▼ 試合開始
「わー!青道出てきた!」
「そりゃ出てくるよ」
第二試合が終わり、私たちから遠い方へ歩いていく選手たちを見送れば、反対側から懐かしき青道のユニフォームを来た高校生たちが歩いてきた。
「あ、片岡先生!」
「すげー人気だな」
選手たちが歩いてきたのを見て、前に座っていた『取材許可』という文字をストラップで首からかけている人たちがパシャパシャと写真を撮り始める。
私も便乗して立ち上がろうとすれば、一也に止められた。
「前行っちゃ駄目?」
「だーめ。指定席の意味ないだろ」
「ちぇ」
邪魔になるから駄目らしい。自分の席から撮る分にはオッケーらしいので、頑張って腕を伸ばしてシャッターを押す。
そんな私の様子を見て、一也が助けの手を伸ばそうとしてくれる。
「お前じゃ前の人の頭越せないだろ」
「で、でも何とか……!」
「俺が撮ってやろうか?」
「一也写真下手だからいいや」
「……」
たとえ一也の腕の長さで写真を撮れたとしても、絶対ピントが合っていない。撮ってもらわなくても分かる、一也は写真を撮るのも撮られるのも下手くそだ。
一也も自覚があるようで、私がノーを伝えたら潔く諦めてくれた。
「うわーあの子大きい、3年生かな」
「あれは1年」
「そうなの?」
「肩強いって、シニア時代から評判だったやつ」
へえ、なんて言いながら聞いているけれど、シニアが何なのか分かっちゃいない。あとで調べよう。
そう思いながら聞いていたら、ふと気付いた。
(1年生も把握しているってことは、一也やっぱり調べているじゃん)
どこの試合でもいいとか言いながら、やっぱり母校の応援を楽しみにしていたようだ。それに気付いて、ちょっと嬉しくなる。私は野球に疎いけど、野球のこと喋っている一也は楽しそうにしているから私も楽しい。
「あっ!片岡先生こっち見なかった!?」
「そうかー?」
「絶対見たって!一也いるからだよ!すごいねー!」
「お前がうるさいからじゃねーの」
空になったペットボトルで一也の頭を殴る。痛ぇと反撃して来ようとする一也だって、充分うるさい。
「あれ、もう試合はじまるの?」
「だから練習時間があるんだっての」
「そうだった」
先ほども見たというのにもう忘れてしまっていた。でも、さっきのチームより練習っていうよりも、結構本気の声が聞こえてきたりする。
「青道って昔からこんな感じ?」
「こんなって?」
「なんか、こう……迫力?」
うまく説明できない。さっきのチームの方がテンポは早かった気がするから、どっちがすごいっていうのも分からない。ただ、母校っていう欲目もあるのかもしれないが、青道の練習風景に圧倒される。
「まー地獄のノックとは言われているな」
「ファンから?」
「部員から」
実際経験している一也がいうんだから、よっぽどの地獄なんだろう。どこを見たらいいのかも分からなくて、片岡先生の方を眺めていた。1球、高く上に打って、それをキャッチャーの人が捕って、青道の練習タイムが終わった。
パチパチと控えめな拍手とともに、高校生たちがベンチへ戻ってくる。
「どうしたんだ?」
「えっ」
「急に黙り込んで」
相手チームが始まって、ベンチ前で集まっている青道の後輩たちを見る。ノスタルジックな気分に浸っていただけなのに、どうやら私の体調を心配してくれているようだ。一也はちょっと前のめりになって、私の顔色を確認してくる。こういうとこ、ほんと好き。
「キャッチャーにたかーい球打つのって、毎回恒例なの?」
「ノックの時の?」
「うん」
「そりゃそういう打球多いし」
「そっか」
体調不良じゃないと分かって安心したのか、一也は背もたれに戻った。
「……やっぱり、一也が高校野球しているとこ見たかったなあ」
ポツリと零した言葉を、しっかり拾ってくれる。
「……いや、観に来ていたじゃん」
「あの時はあんまりちゃんと見てなかった」
「ひっでー」
「だ、だってルール分かんないし!一也のこともあんまり知らなかったし!」
私だってあの頃から一也のこと好きだったら、ちゃんと観ていた。あんな遠足気分で、行き帰りのバスが一番楽しいような気持ちではなかったと思う。
ということを伝えたかったのだが、一也は何かに引っかかったらしい。悔しいくらい大きな目をこちらに向けて、パチパチと瞬きしている。
「……あの頃、俺のこと何とも思ってくれてなかったわけ?」
「え、うん」
一也が大きな手のひらで頭を抱えながら、ちょっと背中を丸くしてうなだれる。
「うわー……まじかー……」
「え、だって全然喋ることもなかったじゃん」
正直な感想を告げるも、一也はそのままに体勢から戻ろうとしない。
「……一也、そろそろ試合始まるんじゃない?」
顔をさげてしまった一也に、相手チームの練習も終わったことを伝える。小さな車がまた出てきた。これでグラウンドを綺麗にしたら、試合開始だ。
それを待っていると、ようやく一也はようやく顔をあげる。唇を尖らせて、あからさまに拗ねていますという顔をしていた。めずらしい。
「……三年になってすぐさ、ノート運ぶの手伝っただろ」
「そうだっけ?」
いつだったかテレビで、「人はしてもらったことよりも、してあげたことの方が覚えている」というのを見た。まさにそれだ。
「あと二年の時に図書室で本探すの手伝ってくれたり」
「うーん……?」
「でも最初は、一年生の体育祭で俺のひざに下手な消毒してくれた時」
「そんなことしたっけ!?」
何ひとつ覚えちゃいなかった。というか、してあげたことですら覚えちゃいない。心理学どうこうじゃなくて、単純な私の記憶力の問題らしい。あれ、でも。
(最初ってなんだろう)
一也の言い回しが、すこし引っかかる。そのままモヤモヤしても嫌なので、直接一也に尋ねてみた。
「最初って何? 最初の会話?」
「……それもあるけど、」
グラウンド整備の人たちが戻っていく。いつの間にか水も撒かれて、グラウンドは綺麗な濃い茶色になっていた。
「――俺が好きになった最初、多分、その時」
多分とか、そのとか、曖昧な言い方で伝えてくれる。なんでこんなタイミングで、そんな、曖昧な言葉で。
青道のベンチの前に、大きな円陣が組まれていた。これは聞いたことがある、有名なやつ。一也から視線を逸らすには、充分な理由。
大きな声で、昔からずっと変わらないらしい言葉を叫んでいる。はじめてこんな間近で見た。心にぐっときてしまっているのは、多分、一也も同じだ。
選手たちがグラウンドの方へ走っていく。お互いの距離をあけるように、腰に右手をあてて、整列をする。思ったよりもつめてしまったらしく、ちょっとバタついていた。わちゃわちゃしている若者を見るのは、やっぱり楽しい。
「……ねえ一也」
「ん?」
「高校生やり直したいって、今、心底思っている」
一也の顔を見れなくて、グラウンドの方を見たままそんなことを言ってしまう。一也が小さく笑う気配がした。
「なら、高校野球観戦から仕切り直すか」
あの時とは違って、今は一也が隣にいる。この夏はもうあの夏とは違うけれど、それでも今日から再スタートだ。
試合開始のサイレンがなり響く。さあ、試合開始だ。
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