契約の紡


本編



初めて出会った時には気にならなかったけれど、よく見れば琥白は、この村周辺に住んでいる者と、少なからず異なる容姿をしていた。
玄武の村と、その周辺にある集落の人々はずっしりと重みのある黒髪の者が多い。
しかし、この琥白という少年は、雪のように白い髪と肌。そして、まるで血のような、鮮やかな赤い瞳。
彼が何故村を追い出されたのか。そして、集落でも受け入れられなかったのか。
その容姿を見れば、彼が何を語らずとも想像することが出来た。
それと同時に、自分と異なる、得体の知れぬ者を恐れるのは、人間も、精霊も、同じなのだということを、胸が痛むぐらいに実感させられたのだ。
誰からも望まれない一人と一人の共同生活は、決して楽なものではなかったけれど、それでも、それなりに楽しいと、そう思えていたのも、事実であった。
この森は、人々からは、見捨てられた地と呼ばれているという。
精霊の恩恵もない。緑が生い茂り、人の気配もなく、妖すら寄り付かぬ、薄暗い土地。そう考えれば、見捨てられた土地と呼ばれていたとしても、納得せざるを得ない。
けれど、この森と同じように、人々から見捨てられた弓良や琥白にとっては、まるで楽園のような場所だった。
森の奥まで入っていけば、魚も泳ぐような川が流れている。
木の実もいくつか実っており、弓良は食事を必要とはしなかったけれども、食事を必要とする人間の身である琥白一人が食べるぐらいであれば困らない程度には、森の中に食べ物は存在していた。
人の寿命というものは短い。
己がどのような存在かはわからずとも、彼の少年よりは長寿の種族であることは間違いないだろう。
彼は間違いなく、自分よりも先に死ぬ。
けれど、そのわずかなひと時くらい、共にいても良い。
弓良にとって、琥白とは、そう思わされる少年であった。

「琥白。今日は少し川の様子を見に行ってくる。かなり離れているから遅くなるが、大丈夫か?」

弓良がそう問いかければ、琥白は小さく頷く。
本当は共に連れて行きたかったけれども、琥白は、その数日前に足をくじいていた。
歩くことがままならない彼を森の奥に連れて行く訳にはいかない。
本当は少し心細かったけれども、彼のことを考えて、留守を任せることにしたのだ。
弓良が心配そうな表情で琥白を見ていると、琥白は手に紙と筆を持ち、すらすらと早い手つきで文字を書いていく。

『僕のことは気にしないで。留守番くらい、一人で出来るよ。』


第四十七結 : 琥白の叫び


弓良は最後まで一人で外出することを渋っていたが、最終的に、琥白の説得に押し負け、一人で森の奥にある川へと向かった。
この森で暮らすようになって、もう随分と経つ。時間というものを空の様子と体内時計でしか把握出来ないこの森で、何回太陽が昇って、沈んだのか、最初のうちは数えていたかもしれないけれども、もう数えるのは止めた。
澄み渡るような青空を眺めて弓良の帰りを待つ。きっと、彼の帰りはこの空の色が橙色に染まる頃になるだろう。
弓良は、良い人であった。
否、「人」ではない彼を人と言うのは少し変かもしれない。しかし、そんなことは琥白にとってはどうでもよく、とにかく、狐火弓良という正体不明の同居人は、とても良い人だったのだ。
突然森に現れた琥白のような得体の知れない存在に、最初は警戒こそしていたけれども、共に住もうと提案してくれて、更には、琥白のためにこうして食料の調達にも向かってくれる。

(僕は恵まれているなぁ。)

村からも追い出され、集落からも除け者にされて。
決して、恵まれた生い立ちとは言いにくい琥白であったが、それでも、今の暮らしは恵まれていると、素直に、そう思ったのだ。
食べ物にも困らない。住む場所だってある。心配してくれる心優しい同居人もいる。
これ以上、何を望むというのだ。

(嗚呼、でも。)

琥白には、一つだけ、心残りと言えばいいのだろうか、この暮らしをするにあたって、一つだけ、名残惜しいと思うものがあった。
叶うとは思ってはいない願い。
けれども、もし、叶うならばと、今でも思うことを止められない願い。
そんな願いが、琥白には、あった。

