契約の紡


本編



狐火弓良は、気付けば季風地に居た、そんな存在であった。
己が何者であるのか。少なくとも、水辺に映る己の頭と尾から生えているものを見て、人ではないということだけは、わかった。
何故此処にいるのか。何のために生まれたのか。
少なくとも、精霊という者は皆、己の存在理由を自ずと把握をしているものなのだと、季風地で親しくなった精霊たちから教わった。
では、自分は、精霊ではないのか。
けれど、皆は一様に、妖の気配は感じないから、妖でもないと、そう言った。
では、自分は何者か。
人でもない。精霊でもない。妖でもない。
最初は、戸惑った。己は何者なのかと、何故生れ落ちた理由がわからないのかと、頭を抱えたこともあった。
けれど、一人の精霊が、手を握って、こういった。

「なんだって良いじゃないか。弓良は弓良だ。僕たちの友人だ。それは、変わらない事実だろう。」

そう言って笑ってくれた、彼女の黄緑色の瞳が、とても綺麗だったのは、今でもよく覚えている。


第四十四結 : 対峙


北の地に残った黒耀たちが、再び、彼等と対面するのに、そう時間はかからなかった。

「こんにちは。」

そう言って、白鼬は朗らかな笑みを浮かべて挨拶をする。
しかし、黒耀たちが緊張を解くことはない。武器を手に握ったまま白鼬を見据えていると、彼は、つまらなそうに唇を尖らせた。

「酷いなぁ、そんな顔しないでよ。辛気臭くてつまらない。」
「そういうお前こそ、そんな虫も殺せぬような笑顔で、人を殺すのか。」
「うん。そうだよ。」

そう言って、白鼬は明るい笑顔を浮かべる。
他の妖たちは、人を殺めるにあたって、少なからず動機はあった。けれど、白鼬にはそれがない。
ただ殺したいから殺す。彼にとって殺人とは本能であり、それ以上でも以下でもない。
ただただ己の欲求を満たす為に、己の中にある何かを満たす為に、殺す。
その欲求は、空腹を補うために食べ物を口にする人間のそれとひどくよく似ていた。
白鼬が刃を向けてこちらへ切りかかる。
その刃を真っ先に受け止めたのは、黒耀が手に持つ、薙刀であった。
白鼬の刀を受け止めると、力いっぱい振り払って薙ぎ払う。
その刃を身軽に避けながら、白鼬は、おお、と感心したような声を漏らした。

「凄い凄い。そんな力あったんだね。びっくりしたよ。」

けたけたと、白鼬は楽しそうに笑っている。
それとは裏腹に、黒耀の顔色は悪く、唇を噛みしめ、今にも、泣きそうな顔をしていた。

「琥白、なぁ、もうやめよう?私は、お前を殺したくはない。」
「んー、勘違いしてなぁい?僕は、琥白じゃないよ?」

迷いが見え隠れする黒耀の刃を受け止めると、白鼬は、黒耀の耳元へ近付いて、小さな声で、囁く。

「僕との殺し愛に集中しないと、君の首、跳ねちゃうよ?」

そんな声と共に、白い刃が、黒耀の視界に映り込む。
刃がぶつかる、その直前、黒耀の身体を抱えて、兎月は地面を勢いよく蹴った。
刃は黒耀を斬ることなく、何もない虚空を斬り、ぶん、と虚しい風音のみを響かせる。

「あ、ぶ、な、危なっ……!寿命縮むと思った……!」
「す、すまない……」
「迷っている暇はない。迷っていたら、殺られるぞ。」

蛇養はそう言って、黒耀と兎月を護るように、二人の前へと立つ。
にこにこと無邪気な笑みを浮かべる白鼬と、その隣には、かつての友人、狐火弓良の姿あがった。

「弓良。」

蛇養が弓良の名を呼ぶと、ずっと沈黙を守り、表情一つ変えなかった弓良の眉がぴくりと動く。
自分の声がまだ彼の届くのだと安堵する気持ちと、相対することになってしまったことを悲しく思う気持ちと、二つの想いで、揺れ動く。
ごくりと、唾液と共に、迷いを一気に飲み込むと、蛇養は、二人のことを睨み、そして、その手に白い剣を取った。
胸元から飛び出した剣を見て、白鼬は、寿々波みたい、と能天気に笑う。

