罠
※ヤクザ×ヤクザ/インテリ美形×強面組長/歳下×歳上/下克上?
「真島さん、また散らかしてしまったんですか? ダメですよ、食事はちゃんと摂らないと」
床に散らかった食事を見た男が嘆く。
其処彼処に散らばった食べ物は、先ほど男の手下であろう者が持って来た物だ。
両腕をベッドヘッドに拘束されている俺に食べさせようとしたのを暴れ拒否した結果だった。
殺す勢いで睨み付ける俺を涼しい顔をして見下ろす優男、澤田蓮二。
歳は俺よりも随分と若く、まだ二十代後半に差し掛かったばかりだったはずだ。
色素の薄い柔らかそうな髪は後ろへと撫で付けられ、切れ長の目にはシンプルな眼鏡がかけられている。
まるで何処かの敏腕弁護士の様だ。
澤田と俺が初めて会ったのは一年ほど前のこと。
所場代の回収から戻った俺を事務所で待っていたのは、何と本家【西荻組】の若頭だった。彼は澤田をこの小さな分家の【真島組】で預かって欲しいと言ってきた。
澤田蓮二はどこの誰なのか。
若頭とはどんな関係なのか。
なぜ俺の組を選んだのか。
この話は親父も承知の事なのか。
そんな諸々の説明は一切無いままに話は進められる。
だが本家の若頭直々に言われてしまえば、例え分家の頭だと言っても只の駒でしか無い俺が断れる筈も無く。上辺だけの笑顔を貼り付け、渋々奴を受け入れた。
それが、俺と澤田の出会いだった。
こんな優男にこの世界で何が出来る。そう思わせるほどに奴の容姿は整っていたが、だがその考えは二、三日で覆されてしまった。
澤田と言う男は非常によく出来た男だったのだ。
頭の回転は速く勤勉で、知識も多い事から組内の事務や経理は直ぐに澤田を管理者として回り始めた。
だからと言って商業ばかりに偏っている訳では無く、しのぎの回収もそつ無くこなし、取り引きの場での立ち振る舞いや俺へのサポートも完璧。
とある裏切り者への制裁時には、ゾッとする程非情な行為を顔色一つ変えずに行った。
まるで感情が無いかのようなその行動に、ほんの一、二ヶ月の間で組の中に澤田を気味悪がり、恐れる奴まで現れた。
澤田が来てからと言うもの組内の雰囲気は格段に悪くなった。和気藹々としていた事務所の空気は、澤田の持つ冷たい空気に支配されていた。だが、その程度の事で奴を組から追い出す気にはなれなかった。
なぜなら…いつか分家を飛び出し本家の据え置きを狙う俺にとって澤田は、この組へ有益すぎるほどの利益を連れて来てくれたからだ。
そして何より、
奴は他の誰よりも俺に、忠実だったから―――
猿轡まで噛まされ碌に声も上げられぬ俺は、ゆっくりと近付いて来る澤田に唯一自由に出来る目で睨みを強め、唸り声を上げた。だが…
「ああ、真島さん。そんな顔をしたらいけません……興奮して勃ってしまう」
「っ、!!」
「フーフー言って、まるで野良猫ですね。可愛い」
一気に距離を詰めた澤田は鼻がくっ付く距離まで顔を近付けると、俺の口から漏れ落ちた唾液をねっとりと唇まで舐め上げた。
「んう"ーーッ!!」
余りの気持ち悪さに叫ぶが上手く声にならない。そんな俺を嘲笑うかのように、澤田は俺が身に纏うシャツをゆっくりと暴いていく。
ベッドヘッドに腕を括り付けられ凭れて座る様にされた体、キツく縛られ纏め上げられた足首。そんな蓑虫の様にも見える姿で必死に暴れるが、澤田は細身の体でいとも容易く俺を抑えてしまう。
「真島さん、貴方はご自身の立場を理解していらっしゃいますか? 一昨日の夜のことを、ちゃんと覚えておいでですか?」
(一昨日の……夜…)
それは俺がこの男に騙された夜のことだ。
親父と盃を交わしたものの、数ある小さな分家としてずっと地べたを這っていた俺は、澤田を組に投入した事によりその地位を急速に上げていった。忙しくなって人手も必要となり、組員も以前の三倍に膨れ上がった。
たった一年での話だ。
親父にもそろそろ引退の話が出始め、これを期に本家の力関係が一気に変わる事になる。つまりは跡目争いだ。
その時までに組を背負う者達から沢山の信頼を勝ち得て、少しでも本家へと近付いておかなければならなかった。
俺はまだ、成り上がることを諦めてはいなかったから。
そうして意気込んでいる時に舞い込んだ、敵対する組である神成会との取り引き話し。
美味すぎる訳でも無く多少危険も伴う仕事ではあったが、これを決めれば俺の地位は一気に地べたから高層マンションの天辺まで跳ね上がる。上手くいけば一発で本家入りになるかもしれなかった。
以前の態勢では無理であったが、組員が増えた今なら、澤田が居る今なら、きっとこの取り引きを乗り切れるはずだ。
だがそうして乗った話が、俺に天国ではなく地獄を連れて来た。
この取り引きに乗った事が間違いだったのか。
いや、そもそも澤田と出会った事自体が既に地獄の幕開けだったのかもしれない。
あの日、取り引きに向かったのは俺と澤田だけだった。取り引きする【例のブツ】を詰めたアタッシュケースを手に持ち、後ろに澤田を控えさせて車を降りた。
今はもう動いていない金属団地の一角、廃屋の中へと足を踏み入れる。
幾ら人目を避けたいとはいえ、気分の良い場所ではないなとため息を吐いた時だった。
―――ガッ!!!
