呪いを運んだ男



 自分の子供が売られる手筈になっているから好きにしろと言った男は、視線を地面に移した。

「いざと言うときは、縁に聞いてもいい」
「縁?」
「いい女だからな」

 背中にぞくりとした感覚が走る。子供がいると言いながら、死に際に独占欲丸出しで子供の母親ではない女の名を出した。惚れるなよ、と男は俺を見てニヤリと笑った。

「あいつは俺のだ」







 禪院縁とは子供の頃に一度会ったことがあった。御三家の集まりに無理矢理連れ出されたときだった。禪院家の人間が少女を連れてきたことが珍しいからか、その少女が綺麗だったからか、周りはそわそわしていた。大人しく伏せ目がちに視線を床へ落としたまま、少女は大人たちの後ろを歩いていた。

「御当主様のお戯れですよ。恥ずかしながら術式も持たん子で」
「は?」

 思わず声が出た。何言ってんだ、このジジイ。視線を少女へ移すと、床を見ていた目が真っ直ぐ俺を見ていた。すっと目を細めて、俺が黙ったままでいると頭を僅かに下げた。何を考えているかわからないやつ。そんな第一印象だった。
 時々ジジイ共の話に登場し、禪院家にしては珍しく女なのになかなか将来有望なのではないかという評価を受けていた。その胎を使うのも悪くないというクソみたいな話が主ではあったが。


「禪院縁?」

 呼ばれて瞠目すると、そっとその頭を下げた。五条さま、と仰々しい挨拶をしようとする女は、相変わらず綺麗だった。そういう堅苦しいのはなし、と遮ると、戸惑ったように眉尻を下げた。
 術師殺しが最期に名を口にした女は、禪院家を離れて呪術高専東京校を拠点にしているらしい。よくあの禪院家が家を離れることを許したな、というのが最初に浮かんだ感想だった。

「アンタ、伏黒甚爾の何?」

 軽く首を傾げた瞬間、ハッとしたように息を吸い込んで全身が強張らせたのがわかった。

「遠縁の親戚です」

 憂いを帯びた目がそっと地面に落とされた。

「協力者?」
「いいえ」

 星漿体暗殺事件の関係者ではないのは分かっていた。禪院家を出ていることで僅かに疑惑は浮かんだが、伏黒甚爾に接触した様子もなく、本人は当日北海道で任務にあたっていたため、補助監督の証言もある。

「恋人?」
「いいえ」

 年齢差を考えればないだろうなと思いながらも聞いてみた。彼女が動揺する姿を見てみたかったのかもしれない。さらりと髪が風で揺れた。顔にかかった髪に手を伸ばした。青みがかった黒い目が驚いたように俺を映した。柔らかい髪を耳にかけてやる。

「いい女だって」

 戸惑いの色を浮かべた目が小刻みに揺れる。逸らすことを許さないように俺はその頬を手で押さえた。柔らかい頬の感触を確かめるように親指を滑らせた。

「惚れるなよだと」

 眉を八の字にさせた女を見て、情けない顔だと思った。凛とした初めて出会ったときの強さが全くない。途方に暮れた迷子の子供のようだった。そのちぐはぐさが、脳を揺さぶる。触れていたい。この目に俺だけを映してみたい。

「俺のだ、ってさ」

 ぽろりと右目から涙が零れる。そこでやっと理解した。あの男が何をしたかったのか。愛ほど歪んだ呪いはない。あの男は、この女を呪ったのだ。俺を使って、最後の呪いを縁に掛けた。

「甚爾くんは、特別だったんです」

 唇を震わせながら禪院縁は言った。その目は俺を見ているのに、俺を見ていなかった。はらはらと涙が両目から零れていく。

「幸せになって欲しかった」

 本当に呪術師なのだろうか。ましてや、あの禪院の出とは思えない思考回路だった。

「外の世界で、幸せになれたと思ってたんです」

 まるで懺悔のようだった。俺を瀕死に追い込んだ男が挑発するように笑う姿が脳裏に映った。幸せならば術師殺しなんてやっていないだろう。同時に、羨ましいと思った。こんな風に幸せを望まれることを。

