呂入る余裕も無かったか?」
「ぃッ、ぅ…やめろっ!!」

 殴る勢いで諒の肩を強く押せば、諒の体は簡単に紫穂から離れた。それでも諒は楽しそうに笑う。

「何が嫌なんだよ、何されるか分かってて来たんだろ? ご期待に添えられるよう尽くすからジッとしてろよ」
「なっ、違う!!」
「違わない。だから、今度こそ本気でお前を捕まえる。その為に彼奴らも呼んでおいた。癪だけどな」

 そう言って諒が胸元からタバコを出し火を付けたところで、紫穂の後ろでドアが開いた。振り返った紫穂が息を飲む。

「な、何で…」

 そこには犬猿の仲のはずの弟二人が…肩を並べて立っていた。



 ◇



 部屋を飛び出した上代が一番に向かった先は、二階堂家の四男にご執心である寮監の元だった。

「マスターキー、出して」

 肩で息をしながら寮監に詰め寄るが、寮監は眉間に皺を寄せたまま動かない。キーを出す様子の無い寮監に上代は大きく舌を打った。

「良いからさっさとキー出しなよ。お前がそれ使って何してるか、全部上に報告しても良いんだけど?」

 以前一度だけ、役職持ちの生徒専用の階から降りてくる寮監を見かけたことが有った。初めは寮内の見回りかと思ったが、寮監が見回りをするのは防犯対策として消灯時間に一度行う程度だ。誰も居ない真昼間に、ウロウロと一体何をすることがあるのだろうか。
 それを思い出した上代はちょっとしたカマをかけてみた。勿論、完全なる予想である。だが、見る見るうちに顔色を変えた寮監は黙って上代にマスターキーを差し出した。
 きっと四男の部屋にでも侵入して、バレたらまずい事でもしていたのだろう。

(気持ち悪い奴…)

 不快では有るが弱味のある奴は非常に扱いやすい。みっともなく震える指からキーを奪い取ると、上代は急いで非常階段を駆け上がった。今はエレベーターを待つ時間さえ勿体なく思えた。





「何で居ないんだよ!!」

 寮内の役職付き専用部屋が並ぶ階で、とある一室から飛び出して来た上代がドアを憎らしげに蹴り上げた。そのまま何室か離れた別の部屋にも無断で鍵を開け侵入するが、その部屋にも探し人の姿は無かった。
 他の階よりも人は少ないが、誰も居ない訳ではない。仕事の関係で役職持ちに会いに来ている生徒もチラホラと居た。そんな偶然廊下に居合わせた生徒会、もしくは風紀委員会の生徒たちが、上代の行動を唖然として見ていた。

「誰か、二階堂兄弟見なかった!?」

 いつもの緩く優しいトーンではない上代の声に、周りの生徒がびくりと肩を揺らす。だが、流石役職付き…とでも言うのか、直ぐに持ち直した風紀委員らしき生徒が一人、寮外を指差した。

「あ…あの、二階堂紫穂くんなら、校舎の方へ向かっているのを見ました」
「校舎? それ、いつ!?」
「まだつい先ほどです。十分か…十五分程前でしょうか」
「ありがとっ」

 上代は最後まで聞くか聞かないかのタイミングで再び走り出した。勿論エレベーターの前を通り越し、階段を駆け下りる。

 上代と紫穂は“フリ”なんてフザケた言葉で作られた、上辺だけの恋人だった。そんな上代の存在は正直なところ諸刃の剣であり、学園の生徒たち相手には強大な後ろ盾となるが、一番肝心なあの兄弟たちにはあまり意味をなさないものだった。それでも、多少の時間稼ぎにはなっていたはずだ。
 少しの時間だけでも彼らを遠ざけ、動き始めた紫穂への凶行を足止めしているはずだった。だが、先ほど紫穂は兄弟の欲望を纏って部屋に戻って来た。つまりそれは、上代の足止めが効かなくなったことを意味していた。
 フラストレーションを溜めた彼らが解き放たれた時、一体、彼らは紫穂に何をするだろうか。
 上代の頬に一筋の汗が伝った。