「精霊の中には体内に武器を隠している者もいるからな。それに、蛇養の武器は本来、あれだけじゃない。」
「へぇ。やっぱり弓良は詳しいねぇ。……お友達と戦うのは、抵抗あるんじゃないのかい?」
「まさか。俺の友は、お前だけだ。」

そう言って白鼬の気遣いと呼べるか曖昧な気遣いを鼻で笑うと、弓良は、白鼬を庇うようにして、前へと出る。
弓良は、武器を持たない。
ゆらりと尾を揺らして、その手に青い炎を灯しながら、紅い瞳を細めて、蛇養を見つめた。

「君と、こうして向き合う日が来るとは思わなかったよ。」
「奇遇だな、俺もだ。」

こうして睨み合って、どれだけの時間が経っただろうか。
たった一瞬のようにも思えるし、もう、何分も、何十分も、こうしているようにすら、思えてしまう。
緊張からか頬に汗が伝い、やけに、喉が渇く。剣を握るその手もまた、何処か、汗ばんでいた。
風が舞い、木々がざわざわと揺れる音がする。
先に動いたのは、弓良だった。
手にしていた青い火の玉をこちらへと放てば、蛇養がそれを剣で払う。
その動きを読んでいたかのように弓良は駆け、その鋭利な爪を、蛇養めがけて突き立てた。
咄嗟にその猛攻を避けようとするが、弓良の速さは蛇養のそれを上回り、彼女の右肩を裂いて、血の赤と、衣の白が宙を舞う。
白い衣を赤で滲ませ、痛みに耐えて大きく呼吸する様は女性的で美しい。しかし、剣を握り、弓良へと切りかかろうとするその姿は、男性的な雄々しさが在った。

「はぁ!」

叫び、剣を弓良へと向けて振るう。
その速度は、弓良のそれよりも遅いのだから、容易く良ければ済むこと。そう思って足を動かそうとすれば、ガクリと、身体のバランスが崩れた。
足に何かが絡みつく、身動きが取れないまま、弓良は刃を拳で殴って払う。
拳が真っ赤な血で染まるのも意に介さぬ様子の弓良は、足元に炎を放ち、彼の動きを妨げた何かを焼き払う。
弓良の動きを封じていたのは、何匹かの白蛇だった。
身体をじたじたと動かして焼かれていくそれは、蛇養が放ったもので間違いないだろう。
彼女が第二撃を放つその寸前、弓良は再び、青い炎を彼女に向けて放った。
蛇養がその炎を寸前のところでまた避ける。そして、その視界の先には、白い髪の少年が駆ける様が、映り込んだ。
その視線の先に誰が居るかなんて、もう、言うまでもないだろう。

「待っ……!」

蛇養はすぐ、白鼬を追おうとする。
けれど、目の前を飛び交う青い炎が、蛇養の行く手を遮った。

「行かせはしないさ。」

そう言って、弓良は、紅い瞳で蛇養を睨む。
すぐにでも駆け付けたいのに、彼はそれを許さないだろう。今、彼に背中を見せれば、この身体は、真っ赤に染まって動けなくなることは明白であった。

「くっ……黒耀!兎月!」

蛇養が叫ぶ。
しかし、彼女が叫んだところで、白鼬の刃は、駆ける足は、止まることはない。
地面を蹴って、刃が、振るわれる。
その時。

「…………え?」

白鼬は、驚愕の声を、無意識に零す。
彼と、黒耀、二人の間を阻むように、盾のような、壁のような、そんな何かが現れ、それが、白鼬の刃を受け止めたのだ。
盾のようなそれはよく見れば、真っ黒な甲羅で、その甲羅から、にゅるりと黒い蛇が飛び出せば、尖った牙を、白鼬に向けて突き出す。

「うあっ」

思わず驚きの声をあげた白鼬は、数歩下がって、黒耀から距離を置いた。

「……びっくりしたぁ。」

白鼬はそう言って、おどけたように笑う。
驚いたのは、別に、蛇のことではない。
否、確かにそれにも驚きはしたけれども、白鼬が驚いた真の理由は、もう一つ、別にあったのだ。
泣きそうな顔で白鼬を睨む黒耀に対して、白鼬の笑顔は、崩れない。

「君、もう、既に、精霊と同化してたんだね。」

 


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