突如俺の後頭部を襲った激しい痛みに、考える間も無く意識を飛ばした。そうして気が付いた時にはもう、俺は澤田に監禁されていたのだ。
「何も知らぬまま…何て酷な事は致しません、全てお教えしましょう。良いですか? 貴方は…いえ、貴方がた西荻組の皆さんは若頭さんに騙されたのです。私は初めからこちら側の人間です、神成会会長の甥なんですよ。
若頭さんは西荻組の内部情報を売り渡す事を持ちかけて来ました。その代わり、自分を神成会に入れろ、と条件を付けて」
目を見開いた俺に、澤田が場違いにも柔らかく笑う。
「正直私どもは西荻組などどうでも良かった。吸収するつもりも無かった。ですが困ったことに、私は西荻側にひとり、欲しい組員が居たのです。欲しくもない組をひとつ潰してでも手に入れたい人がね」
澤田は恍惚とした表情を浮かべると、まるで俺に見せつける様にして舌舐めずりをした。
「忠誠心の強い、決して揺れることのない強い意志を持った瞳に惹かれました。貴方に一目惚れしてからと言うもの、私の人生は完全に狂ってしまった。組などに関わるつもりはなかったのに…貴方を手に入れる事を条件に、この世界へ入る事を叔父に約束させられてしまいました」
困ったものです。と、ちっとも困ってない顔で言ってみせる澤田に、俺の体はガタガタと震え出す。
どんな事をしてでも手に入れたい相手が俺だとして、その俺がこうして囚われているのだとすると、組は今…
「うう"…う"、う」
「どうしました? …ん? ああ、西荻組ですか? 潰しましたよ。ニュースでもひっきりなしに流されています。組長さんは今昏睡状態だそうです。因みに若頭さんはもう亡くなられました」
裏切り者などウチには必要ありませんから、処分させて頂きました。
そう簡単に言ってのけた澤田に頭の中が真っ白になった。
「ああ、泣かないでください。悲しいことなど直ぐに忘れさせてあげますから」
「んっ!? うぅう"ーっ!!!」
泣いて暴れる俺を押さえつけた澤田は、着ていたスーツのポケットから何かを取り出した。
注射器の様な形を目に捉えた俺は更に暴れる。
だがやはり簡単にそれは止められて、俺の首に針が刺さった。
「ん"ぅ"う!! ん、んん…」
「大丈夫、変な薬ではありません。一先ず今はゆっくり休んでください。目が覚めたら、その時は嫌という程愛して差し上げますからね」
優しく髪を撫でられる間に、俺の視界は一気にブレていく。そんな朦朧とする意識の中に、この部屋の中に新しく入って来た誰かの気配が届いた。
それは短く澤田に何か伝言を残すと、直ぐにまた部屋から出て行く。
俺の意識は、そこまで保って闇に呑まれて堕ちた。
だから、届かなかった。
「残念ですが西荻組の組長さん、亡くなられたそうですよ」
帰る場所が完全に無くなってしまいましたね。
そう言って俺の肌を撫でながら笑う澤田の声は、俺の耳に届くことなく…
狭い部屋の中で虚しく溶けて消えた。
END
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