「……次男くんッ」



 ◇



「どういう事…?」

 入口に立つ二人を見た紫穂の背に嫌な汗が流れる。そんな紫穂の状態を分かってか、諒はやはりうっすらと笑みを浮かべていた。

「さっき言ったろ、俺が呼んだんだ」
「だから何でっ!!」
「共同戦線を組んだからだよ、紫穂ちゃん」

 声に振り向けば、無表情な由衣が和穂よりも一歩前に出た。

「ほら、僕らの邪魔をする面倒な奴が現れたでしょ? こいつらだって大嫌いだけど、それ以上に僕はアイツが許せない。消してしまいたい。だから考え方を変えたんだ、取り敢えず排除するは他人、兄弟同士の問題は後回し…ってね」

 由衣がゆらりとこちらに近づいてくる。

「殺し合っちゃいたいくらい仲の悪い僕らが手を組むって事がどういう事か、紫穂ちゃんにも分かるよね?」

 暗闇の中で不気味に浮かぶ由衣の笑みに、紫穂の足は思わず後ずさった。その体を後ろに居た諒にもう一度捕えられ、先ほど受けた快楽を思い出し体が震える。

「紫穂、よく考えろ」
「りょ…くん」
「今まで周りの奴らは、お前に何をしてきた? 何を言ってきた? 上代はそいつらと何か違ったか?」

 見上げた先にある諒の瞳に、いつものふざけた色は少しも無かった。ただそこには、暗く深い闇があった。

「俺はずっと待ってた。本当はぐちゃぐちゃにブチ犯して狂わせて、俺から離れられなくしてやりたいのを我慢して、お前から堕ちてくるのを待ってたんだ…ずっとな」
「ッ、」
「お前をお前として愛せる人間が俺たち兄弟以外に居ないんだって、一体いつ気付くんだ?」

 諒は言葉の強さとは真逆の手つきで紫穂の頬を撫でた。その瞬間胸の奥の方がぎゅっと縮んで、酷く切ない感情が紫穂を襲う。諒はその後何を言うでもなく、ただそっと紫穂の頬を撫でていた。

「俺は……」

 背を流れる汗の量が増える。今考えていることを口にすれば、これから兄弟たちに何をされるか分からない。

『もう…どうでも良い』

 上代に呟いた言葉は本心だった。ヤケにもなっていた。でも、そこに含まれた本意にはきっと上代は気付いていない。いや、言った本人ですらあの時は分かっていなかった。
 だが、それはここへ来て、兄弟たちに会って、そして諒の瞳の奥をみて、紫穂は気付いてしまった。自分がどうしたいのか、今まで押し殺してきた感情に気付いてしまったのだ。
紫穂は自身に触れる諒の手を外させ、今度は紫穂がその手を握りしめた。

「俺は…“兄弟”以外の何者にもなれない」

 少しだけ声が震えた。でも格好悪いなんて考える余裕は無かった。

「は…? 紫穂ちゃん、なに言って…」
「お前は俺たちを愛してないのか」

 紫穂が掴む諒の手が震えていた。それに気付いた途端、体の奥底から熱いものが込み上げて、それが瞳から溢れそうになるのを必死で堪える。

「愛……してるよ。でも、それは家族としてだ。俺はそれを伝えに、ここに来たんだ」
「なに…それ…」

 絶句して固まる由衣。その後ろで、今までずっと沈黙を守ってきた和穂の体が少しだけ揺らめいた。
 怖い、と思う。

 足がガクガクと震えるし、また求められるままに全てを投げ出したくなる。けど、それをすればまた同じことの繰り返しになるのは明白だった。例えカラダを差し出し今をすり抜けたとしても、決してその先に明るい未来は無い。
 今だからこそ、それが分かる。

「ずっと、怖かった」

 由衣の持つ両親の後ろ盾が、諒が持つ権力が、和穂が持つ“約束”への執念が怖かった。けれど何より、誰からも見られぬ存在になる事が一番怖かった。
 自分を愛し認めてくれるその存在が例え兄弟であったとしても、自分を求める者がいる事に何処か安堵していたのだろう。だからこそ、こんな所まで流れに流れて来てしまった。

