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※一瞬だけ喘ぎあり。



 ギッ、ギシッ、ギッ、ギッ、

「はっ、ぁっ、あっ…はっ、」

 上代と俺との“交際”を気に入らない輩から向けられる冷たい目線にはもう慣れた。上代から契約の報酬を求められる事にも、だんだん慣れ始めてる。
 人間は順応性に優れていて、“慣れ”で自分を守ろうとするのだ。それは、有り難いようで少しだけ……怖い。だからこそ、慣れないモノが有ることに俺は安堵していた。
 未だに慣れないもの。
 その一つは、兄弟達から向けられる異常な感情。
 そしてもう一つは、カラダの中に異物が入り込む瞬間と、

「あ"っ! ぁっ……ッ、」

 それが、抜け出る瞬間。

「可愛らしい声出すようになっちゃって」

 俺の中から抜け出た男は、耐えるようにシーツを握り締める俺に向かってふっと鼻で笑った。




「ちゃんと中、綺麗に洗えた?」

 自分でカラダを清める事にも大夫慣れた。馬鹿にして笑う上代にも、慣れた。ただ、男に組み敷かれ見下ろされる屈辱感だけはどうにもならない。

「もう出るの?」

 風呂から出て直ぐにカバンを手に取ると、食パンを齧りながら上代が顔だけで振り返った。

「先に出る」
「四男くん対策か。前にも言ったけど、一応俺たち恋人なんだ。学校ではそれらしくしてよね」
「…………」

 靴紐を結び直しながら、俺はそっと溜め息を吐く。
 あの玄関前での騒動から、由衣がやたらと付き纏う様になった。逃げようとすれば所構わず人目も気にせず俺を辱める様な言葉を並べるから、仕方なくでも付き合うしか無い。ただそこにはもう一つ問題があって、それは…

「俺、あの子に随分と嫌われちゃったよね」

 上代に対して全く反応がなかった今までと打って変わって、由衣が上代を死ぬほど嫌っているという事だ。会う度に由衣が過剰な程上代へ噛み付くから、正直一緒に行動するのが面倒で仕方ない。

「お前が退屈なのは知ってる。その退屈凌ぎに俺を利用してることも分かってる。それを理解した上で俺も契約したんだ。アイツらから、逃げたかったから…」

 上代が、本格的に体ごと俺を振り返った。

「俺は“助けてくれ”と言ったんだ。…悪化させろなんて言ってない」

 由衣が原因だと思ってた。けど、何か違う気がする。由衣が皮切りだった事は確かだったが、兄弟達が激昂し暴走するのは何時も、上代との関係に対してだったから。

「抱いてって言ったのはキミでしょ?」
「分かってる! でもっ、助けると言ったくせにアイツらを煽ってんのはお前だろ!? アイツらの執着が前より酷くなってる! これじゃあ俺にはっ、何の得も無いじゃないか!」

 怒鳴った俺に上代がニッと口角を上げた。

「何で。随分と気持ち良さそうなのに」
「ッ!!!」

 俺は玄関に置いてあった来客用のスリッパを掴むと、思い切り上代に投げ付けてから飛び出した。

「死ねッ!!」

 投げ付けた先から「痛ぁ〜」と声が上がったのが、扉が閉まる寸前に耳に届いた。




「もしかして喧嘩してた? 声がちょっと漏れてたよ」

 外に出れば案の定由衣が待ち伏せていて、どことなく機嫌が良い。

「ねぇ、別れる感じ?」
「……別れない」
「なんで!? お願いだからアイツと別れてよ! 紫穂ちゃんは騙されてる!!」

 唯でさえ由衣は目立つのに、こんな風に叫ばれては皆が振り向くに決まってる。俺は遠慮無しに顔を歪め由衣を睨んだ。

「そういう事を大きな声で言うなって何度も言ってる」
「でも!」
「騙されてるんだか何だか知らないけど、少なくとも俺は、上代に脅されたりしてない」

 何をもって由衣が“騙されてる”と言っているのか知らないが、上代が別の奴が好きだとか、それこそ俺を何かに利用しているなどといった類の話なら何の問題も無い。だってそれは、お互い様なんだから。
 弱みに付け込まれ脅されカラダを奪われるのと、互いの利害が一致し合意でカラダを明け渡すのとでは、精神的負担が全く違うのだ。俺の言葉に嫌味が含まれていたと気付いたのか、由衣は唇をキュッと噛んだ。
 そしてそのまま校舎に辿り着き別れるまで、由衣は一言も口を利かなかった。


 昼休みに入り食堂に向かう道すがら、俺は多種多様な視線に晒された。と言うのも、例の玄関前騒動も原因ではあるが、いま一番の要因は隣を歩く男上代が、俺の腰に手を回しくっつくからである。

「この手、止めろって言ったろ…」
「何で? 折角四男くんの邪魔が無いんだから、今の内にくっ付いとかないと」
「あのなぁ、」
「良い加減自覚してよ。言っとくけど、今までが今までだったんだ、俺たちの事疑ってる奴らがめちゃくちゃ居るんだよ」

 俺と上代は一年の頃から同室で有りながら、会話と言うものを殆んどした事が無い、全く関わりを持たない同室者だった。今まで上代のファン達から嫌がらせが無かったのも、きっとその部分が一番大きい。

