契約の紡


本編



「お前たちに教えることは、何もない。しかし、一つだけ、教えてやろう。」

弓良は呟くと、己の中に在った僅かな戸惑いや迷いを振り払うかのように、青い炎を、燕たちへ向けて振りまいた。
決して威力の強くないそれはただの威嚇同然で、氷雨は咄嗟に燕の腕を引いてその青い炎から逃れる。
パチパチパチ、と音を立てて、地面で燃える青い炎を、燕は、ごくりと唾を飲み込みながら、まじまじと眺めていた。
天に広がる青空と、同じ色をした瞳は、炎から弓良へと視線をゆっくり移す。
一つだけ教える。そう宣言したからには、何も知らぬ、知りたがりのあの神子に義理はないが、誰かに似ているあの顔に免じて、約束を果たそう。
弓良はゆっくりと、その口を開いた。

「白鼬は、琥白だった。それは、紛れもない事実だ。」

空に浮かんでいた白鼬は、気付かなかっただろう。そして、聞こえなかっただろう。
彼等が弓良の言葉を聞いて、顔を青くする様を。そして、今にも泣きそうになっている黒耀が、その青い顔のまま、嘘だ、と小さく呟いたことを。


第四十六結 : 弓良と琥白


狐火弓良が玄琥白と出会ったのは、集落の外れにある森の中であった。
北の端に属する、集落の外れも外れ、人もなかなか寄り付かぬそこは季風地の先端なだけあり、色々と恩恵が薄いのか精霊もあまり住み着かぬ地。
訳あって季風地を堂々と歩けぬ身となってしまった弓良にとって、人も精霊も寄り付かぬこの地は、身を隠すのにうってつけの場所であった。
本来であれば、この地を出る。という選択が一番ふさわしい選択なのだろう。
しかし、己が何者かもわからぬ弓良にとって、己の存在が一番の恐怖であり、そして、外の世界という新たな恐怖を積極的に求める勇気が、彼にはなかった。
その森は静かで、寝泊まりするには不自由しない程度に古びた家屋が一軒あり、一人で隠れて暮らしていくにはもってこいの場所であったし、己がいつまで生きる種族なのかもわからぬが、刻むべき時を刻み終わるその時まで、此処で、静かに一人で過ごすのも悪くないと、そう思っていて。
琥白と出会ったのは、そんな矢先のことであった。

「……お前。何者だ。」

弓良の日課は、日向ぼっこであった。
緑に包まれた森の中。その中で、木と木の間から、ぽっかりと太陽の光が降り注がれる場所がある。
弓良は毎日そこでぬくぬくと太陽を浴びて、陽が沈み始めたら空き家に戻って眠るという、少々自堕落な日々をここ数年送っていた。
今日もその日向ぼっこの帰りであり、太陽の光を存分に浴びて充実した一日を過ごした彼は、また太陽が昇る時まで眠ろうと、そう思いながら、最早我が家と呼んでも許されるであろう空き家へ戻ると、家の前に、一人の少年が座り込んでいた。
腰より下まで伸ばした白い髪。細い手足。くりくりと大きく開いた赤い瞳。
一見すると少女のように見えなくもなかったが、少女と呼ぶには少し丸みの足りないその身体から、彼が少年であるということがわかった。
こちらに気付いた少年は、目を丸めて弓良のことをまじまじと見つめる。そしておどおどとした落ち着きのない仕草で口をぱくぱくと開けて、何かを話そうと試みていた。

「お前、人間の子どもだろう。こんなところにいるのはあまりに場違いだ。もうすぐ夜になる。日が暮れる前に帰ったらどうだ?」

どうせ此処から少し離れた集落にいる子どもの一人だろう。
そう思って弓良は軽くあしらってみたけれども、どうも少年の様子がおかしい。
きょろきょろと忙しなく目を泳がせているが、それは決して、好奇心故に周囲を見回してという訳ではない。何か言葉を、答えを探しているような、そんな、たどたどしい目の動かし方であった。

「お前、集落の子ではないのか?」

弓良が問いかけると、少年は頷こうとして、躊躇う。そして次は首を横に振ろうとして、これもまた、躊躇った。
煮え切らぬ態度に、もどかしさを覚えてしまう。
そんな苛立ち故に、弓良は気付くのが遅れてしまった。
よく見れば少年は、先程から、何か伝えたそうに、口をぱくぱくと開閉している。
そしてその度に、少し困ったような、泣きそうな顔をしているのだ。
もしかして、と、弓良は呟く。

「お前、声が出ないのか?」

弓良が問いかければ、少年は、頷いた。
罪悪感から、弓良は手で顔を覆って溜息を吐く。
此処がもし土の地面であれば土に指で文字を刻むことが出来ただろう。しかし、この辺りは草が青々と生い茂っていて、筆談の妨げになっている。
だからこそ彼は頑張って声を発しようとしていたのだろう。
そう考えると、彼の様子に苛立っていた自分が情けない。

「少し待っていろ。」

弓良はそう言って、一度空き家へと入る。
此処は確かにボロボロの空き家だけれども、かつては人が生活していた名残か、多少の生活用品は残されていた。
もしかして、と、古びた箪笥の中を開けて探してみれば、弓良の探し物はすぐに見つかった。

「待たせた。」

弓良がそう言って少年に手渡したのは、筆と紙と墨。
ぱちくりと瞬きさせて、少年は、不思議そうに弓良のことを見る。

「これがあれば筆談出来るだろう。気付かなくて悪かった。」

手渡されたそれを受け取ると、少年は、瞳をきらきらと輝かせた。
その綺麗に輝く瞳から、言葉を語らずとも、少年はこの贈り物を喜んでくれていると、容易に想像出来る。
人とまともに話すのは、もう、十年以上久しいことであるが、その久しく話す人間が、彼でよかったと、しみじみ思ってしまったのは、言うまでもない。
少年は筆に墨をつけて、紙に黒い文字を綴っていく。

『ありがとうございます。声が出ないもので、どのように意思疎通をはかればいいか、決めかねていました。お心遣い、感謝いたします。』

少年の刻む文字は繊細で、しかし読みやすくも丁寧な、綺麗な字をしていた。
その字を見るだけで、この少年は、さぞ心優しく穏やかな性格の人間なのだろうということがわかる。
根拠はこの文字と、丁寧な文章、そして、はにかむような穏やかな笑みと、これだけ揃っていれば十分だ。
少年が筆をとってからは、会話はスムーズに進んだ。

「名前は?」
『琥白と申します。』
「どう読む。」
『コハクと読んでいただければ。』
「何処から来た。」
『この付近にある集落です。しかし、元は玄武の村に居りました。』
「訳ありか?」
『はい。』
「住む場所はあるのか。」
『ありません。住む場所を探していたら、此処に辿り着きました。』
「集落にも、村にも、住む場所はないのか?」

最後の問いかけをすると、琥白の手が、ぴたりと止まる。
どう書けばいいかを迷っているのだろうか、そう思っていると、少し震える幼く小さな手が、先程よりも少し不格好な字で、「はい」とだけ、綴った。
自ら居場所がないということを肯定させるのは、あまりにも酷であると気付くのに、幾ばくかの時間が必要で。
気付いた時には、もう彼にそれをさせてしまった後で、申し訳なさそうに、暗い顔をして俯く琥白に弓良はどう接したらいいのは、躊躇する。
そして、ふと、口をついて出た言葉は

「居場所がないなら、共に住むか。」

この言葉だった。

 


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