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「……和穂じゃない」

 その言葉は、“言った”というよりも“零れ落ちた”に近かった。それ程に小さい音だった。しかしそれは確かに上代の耳に届いたようで、狂気に塗れた無表情に近い彼の顔を驚きの色に塗り替える。
 そんな見開かれた上代の瞳の奥に、紫穂は何かを見つけた気がした。

「俺は、和穂じゃない」

 それは、紫穂の世界を狂わせた元凶なのかもしれなかった。



 ◇



 容姿・性格・成績
 昔から俺は何かにつけて兄弟たちと比べられてきたが、双子である和穂と比べられることは当たり前過ぎて、既に慣れ切ったものだった。そう、慣れてた。でもそれが辛くない訳じゃない。
『残念な方』なんて呼び方が定着してしまう頃には、深くて治らない、醜い傷が心にビッシリとついていた。

「なに言ってんの、次男くん…」

 俺の手首を掴む力が緩む。
 上代のあからさまな動揺が伝わり、俺の口から思わず乾いた笑い声が漏れる。

「やっぱり、無駄な抵抗だったんだな」
「なに…」

 カラダを差し出してまで逃げたかった兄弟の存在。
 その逃げる先に上代を選んだのは、彼が入学当初から兄弟に興味を持った素振りを見せなかったからだ。
 今でこそだいぶ減ったが、入学当初は諒や和穂に近づきたいがために俺に媚を売ったり近付いて来る奴が沢山いた。そんな中、上代も随分と遊び人ではあったものの、俺たち兄弟に近づく素振りも、興味を持った様な素振りも一切見せたことが無かった。
 それは俺にとって、奇跡にも近い出来事だったのだ。


 “次男くん”

 上代は基本、俺のことをそう呼ぶ。俺はそれが密かに嬉しかった。
 和穂たちの取り巻きの中には俺の存在を知らない者も多くない。長男が諒、次男が和穂、三男が由衣。存在しない俺の姿を、興味ないはずの上代が捉えていてくれた。そんなほんの少しの事が、また俺に、小さな喜びを与えていたのだ。でも…。

 上代に掴まれていた手を、彼の指から抜き取る。
 先ほど篭められた力は矢張り強かった様で、俺の手首にはうっすらと手形の痣が浮かんでいた。

「上代…和穂に前、言ったよな。“挑戦状を受け取った”って」

 俺が和穂に犯された次の日、兄弟が全員玄関前に揃って待っていた。そんな兄弟達を前にした上代の口から出た言葉は、他の誰でもない、和穂に向けてのものだった。

『君からの悪趣味な挑戦状、ちゃんと受け取ったよ』

 あの時はただ、顔に酷い痣を付けた和穂を見て、由衣の言葉を聞いて、俺を犯したのが和穂だってことに気づいたんだと…そう思っていた。

「お前は始めから、俺を犯したのが和穂だって気づいてたんだろ」

 由衣でも、諒でもなく、俺を“ああ”したのが和穂だと、きっと上代は直ぐに気付いていた。そして、上代が知っていたのはそれだけじゃない。

「お前は、俺に手を出せば和穂が暴走するって、ああやって俺を抱いた相手に喧嘩をふっかけて来るって知ってたんだ」
「じな…」
「だから俺の誘いに乗った。“厄介ごと”が付いてくることを期待して」
「次男くん!」
「呼ぶなッ!!」

 俺が遂に叫び声を上げると、部屋の中がビリビリと痺れた。上代の顔に困惑が広がる。

「お前が俺をそう呼ぶのは、俺が次男だからじゃない。和穂が“三男”だから…和穂を正しく認識しているから、お前は俺を…」

 馬鹿みたいだ。
 アイツらに興味のない人間を選んだつもりが、一番執着してる奴を選んでたなんて。俺を認識していると思ったら、それもまた、単なる付属としてだったなんて。
 
 上代がなんで和穂に執着してるのかなんて知らない。それが憎しみなのか、恋情なのかだって知らない。知らない。知りたくもない。今分かってることだけで十分すぎた。
【俺には何もない】
 そう、結局俺には…兄弟意外何もないのだ。アイツ等以外で、俺を俺として見てくれるやつなんて誰も居ないんだ。

「俺が誰に犯されたか直ぐに分かったくらいだ、お前ならわかるんじゃないのか。俺が今日、誰に触れられて来たか」
「ッ、」

 上代が息を呑んだ。その表情は少し傷付いた様にも見えたけど、今の俺にはどうでも良い事だった。

「好きなだけ確かめてみろよ。諒か、由衣か、それともお望み通り和穂か。もし和穂なら、前みたいに残骸が残ってるかもしれないぞ」
「やめろッ、なに馬鹿なこと言って…」
「馬鹿なこと? 馬鹿なことって何だよ。和穂が抱いた痕が残る俺のカラダを抱いて、興奮したくせに」
「違うッ!」
「違わないッ!! 諒くんが言ってた…俺のカラダ、和穂と似てんだってな。和穂のニオイがする俺のカラダは、さぞかしアイツを抱いてるみたいで気持ち良かっただろ!」

 ――パンッ

 破裂音が耳に届いたと同時に左の頬が熱を持つ。衝撃のせいなのか何なのか、俺の意思を無視した涙が、一粒だけ頬を溢れ落ちた。

「ぁっ、…っ、」

 俺を殴った手を持て余した上代が、何度か口を開こうとするが失敗する。結局そのまま何も言葉は生まれず、俺は熱を持った頬とともに上代の前から踵を返すと玄関へ向かった。

「まっ、待ってよ! どこ行くつもりだよ!!」

 凍りついた体が漸く解凍されたのか、上代の声が背中に飛んできた。俺はゆっくりとそれに振り返る。目が合った上代は、今までに見たことも無いほど情けない顔をしていた。

(そんなにバレた事が辛いのか?)