「おい。本当に見たのか?」
「本当だって。見たんだよ。モノノ怪がこの辺りにいるのを。」

弓良とは違う、聞きなれぬ声に、琥白はビクリと身を固めた。
どくどくどくと早まる心臓の音がやけにうるさく聞こえるのを感じながら、身体をぎゅっと、小さく丸める。
その声は、人間の声だった。
何故こんなところに人間がいるのだろうか。モノノ怪とは、何のことだろうか。まさか弓良のことだろうか。何が目的でこんな森にまで足を運んだのだろうか。
そんなことが、ぐるぐるぐるぐるぐるぐると琥白の脳裏で過っていく。
知らせなければ。
弓良に会いに行かねば。

「おい。こんなところに建物があるぞ。」
「入ってみよう。何かいるかもしれない。」

人間の、男たちのものと思われる声が聞こえる。
琥白は咄嗟に、家屋に備え付けられた裏口の扉を開けて、外へと抜け出す。先日捻ったばかりの足がずきずきと響くように痛むのを堪えながら、まずはこの家から離れようと、琥白は足を動かした。
どたどたどたと、家屋に誰かが入り込む音が聞こえる。きっと、さっきの人たちだ。

(弓良、弓良、弓良……)

ぱくぱくと、口を開けて、声を出そうと試みる。
けれど、どうしても、琥白の喉から、その音は発せられなくて、ひゅーひゅーと、緊張のあまりに零れる空気の音だけが、喉から響いた。
早く逃げなければ。彼の元へ行かなければ。早く。早く。早く。早く。
その思いだけが、痛む琥白の足を、強引に、動かしていた。

「誰もいないな……」
「いや、おい、こっちに裏口があるぞ。」

男たちが扉を開け、先を歩く。
大人の男たちの歩幅で、しかも、早足で歩いて行けば、足を怪我していて、体躯が小さく歩幅の小さい琥白の姿を捉えるのには、そう時間も要らなかった。

「おい!ガキだ!」
「しかもアイツ、前に集落をうろついてたガキじゃないか!」

男たちの声に、琥白はびくりと身を震わせる。
ガサガサガサと、草を踏みしめて追って来る男たちに恐怖を覚えた琥白は、走った。
ひたすらに走って、ただただ、彼は、川を目指して、走った。
ジンジンと足は痛むし、喉も痛い。恐怖で視界が涙で滲む。それでも、琥白は、足を止める訳にはいかなくて。足を止めたら最後、全てが終わる、そんな気がしたのだ。
しかし、そんな琥白の想いも、努力も、何もかもが否定されるかのように、無情にも伸ばされた大きな手が、琥白の身体をしっかりとつかんで、引き寄せる。

「捕まえた!」
「おい、大人しくしろ!」

力負けした琥白の身体は、容赦なく、地面へと叩きつけられる。
痛くて、痛くて、怖くて、不安で、必死に身体を身動ぎさせて抵抗するけれども、その抵抗もむなしく、何度も何度も、琥白の身体は、地面へと叩きつけられた。
頭が擦り切れたのだろうか。ズキズキと痛むし、汗とは違う、粘り気のある水が、額から伝ってくる。
朦朧とする意識の中、抵抗する力もなくなった琥白は、そのまま地面へ投げ捨てられる。
男たちの手には、木の棒が握りしめられていて、その顔は、怯えているようにすら見えた。

「お前だろう!お前が!お前がモノノ怪を引き寄せているんだろう!」
「君の悪い色の髪と目をしやがって!お前もバケモノの一人だろう!このバケモノめ!」

心無い罵声を浴びせられても、不思議と、心は痛まない。
村に居たころから、その言葉は元々よく言われていたし、もし弁解しようとしたところで、それが無駄なのだということは、琥白自身が、痛い程、わかっていた。
怯える男たちの手によって、木の棒が、琥白の身体へと、降り注ぐ。

「ッ!ッ、ッッ……!」

何度も何度も、木の棒は琥白へと打ち付けられて、身体が痛む度に、琥白は地面に生える草を力強く握り締めた。

(痛い、痛い、痛い、助けて、助けて、助けて、助けて……!)

何度も、何度も、琥白は叫ぶ。
けれど、その叫び声は、言葉として、音を発することはない。
どうしても声が出なくて、助けなんて呼べなくて、身体はただただひたすらに痛くて、どうすればいいか、わからなくて。
痛む身体と、流れる血から、自分は死ぬのだろうかと、そんな、何とも言えぬ不安だけが、琥白の心を支配していて。

「死ね!このバケモノ!」

その時、頭蓋骨が壊れるような、頭の中で何かが爆発するような、そんな、何かが壊れる、音がした。

 


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