百十年前――――
とある宿舎の一室、単身用より少し広い部屋。
室内を満たす出汁と味噌の混ざった香りは、朝の支度で忙しくしていた自分が忘れた空腹を呼び覚ます。
…そろそろ起こさねば。
隣の部屋の襖を開ける。『明日なんとしても起こして』と昨晩遅くに私をわざわざ起こしてまで言いつけ、それ以来布団に包まって動かない、自分とそっくりな頭に向かって叫ぶ。
「朝!朝なのよ!起きなさい!起きて!起きろ!」
「……あと十分…」
「つもり積もって一時間眠った記録を持つのはどこの誰!」
「ボクの妹」
「違う!お前だ!よりによって今日のお前だ!」
頭から枕を引っこ抜く。面白いように頭は敷き布団へ落ちた。情けない声がしたが、容赦はしない。容赦の必要がないし、遅番明けであったとしても今日から日勤なのだから起きてくれなければ困る。というか、何日ぶりか分からないくらい久々に家に帰ってきた男の勤務形態など知らない。
「いい加減起きろ!元・隠密機動第三分隊分隊長 浦原喜助!」
「ンー…旧役職名で呼ばないでくださいよォ――――四番隊第六席 浦原喜多」
似た顔に名前を呼ばれる。そんな場合ではない。
「早く起きて朝食!今日でしょ!早めに行かないと夜一さんとか偉い人待たせちゃうよ!それでいいのか!十二番隊新隊長!」
「………そっスね。今日から、十二番隊っスね」
むくりと起き上がる。長くてそれなりにガタイのいい身体を短時間でうまく寝かせたらしく、睡眠時間が少ないわりには元気そうである。…もしくは、今まで出歩いていた時間が余程有意義だったのか。あ、なんか腹立ってきたなァ。昇進だって夜一さんが教えてくれなきゃ知らなかったんだぞ!
そんな腹立たしい器用な男は、私とそっくりなカラーリングで、私よりいくらか年上で、私よりずいぶんと身長が高くてあらゆる面で優秀だ。
「おはようっス、喜多チャン」
「おはよう、お兄ちゃん」
でも生活力の無さとどうしようもない私生活はどうにかしてほしい、私に苦情が来る。
というかそもそも、何でいい年した兄の面倒を私が見てるんか?入隊時に「同じ部屋にしようよ」的なこと言ってきたせいか兄妹で同じ部屋に押し込まれたし、家事はやらんし。前提として家事やる以前に兄は帰ってこないし、帰ってきたと思ったらまたいなくなるし、ピンポン鳴るから出たら知らない女が兄の所在を問うし、知らんって言ったら何故か私でもいいとか言われたから丁重にお帰り頂いたし!兄のは胸筋だが私のはちゃんとアレなんだぞ!サイズがあまり大きくないだけで!…ッ、悲しくなってきた。何でこんなことに?
…そもそもお前が、と思考が最初に戻った時点で我に返り、へらりと笑った男に早く支度しろと睨みを効かせた。
そんな賑やかな部屋から離れた四番隊員専用宿舎。こちらは単身用で狭い。
静かな空間に布の擦れる音、ペタペタという音が立つ。
その音を発した元は、パシャパシャと顔を洗い、髪をとき、寝巻きを脱いで死覇装に着替える。刀に手を伸ばし、少し鞘から抜く。
「………」
朝焼色の刀身を眺め、鞘に戻す。姿見で自分の姿を確認し、
「………」
暫し動きを止めてから、深紫色の瞳は姿見から逸れる。玄関へ向かって草履を履き、部屋を出た。
施錠の音の後には、また静けさが広がった。
また部屋は少し広くなる。
「どうっスか?新し――――」
「早く行く!それが似合う男になれ!」
「行ってきまァす」
何とか兄を外へ出すことができた。新しい隊長羽織はよく似合っていたが、外見だけでなく内面もそうなってほしい。是非、私生活の改善もなさってくださいませ隊長殿。
私も急がねば。兄と大差ない長さの髪をハーフアップにして区別をつける。そして刀を持つと、慌ただしく部屋を出た。
普段より出るのが遅れた。瞬歩を使うほどではないので、走って隊舎へ向かう。兄を追い抜いた。意味が分からない。急げよ。
途中、平子隊長が転がってきたのでさらりと受け止め、何故か血塗れの顔面を回道で回復させて藍染副隊長の方へ山なりに投げた。曲線を描いたのは温情である。
あと、私に治させるなら、もうちょっと深手を負って来てほしい。軽傷を治すのは過度に治療しちゃいそうになるんで苦手なんだ。重傷だと加減をミスったことは一度も無いんだけどね。
いつもの事だが、また『猿柿副隊長とコミュニケーションをとった後の平子隊長を治療した四番隊ランキング』での格が上がってしまった。不名誉な一位ぶっちぎりである。誰がカウントしてるんだろうなァあのランキング。
一人内心で呟いているうちに職場にたどり着いた。
「おはようございます、浦原六席」
「おはよ」
隊士が続々と出勤してくる。今日の私も無事遅刻することなく出勤できたようだ。
席官室へ向かう。襖を開ければ、先輩方に加えて同期がすでに机についていた。挨拶をして入室する。自分の机では書類を確認し、当番表では名前を確認。私は一日裏方だ。
「おはよう」
「おはよ。杜屋ちゃん、今日は表なんだ」
「うん」
杜屋ちゃん――――杜屋由布子、四番隊三席。霊術院からの付き合い、つまり同期兼友人である。
彼女は美人だ。ちょっぴり無表情が過ぎる、ちょっぴり冷静が過ぎるけれども深紫の瞳に見つめられると胸がときめく。やばいね!
「隊長、副隊長が午前中は式典出席で隊を空けるから、杜屋が出なさい…と」
「流石は杜屋三席。信頼が篤い!」
「浦原六席は重傷者の治療においては信頼が置けるわ」
「どーせそれだけですよーだ」
くるりと回って当番表に背を向け、席に着く。そんな私の隣、男所帯な死神の世界で卯ノ花隊長が気を遣って配置してくれた座席に杜屋ちゃんが座る。
「でも、誰よりも凄い力。死の間際から救ってくれる」
「ありがと」
力を認めてもらってここにいる。それは嬉しいことだ。
ここは護廷十三隊四番隊。死神が戦うための支援を行い、死神の命を繋ぎ止める最後の砦。
私の職場である。