「兄弟にまで見捨てられる事が怖かった。だからいつか、諒くんたち以上に俺を見てくれる人が現れるまで…それまでは失っちゃいけないって、そう思ってた」

 けど、もう気付いてしまった。
 恐怖に苛まれ、嫌悪感に襲われながらも捨て切れなかったそれが…他と、何も変わら無いという事に。

「由衣も、和穂も、諒くんも…みんな、俺を欲しいって言う。でも、それって本当に“俺”なのか?」
「紫穂…」
「紫穂ちゃん…?」
「………」

 紫穂を脅し、自身を無理矢理抱かせた由衣。
 力で組み敷き、酷い暴力と共に紫穂を強姦した和穂。
 そして、自ら堕ちて来るまで待つと言う諒。

「そこに俺はちゃんと居るのか? いや、居ない。みんなが欲しがってんのは紫穂と言う名の人形だ。ビビって、縮こまって、言いなりのままに泣きながらアンアン喘ぐ人形だ」
「紫穂っ!!!」

 諒は紫穂の手を付けたまま、その胸ぐらを荒々しく掴んだ。紫穂は逸らしていた目を諒に戻す。けど、瞳が揺れていたのは矢張り、諒の方だった。

「他の奴らと変わら無いのは上代じゃない、お前らだよ。それから、一番馬鹿で間抜けで阿呆で……救いようが無いのが、俺」

 兄弟達から逃げようと思うなら、きっともっと、別の道があったはずなのだ。こんな欲に濡れた道なんかじゃ無い、もっとまともな道が。
 それを選ばなかったのは間違いなく紫穂の意思であり、兄弟への依存から来るものだった。

「求めるものを間違えてた…俺が欲しかったのはこんな関係じゃない。俺はただ、『一緒に帰ろう』って俺の手を握って来る半身と、『おかえり』って言いながら髪を撫でてくれる兄と、『遊んで』って絵本を持って駆け寄ってくる…弟が居てくれればそれでっ、それで……俺は」

 紫穂の目から、遂に涙が溢れた。

「俺はそれで支えられてたんだ。例え父さんと母さんが俺を見てなくても、」

 例え、他人が自分を必要としなくても。この美しい兄弟たちが、“弟”として、“半身”として、“兄”として慕ってくれるだけで、それだけで十分満たされていたのだ。

「俺にはそれだけで十分なんだ。それしか要らない。もしそれを取り戻せないなら、俺は今なんて要らなッ…ンっ! ぁ…んんっ、んっ」

 胸ぐらを掴む諒の手に力が篭ったかと思うと、紫穂は言い切る前に唇を塞がれた。喉が閉まり息苦しくなるが、紫穂は諒から目を離さず口内の蹂躙を甘んじて受け入れた。
 ぢゅぶぢゅぶとその場に相応しくない卑猥な水音を何度か立てた後やがて解放され、互いの荒い呼吸が闇の空気を震わせる。
 ポロポロと涙が零れおちる紫穂の瞳を見つめながら、諒はギリっと歯を噛み締めた。

「捨てるのか、俺たちを」

 諒の瞳は大きく揺れていた。

「今まで縋ってきたものを、今更手放すのか」

 紫穂は諒の瞳から目を逸らすと、そっとそのまま側に立つ由衣を見た。諒よりも絶望の色が強く現れているその顔に胸は痛むが、頭の中は逆にクリアになる。

「俺は、俺を捨てる」

 由衣は目を見開き、諒の腕は一瞬震えた。

「だからもう抵抗しない、逃げない」
「紫穂…」
「その代わり何もない、空っぽになる。誰かを選ぶことも無い。そんな俺で良いなら、あげるよ、全部。好きにしたら良い」

 この先も普通に生活したいから、なんて馬鹿げた理由で兄弟を抱くことも、抱かれることも、もう無い。自身を捨てる人間に考え選択する必要なんて無いのだから。
 そうして紫穂は、全てを投げ出し諒の前で瞳を閉じた。


 だが―――――




「“諦め”と“逃げ”では全然意味が違うんだよ」

 突然響いた声に紫穂は再びその瞳を開く。二階堂家の兄弟全員の視線を浴びて入り口に現れたのは、他でも無い、紫穂を探し走り回っていた男だった。

「上代…?」

 どれだけ走り回ったのか、その肩は大きく上下に揺れている。そして僅かに外から入り込む月明かりに照らされ、その額が汗でキラキラと輝いた。







「逃げるって決めたなら、最後まで逃げ切ろうよ、次男くん」

 異様な空気を気にもせず部屋に入ってくる上代の口元は、不敵に弧を描いていた。


11へ



戻る