「完璧とは言えないけど、多少は兄弟達の抑制剤にはなってんでしょ? それは今、次男くんが俺の所有物だって思ってるからだよ。分かる?」
「…あぁ」
「じゃ、それが全くの嘘だってバレたらどうなるか。それも分かるよね」

 先日見た、和穂の空虚な目を思い出して身震いした。

「今はまだ、俺の言うこと聞いとくのが得策ってヤツだよ。分かった?“シホちゃん”」

 そのまま食堂の入り口で首筋にキスを落とされ、俺が反応するよりも先に周りが叫び声を上げた。
 俺の進む先は、間違いなく前途多難でしかない。



 ◇



 玄関前騒動から二週間。向けられる好奇の目が、多少なりとも分散し始めた頃だった。

「二階堂さんですよね」

 その日の授業をあと一つ残したところで、見覚えの無い小柄な生徒がその大きく溢れそうな瞳をキツく吊り上げながら俺に声を掛けてきた。

「お話があるんです、ちょっと良いですか」

 有無を言わさぬその雰囲気に俺が首を縦に振ると、その生徒はさっさと踵を返す。もしかしたら制裁だろうか…。
 最悪の状況を予測するものの、唯一助けを求められそうな相手である上代の姿はもう二時間ほど前から教室に無い。“早く来い”とばかりに睨む目に促され、仕方なく俺はその小さな背中の後に続いた。



 呼び出しの件は案外早く済んだ。俺が思っていた様な悍ましい物では無く、所謂“忠告”と言うやつだった。もちろん、上代との関係についてだ。
 忠告の内容は予測通りのもので驚きはしなかったけど、それでも解放された途端ドッと疲れが押し寄せた。そのまま一応教室に戻ったものの、押し寄せた疲れは酷くなる一方だ。結局始業ベルが鳴るギリギリに早退を申し出ると、俺は迷わず寮へと足を向けた。
少しでもいいから、何も考えずに眠りたかった。


 寮に戻ってドアに手を掛けると、それは何故か内側から勝手に開いた。

「ッ!?」
「………」

 驚いて飛び退けば、中からは妙に艶のある少年が一人出て来た。出てきた相手は俺を冷たく一瞥して挨拶も無しに遠ざかって行く。暫し呆気に取られながらその後ろ姿を見送ると、思い出したように再びドアに手を掛けた。

「あれ、早いね。どうしたの?」

 教室に無かった男の姿は、なんてことない、寮部屋の中にあった。ソファにダラッと腰かけサボり魔の風格を漂わせている。

「もしかして次男君、授業サボったの? まだ数学が残ってるはずだけど」
「お前だけには言われたくない」
「わっぷ!」

 悪戯を発見した子供の様な目をした上代に、俺は解いたネクタイを投げつけた。

「だって珍しいじゃん。いつも真面目なのに」
「怠いんだよ。体調不良だ、サボりじゃない」

 投げつけたネクタイを取り返そうとすれば、上代はそんな俺の手を掴んで引き寄せた。その引力に負けた俺の体が上代に乗り上げる。

「その怠さ、運動したらスッキリするかもよ?」

 掴んだ腕の肘から手首にかけてをレロッと舐めた上代の頭を、俺は手加減無しに叩いた。

「どんだけ欲求不満なんだよ、お前」
「え、」
「さっき出てった奴ってお前の相手だろ? 何回か見たことがある」

 上代が驚いて目を見開いた。どうやら俺が、彼の存在に気付いていないと思っていた様だ。
 背の高い美人な少年が、遊び人として有名な上代の部屋から色気を漂わせ出てきた。そのうえ上代本人は、正にいま汗をかきましたとばかりに肌をしっとりとさせているし、普段開け放たれている上代個人の部屋のドアも固く閉ざされている。きっと、見せられる状態ではないのだろう。それを見て、上代が何をやっていたか気付かない方が可笑しい。

「風呂、入ったか?」
「…いや、まだだけど」
「さっさと入って来い。そんなに胸元も肌蹴させて…風邪ひくぞ」

 掴まれていたままの腕を振り払い立ち上がると、俺はさっさと自分の部屋へ入った。気怠い体を投げ出すようにしてベッドに預け、そのままそっと目を閉じる。
 もしかしたら上代は、俺が知らなかっただけでこの二年間、いつもこうして誰かを部屋に連れ込んでいたのかもしれない。だからと言って、別になにも思わなかった。
 ここは上代の部屋でもあるのだ、好きにすれば良い。過去に何をやって来たかなんて勿論関係無いし、これからのことだって関係ない。だって俺たちは、“契約”で繋がれているだけの単なる同室者なのだから。
 でも、ただ一つだけ。
 あえて気になる所をあげるのならば、部屋を出て行ったあの少年は…

(ちょっとだけ、和穂に似てた…)

 それだけ考えて、俺の意識は完全に睡魔に持って行かれた。







「これ、一応色仕掛け…だったんだけどね」

 ひとりリビングに残された上代は、肌蹴たシャツを指で摘まみ上げた。
 シャツから覗く肌は艶めかしくしっとりとしている。紫穂が思う通り、如何にも情事後と言った感じだ。そんな上代の肌を見ただけで欲情する輩がこの学校には五万と居ると言うのに、紫穂には何の効果も齎さなかったようだった。

「あれだけ俺とヤッといて、ヤキモチひとつ焼かないんだもんなぁ」

 参るよね…。
 ポツリと落とされた上代の呟きは、何処か溜め息にも似ていた。


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