契約の紡


本編



幸せだった。
だった。そう、それはあくまで過去の話でしかない。
身動きの取れないこの場所で、人のいなくなったこの場所で、一本の枯れかけた桜の木は、静かに佇んでいた。
今年はついに、花を咲かすことすらもかなわなかった。枯れ果てるのは、最早時間の問題だろう。
かつて聞こえた、人々の、自分に感謝する声も、崇める声も、それとはまた無関係に聞こえた、彼等の活気に満ち溢れた声は、もう、聞こえない。聞こえることはない。

(誰か。)

そう思っても、この声が届くことはない。たった一人、否、たった一本、悲しく、取り残されて、忘れ去られたまま、枯れ果ててしまうのだろう。

「ねぇ、君、一人なの?」

声が聞こえたのは、そんな、死という絶望をただただ待っているだけであった時のことだった。
そこには、白髪の少年が立っている。
腰下まで伸びた真っ白な髪を揺らしながら、真っ赤な瞳で見上げているその少年は、少なくとも、この木が見知った存在ではない。
遠くの地からわざわざ足を運んで来たのだろうか。そんなことを思いながら、木は、目の前の少年を静かに見ていた。

「枯れかけなんだね。かわいそうに。」

そう言って、少年は、木に触れる。
その手から伝わって来るのは、とても、冷たく、暗い、どろりとした、気持ち悪くも心地良い何か。
少年の白い手が何かを掴むと、木の中から、ずるりと引き寄せられる。
木の中から出て来たのは、少年と同じくらいの背丈をした、幼い顔の少年だった。
真っ白な手が、木から姿を現した少年の、桃色の髪を優しく撫でる。

「僕、白鼬っていうんだ。ねぇ、君も、僕と来ない?」

そう言って、白鼬は微笑む。
これが、白鼬と朔良の、出会いだった。


第四十三結 : 桜咲き、朔良舞い 其の四


炎が燃え尽き、辺り一面を見回すが、朔良の亡骸は何処にもなかった。
恐らく、炎で全て焼かれてしまったのだろう。一面焼け野原になってしまったのを眺めて、桜楽は溜息を吐く。

「すまぬ。」
「……どうして、桜楽が謝るの?」

桜楽の謝罪に水流が首をかしげると、桜楽は首を持ち上げて、真っ黒に煤焼けた木々を見た。

「妖を一気に葬る為とはいえ、季風地の一部を焼いてしまったのだ。この地を護るためとはいえ、傷つけてしまい、これでは元も子もないと思ってな。」
「……植物は、また、生えて来るわ。」
「しかし、それは、決して同じではない。」

水流は、どういうことだと言いたげな目で桜楽を見る。
確かに、今、此処は焼け野原となってしまった。
けれど長い時を費やせば、木々はまた生い茂り、緑を取り戻すことが出来るだろう。
そうすれば全て元通りになる。
けれど、それはあくまで、人間の視点での話だ。
人は、人が死んだときに、また生まれるのだから良いと片付けるだろうか。
答えは否だ。
同じ人間なんて二度と生まれて来ない。故に、人は人を殺めることを許さないし、人の死を悲しむ。
では、木にとっては、どうだろうか。
朔良は元は、一本の木であった。村の人たちにとっては、集落の人たちにとっては、ただの少し有難い木でしかなかっただろう。
けれど、あれは間違いなく、「朔良」という、個の存在だった。

「……桜楽。」
「悔いている暇はないな。わかっている。すぐに、北へ向かおう。」
「ええ。でも、一つ、聞いてもいいかしら?」
「何だ?」
「貴女のその身体……」

そう言って、水流は少し、言葉を濁す。
桜楽の人為らざる姿。それに、少なからず疑問を持っていたのだろう。
何ともないと言いたいところであるが、先程のやり取りで、これが奥の手であることや、極力使いたくない手であったことは、既に彼女も承知している。
そうなれば、もう話すしかないだろう。

「精霊との同化だ。妾は、南の地で代々村長に伝わる精霊、朱雀と契約を交わしていたが、その精霊と、同化をした。」
「精霊と同化なんて……」
「出来る。といっても、出来ると確認されているのは、東西南北の村長が持つ、代々伝わる精霊たちのみだがな。同化をすることで、精霊を介するよりも圧倒的に強い威力で、膨大な力を振るうことが出来る。」
「けれど、当然、リスクはあるのよね?」

水流の問いかけに、桜楽は小さく頷く。

「精霊ど同化すれば、肉体を持ったままではあるけれども、妾は精霊と同等の存在となる。……そこまで言えば、わかるな?」
「同化は、一度すれば、もう解けない……のよね?」
「そういうことだ。」

もう人間には戻れない。
精霊と同等の存在になるということは、寿命も、精霊と同じになるということだろう。
不老不死に近い存在。そう言ってしまえば聞こえはいいが、永い時を生きる精霊として生まれた存在ならばともかく、人間として生まれた桜楽が、精霊としての時を生きるということがどれだけ苦痛を伴うか。
それは恐らく、彼女自身すら、まだわからないだろう。

「しかし、本来、迷っている暇はなかったのだ。……朔良の言う通りだ。妾は、彼を侮辱してしまっていたのだろうな。」
「桜楽……」
「今後のことは、これから考えればよい。しかし、その今後を護るためにも、今は、北へ急がねば。」

桜楽はそう言って、両腕の翼を羽ばたかせる。
ふわりと空へ浮かぶ彼女を見つめていると、朱鷺が、その手を水流の肩へと置いた。

「朱鷺。」
「水流、迷っている暇はない。今は、向かおう。」
「……そうね。わかった。」

朱鷺が差し伸べたその手の上に、水流はそっと、己のそれを重ねた。

 


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