 今の俺には、上代の何もかもが憎らしく思えた。

「俺の行く場所なんて一つしかないだろ。もう…どうでも良い」
「なっ、」

 そのまま俺は弾かれる様にして部屋を出た。




 寮から飛び出した勢いのまま先ほど帰ってきた道を逆戻りする。殆んど人気の無くなった校舎の中へ足を踏み入れ、職員室のもう一つ上の階へ足を向けた。その階の廊下には、申し訳程度に電気が点いていた。
 少しだけ不気味に思えるその階で使われている教室は殆んど無いが、唯一ひとつだけ、準備室として使われている部屋がある。
 ノックもせずにドアを開ければ俺が来ると分かっていたのか、タイミングよくタバコをもみ消した男がうっそりと笑った。

「お帰り、紫穂」



 ◇
 


 ひとり部屋に残された上代は、現状を理解するのに必死だった。
 何故突然、紫穂があんなことを言いだしたのか…。冷静になって考えてみれば、それは矢張り兄弟の入れ知恵が大きいと予測できた。だがその前に、上代はその兄弟のニオイを纏って戻って来た紫穂に苛立ちを覚えていた為冷静に頭を回転させることを遅らせてしまったのだ。
 その上無茶苦茶だと避難したい紫穂の主張の中に、強ち間違いではないモノが混じっていた事がハッキリと否定出来なくさせてしまっていた。

 【二階堂和穂】
 上代の冷静さを奪った元凶である男の名前だ。

 過去の上代律希は人生を舐めていた。
 誰も彼もが自分よりも劣り、面白みのない、頭の悪い人間だと思ってきた。
 入学するのが至難の業、例え入ってもついて行くのがやっとだと有名な、入ったばかりの私立中学での勉強ですら退屈で、仕方なく評判の高い塾へと通い始めた中学一年の夏。
上代は初めての挫折を味わうこととなる。
 そんな苦い味を味あわせた相手が、二階堂和穂、その少年だった。

 容姿端麗、頭脳明晰、おまけに噂ではスポーツも万能だと言う。
 初めて張り合いのある相手が現れたと、初めの内はそれはそれは楽しい気分だった。だが、塾内のテストでは毎回和穂が一位を取り上代は二位。それもその差には大差をつけられる。そのうえ上代の存在に一切の関心を向けることも無い和穂に、上代は挫折とともに屈辱も味わった。

 和穂と出会ってからというもの、上代の世界は和穂一色に染まった。
 みっともないから、面と向かって喧嘩を売るようなことはしない。ただひたすら静かに和穂を追いかけ、いつかその背を抜いてやろうと必死だった。だからこそ上代の和穂への執念とも呼べるその思いは、知る人ぞ知るものとなっていたのだ。

 水城が自身を和穂の代わりにと差し出して来たとき、和穂に似た顔が男に蹂躙されて歪むのを想像して気分が高揚した。しかしそんな高揚感は大して長く続かず、やがて上代の中で水城との関係は単なる馴れ合いに変わっていたが、それでも和穂の存在が男に手を出すきっかけとなったのは間違いなかった。
 そうして色んな人間の世界を回し、上代の人生をも可笑しく狂わせた存在。
 少し前までの上代は、確かに和穂の存在をそう捉えていたはずだった。紫穂が言った通り、上代は随分昔から二階堂和穂と言う男に振り回され続けている。
けど、今は…。

 自分の世界を大きく回している人物は、もっと別にいる。

 興味など有って無い様な、そんな程度の相手だった。
 抱いてくれないかと誘われた瞬間、大事なモノを横取りされたらあの男はどんな顔をするだろうかと、醜い下心が浮かかんだことも確かだ。
 それなのに、抱くたびに、その中に入り揺さぶり名を呼ぶたびに、健気に反応するそのカラダに。ふとした瞬間に油断して見せるその緩んだ表情に。絶望しながら兄弟に翻弄され、助けを求める哀れなその姿に。
 気付けば心は大きく揺れ、奪われ、嫉妬心に火が付いていた。それはあの二階堂和穂にも持ったことのない感情だった。
 何度抱いて啼かせて、泣かせても…自分に心を奪わせない、直ぐに兄弟へとそれを向けてしまう紫穂に激しい怒りを感じていた。

(何で俺だけを見ないワケ?)

 初めて体感する自身のその感情に苛立ち、水城を使って紫穂を試す様な真似までした。それが一体何を示すのか、上代はもうとっくに気づいている。

「三男を思う気持ちが“恋情”だって言うなら…キミを想う“コレ”は何だって言うんだよッ!!」

 漸く戸惑いと焦りを霧散させた上代は、先ほど紫穂を掴んでいた手をギュッと握り締め、素早く玄関へと向かうとかかとを踏み潰したスニーカーをきっちりと履いた。


 向かう先は決まっている。
 人気の無くなった寮の廊下に、駆け出した上代の足音が大きく響いた。


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