「守りたかった。守れなかった」

 頬に触れる俺の手を振り払うこともなく、俺の手を涙で濡らしていく。ふと思う。この女は俺を恨んでいるのだろうか。

「俺が殺した」

 ゆっくりと瞬きする瞼が開くと、黒い目に俺が映る。

「知っています」

 そこに暗い色は見えなかった。

「任務ですから。それはどうしようもありません」

 その言葉で、やはりこの女も呪術師なのだと改めて思う。

「甚爾くんは強い」

 少し誇らしげな声に、どくんと心臓が大きく鳴った気がした。

「あなたは、それより強かった」

 それだけです。とても穏やかな声だった。手を頬から離して、その涙を拭ってやった。幼い頃の少女の面影を残した顔で、ふわりと微笑んだ。



「五条さん」

 片手を上げて返事をすれば、縁は小さく頭を下げた。任務の詳細を頂いてないんですが、と困ったように言う相手に笑ってみせる。

「任務じゃないよ。僕から君へ、個人的なお願いさ」

 お願い、とおうむ返しに呟いた相手とは、一人称と話し方を変えてから、二度ほど共に任務についた。そこで知ったのは、彼女は子供に甘いということだった。
 御三家なんてどこも似たり寄ったりだろう。幼い頃から厳しい鍛錬や教育を受けてきている。たまたま会った非術師の子供にその厳しさを見せるとは思ってはいないが、街中で迷子になって泣いている子供を抱き上げたり、呪霊に襲われた子供を安心させるように抱きしめたりするような感性があるとは思わなかった。そんな「普通」な感覚があるのは、意外だった。

「子供の面倒を見るのを手伝って欲しい」

 じっと僕を見つめると、困惑したように眉尻を下げた。

「まさか五条さんのーー」
「違えよ」

 思わず遮るように言葉を被せると、ほっとしたように息を吐いた。僕のイメージってどんななの、と問いたくなる。

「息子がいる」

 誰の、とは言わない。それでも、瞬時に縁は理解をしたらしく、顔を強張らせた。

「見える側だし、持ってる側だ。しかも、相伝の術式」

 まさか、と唇が震えた。禪院家に売られる予定だったことや、義理の姉のために呪術師になることを決断したことを説明すると、津美紀の母親について尋ねてきた。ずっと帰って来てなかったらしい、と答えると悲しそうに視線を落とした。

「いざと言うときは君に聞けってさ」

 ハッとしたように顔を上げた縁の目は揺れていた。そして、ゆっくりとその目を閉じた。再び開いた目は、不満だと訴えかけてくるようだった。おそらく彼女は恵に呪術師にならないで済む選択肢も与えたかったのだろう。外の世界で幸せになって欲しい。そんな想いを元来持っていたのだから。でも、それでは僕の夢は叶わない。
「わかりました」と答えた相手の背に手を添えエスコートする。恵には学校帰りに行くことは伝えてあった。

「げ、五条さん…」

 ランドセルを背負った恵は僕を見ると口を歪ませた。

「ソックリでしょ」

 その姿を見て足を止めた縁の顔を覗き込むと、驚いたように少しだけ目を見開いていた。しかし、僕の言葉に反応を見せずに、彼女は恵の前にしゃがんで目線を低くした。

「こんにちは、縁です」

 恵はじっと縁の顔を見て、一拍置いてから名乗った。

「伏黒、恵」

 めぐみ、と彼女はゆっくりと噛み締めるように繰り返した。ほんの一瞬泣きそうな顔をして、慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、自分の手を差し出した。

「よろしくお願いします、恵くん」

 少し警戒するように縁の差し出した手をじっと見つめてから、恵はその手を取った。縁はもう片方の手で、恵の手を包み込むように握った。

「恵が素直に握手するなんてねー」

 からかうように言った直後、息をのんだ。縁が包んだ手を自分の額へ押し当てるようにしたのだ。まるで祈るような姿に、ああ、と理解した。

『あいつは俺のだ』

 愛ほど歪んだ呪いはない。あの男は、この女を呪った。俺が呪いのきっかけだと思っていたのは間違いだった。あの男の呪いは、今完成した。自分の子を使って、この女を縛りつけた。決して自身を忘れず、他者へ目が向かない方法。恐ろしいまでの用意周到さと執着心だった。

「恵くんとお姉さんのお世話をさせていただきます」

 縁は慈しむように恵を見ると、その頬を撫でた。愛に溢れたその微笑みに恵は戸惑いを隠せなかったが、優しく頬を撫でる指を受け入れていた。そして、津美紀を紹介して欲しいと頼むと、恵はすんなりと頷いた。彼女は立ち上がると僕を見た。「ソックリでしょ」と繰り返してみると、彼女は首を横に振った。

「似てませんよ、全然」

 ああ、確かにな。最期にニヤリと笑った相手に同意する。いい女だよ。アンタにはもったいないくらいにな。



2022/03/08

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