満ちる。
※年下美形ヤクザ×年上リーマン
齢四十五にして、中学からの親友に騙され多額の借金を背負ったのは一年前のこと。
その日から現れるようになった飢えたライオンの様な若い男は、私を一目見るとその口元を器用に歪ませ、想像など遙かに超えた暴力を私に与えた。
無遠慮に体内を弄ばれる苦しみ。
男としてのプライドを踏み潰された憎しみ。
猛獣に噛み殺される瞬間の様な、熱さにも似た痛み。
彼から連想するものに、良いものなんてひとつも無かった。
だがある日、男は突如身内同士で起きた抗争によって姿を消した。
私と同じ血と汗と泥に塗れた消費者たちは、ここぞとばかりに次々に夜逃げしていく。
【苦しみの日々から逃れるには今しか無い】
そう耳元で女神が囁くが、どうしてか私の体は一向に動こうとしない。
大凡ヒトの住む場所では無いこの場所に、気付けば私はひとりになっていた。
◇
一歩踏み込んだ足元で、バラバラに砕け散ったガラスが無遠慮に音を立てた。
窓という窓は割れ、雨風が吹き込んだのかそこら中埃まみれだ。人が居なくなってたったひと月とは思えぬほど荒れた部屋の中は、真昼だと言うのに薄暗かった。
苦いタバコ
甘い香水
吊り上がった口角
突き刺さる様な視線
あの男は、確かにひと月前までここに居た。
ゆったりとした高そうなチェアーに細身の体を預けふんぞり返り、手下に指示を出し、貸金の催促をさせに行かせていた。
その癖私の所にだけは自ら赴き、手下を帰らせると容赦なく私を力でねじ伏せ、心を侵し、カラダを犯すのだ。
本家での抗争に巻き込まれ、この事務所に拳銃を持った男が乱入したとニュースが流れた。
死人や怪我人は現在も不明。
この事務所の人間たちの所在も分からなくなっていた。
正直ホッとしていた。
もう二度とあの男に蹂躙される事は無いのだと、心にも、カラダにも、もう踏み込まれる事は無いのだと安心したのだ。
それなのに、私の奥底がぽっかりと穴を開けて放心している。
彼から連想するものに良いものなんて何一つ無かった。そう…無かったはずなのに。
床にかすかに残る血の跡を見つけると、私は足元へ崩れ落ちそうになった。
何故私の所へ来ない?
早く金を返せと、コレでは足りていないと催促をしに来ない?
いつもの様に、金が無いなら他で補うのは当然の事だと、めちゃくちゃな事を言って私を押さえ付けに来れば良い。
なのに何故…来ない?
「逃げても無駄だと」
何処までも追いかけてやると、
「決して逃がしはしないと、そう言ったのは貴方だろう…?」
私の頬を、一筋の涙がこぼれ落ちたその時だった。
「だからちゃんと来ただろう?」
振り向いたその先。
先ほどまで誰も居なかったはずの入り口に、ニヤリと悪い笑みを浮かべた男が立っていた。
象徴的だった鮮やかな金髪には包帯の白が混ざり痛々しいが、その笑みはまるで何事も無かったかの様に晴れやかだった。
「ぁ…」
「これからとことん追い詰めてやろうと思ってたのに、アンタ逃げずに何してんだ?」
男が入り口を離れゆらりと近付いてくると、嗅ぎ慣れてしまった煙草のニオイが鼻腔を突いた。鳩尾の辺りがギュッと痛む。
「逃げるなと言ったのは、貴方だ」
私がそう主張すれば、男は鼻先がくっつく程の近さでニヒルに笑う。
「粋狂な野郎だな」
それは貴方も同じだろう。
そう言おうとした瞬間、塞がれる唇。
入り込んで来たソレが苦味を連れて来る。
しかし、苦手だったはずのそれはぽっかりと空いた私の奥底を、深く深く埋めていった。
END
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