契約の紡


本編



例え記憶がなくなっても。
人の生き血、その温もりに味をしめ、凶暴な殺人鬼になってしまったとしても。
それでも弓良にとって琥白は、白鼬は、大切な友人であるということに、変わりはなかった。
変えることが、出来なかった。
その行いが、倫理的にも、人としても、間違っているのだとしても。
弓良はそれを咎めることはなかった。

「お腹空いた。」

彼は、ふとした時に、こう呟いた。
別に空腹な訳でもないのに。何かに飢えるように、求めるように、彼は、こう呟く。

「ね、人殺しに行こ?」

そう言って、笑うのだ。
彼が求めているのは、血の赤。生温かく、どくどくと蠢く臓物と、新鮮な、血液の温もり。
本当に彼が求めているものは、それなのか。
なんとなく、弓良には、本当の答えというものが、見えているような気がしていた。
けれど。
彼がそれを望むなら。
人を殺めることを。血を、臓物を、引きずり出すことを望むなら。
彼の望むようにしよう。
何もない自分にとって、何者でもない自分にとって、白鼬という唯一の友人が、弓良にとっての、道しるべのようなものだったから。


第四十九結 : 刃を交えて


時は、再び現在。
燕たちは、白鼬の放つ、数多の文字に苦戦を強いられていた。
或いは矢。或いは雷。或いは水。或いは風。或いは炎。ありとあらゆる文字を紡ぎ、攻撃を放つ白鼬に対し、こちらは傷一つつけるどころか、触れることすらもかなわない。
どうにかして彼に一撃を与えることが出来れば。
しかし、仮に彼の文字の攻撃を潜り抜けたとしても、白鼬の傍には弓良がしっかりとついていて、文字の次には弓良をも突破しなければならない。

「このままじゃ、近付くことも出来ないわね。まるで、神子の力を持っているみたい。」

水流が、ぽつりと呟く。
確かに、白鼬の見せる力というのは、今まで出会った妖たちと比べると、異質なものであった。
鬼の兄弟にしても、橋の鬼にしても、桜の妖にしても、刀の妖にしても、彼等の能力というものは、一つの能力に特化していた。
身体能力がずば抜けていたり、水を操ったり、風を操ったり、姿を隠したり、植物を操ったり、身体から武器を取り出したり。
けれど、白鼬は違う。
妖であるはずなのに、妖にしては、彼の振るう力はあまりにも神に近過ぎるのだ。
まるで、神の力を、どこかで奪ってしまったかのように。

「私が行きます。」
「燕……?」

燕が一歩、前に出る。

「彼の力が神に等しいと言うのならば、彼の力に太刀打ちできるのもまた、神に等しい力でしょう。そうなれば、対抗できる力を持つのは私くらいでしょう。」

静止の声を聞く前に、燕は地面を踏みしめて、飛び跳ねた。
吹き抜ける風を支えにしてその身体を浮かび上がらせると、白鼬と対峙するような形で、宙を舞う。
燕を見た白鼬は、少し驚いたような顔をしてから、笑った。

「へぇ。君も飛べるんだ。」

そう言った白鼬は、また、大幣を振るう。
あの大幣を使うことで文字を扱うことが出来るのならば、それを壊せば活路が見いだせるのだろう。
燕は刃を握り締め、白鼬目掛けて、飛んでいく。

「死んじゃえ!」

白鼬の楽しそうな声と共に、空中に刻まれた文字に相応しい攻撃が、形となって、燕に向けて襲い掛かる。
空中に、「炎」と書かれたその文字は赤く輝くと、ごうごうと激しい轟音を立てて真っ赤な炎が放れたのだ。
向かってくる炎に向けて刃を構え、熱く燃え盛るそれを刃で分断する様を、イメージする。刃に己の神経を集中させ、勢いよく振ると、本来であれば斬ることなんて到底かなわない炎を、簡単に切り裂くことが出来た。
切り裂かれた炎はパチパチと音を立てながら霧散していくのを見送りながら、また、白鼬の元へと飛んでいく。
その様子に、彼はようやく、動揺の色をその目に浮かべた。
困ったように、焦るように、彼は文字を紡いでいく。
水。風。撃。刃。雷。草。嵐。
彼が文字を紡ぐ度に、水が飛び、風が吹き荒れ、矢や千本、刀といった武具が飛び、雷が降り注ぎ、草が刃物のように飛んできて、しまいには、嵐まで巻き起こした。
それでも燕は、向い来る全てのものを刃で弾き飛ばして、切り裂いて、迷うことなく、白鼬の元へと飛び続ける。
彼との距離が詰まると、いよいよ白鼬は文字を紡ぐことを諦めて、再び鞘を抜いて、大幣から刀へと形状を変えた武器で燕へと切りかかった。
素早い動きで向かってくる刃を燕が受け止めると、乾いた金属のぶつかり合う音が響く。

「白鼬!」

白鼬の名を呼ぶ、弓良の声。
白鼬を助けようと思った故だろう。青い炎を燕に向けて放とうとすれば、何時の間に彼の目の前に移動したのだろうか、弓良に向かって、氷雨が刃を振り下ろした。
氷雨の存在は弓良にとっては少々想定外だったのか、刃は弓良の頬を掠めて、紅い一本の線を作る。

「お前の相手は私たちだ。」
「ッ……すっこんでいろ!」

苛立つ弓良は炎で威嚇するけれども、氷雨はそれに臆することなく、弓良へと刃を振るう。
弓良がその爪で氷雨の刀を弾き返すのと、燕と白鼬が刃をぶつけ合う音が、同時に響いた。

(やっぱり……)

白鼬という妖は、朔良という妖と並ぶくらい、小柄な妖であった。
他の妖と比べると身軽な動きの彼であったが、こうして刃を交えると、決してその力は、強いとは言えないもので。
その証拠に、燕の刃を受け止める白鼬の腕は、次第に限界が近付いて来たのか、カタカタと震えはじめた。

「はぁっ!」

一度刃を弾き、もう一度、振るう。
斬るというよりも、叩きつけるという表現が似つかわしい荒々しい動作で刃を振り下ろせば、その刃を受け止めた白鼬の刀に、一本の亀裂が入った。

「!」

パキ、という亀裂の音が、やけに鮮明に、はっきりと聞こえたのは、燕だけではないだろう。
その証拠に、白鼬の赤い瞳も、大きく見開かれていた。
きっとこの刃は、何度も何度も、人の血を浴びたことだろう。
人の生き血を浴び過ぎたこの刃は、気付かぬうちに、しかし、確実に、限界を迎えていたのだ。

「これで最後です!」

もう一度刀を振り下ろせば、白鼬の刃は、パキンと乾いた音を立てて、真っ二つに折れた。
刀が折れ、文字を紡ぎ出す力が喪われたのか、今まで宙に浮いていた白鼬の身体は、重力に従うように地面に向かって落ちていく。

「白鼬!」
「黒耀殿!」

弓良の叫び声と、燕の叫び声は、ほぼ同時だった。
燕の声にはっと黒耀は顔をあげて、手に持っていた、己の武器を握り締める。
決意を決めたかのように、覚悟を拳に、武器に込めて、黒耀は、地面へと落ちていく白鼬の元へと走った。
そして。

「…………ごめん、琥白ッ……」

黒耀の武器、その先端に備えられた刃は、白鼬の身体を貫いた。

 


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