契約の紡


本編



先代の行いは、決して許されることではない。
確かにこの村は、安定した村だ。村長は適切な判断力が求められ、そして、村人たちを、常にあるべき方向へと導いて来た。
実際それで成功していたし、成功していたからこそ、村人たちは皆、村長の言葉に付き従った。
けれど、それだけでは駄目なのだ。
村人と共に、思考を巡らせながら、弱者を切り捨てるだけでなく、極力全員を救うような、そんな方法を、みんなで考えていかなかったからこそ、東の村からは、悲しい鬼子たちが生まれていった。
こんなことは、もう終わりにしなければ。

「ぐっ……あ、……?」

川に流されるままだった身体が、ふわりと、僅かに浮かぶ。
それは、見えない何かに抱えられているようにすら思えた。
何故かはわからない。けれど、それ故に身動きがとりやすくなった今が、宋芭にとっては好機でもあった。
震える手で、傷口に手を伸ばして、指をぐりぐりと押し付ける。激しい痛みを覚えながらも、指にねっとりとこびり付いた血をその目で確認して、宋芭は白い札に血の文字を刻んだ。
周囲が碧い光に包まれるなか、誰かの声が聞こえたような気がした。
誰の声かはわからないけれど、その声は確かに、

『頼む。』

と、そう、言ったのだった。


第三十四結 : 泣き虫鬼と滝の精霊 其の三


川の水というものは、とても冷たい。
水を吸った着物は全身を縛る鎖のように重くて、体温を奪う水の中では、無暗に足掻けば足掻くほど、体力を消耗し、限界というものが近付いていた。
このまま自分は溺れ死んでしまうのだろうか。
宋芭はどうなっただろうか。大丈夫だろうか、せめてあの人だけでも、護りたかった、そんなことを思いながら、珊瑚の意識は、次第に薄くなっていく。
その時、視界の奥で、何か、眩い光が放たれた。何の光だろうと薄れゆく意識の中でぼんやりと思っていると、光の次に押し寄せたのは、勢いのある水の塊。
水の塊がこちらへ押し寄せているように見えたが、違う。水の塊が迫れば迫る程、あの碧い光は強さを増している。つまり、この水の塊の正体は、光によって押し出された、川の水だったのだ。

「ぷはっ……?!」

水の塊が迫り、ぶつかって来たかと思うと、珊瑚の身体はその水の中からはじき出された。
身を投げ出されるような形になった珊瑚は、少し情けない体勢でべしゃりと地面に転がる。
全身を地面にぶつけた痛みで少し涙目になりながら身体を起こすと、碧い光の中心には、珊瑚がよく知る人物が立っていた。

「宋芭、さま……?」

それは間違いなく、宋芭であった
しかし、その姿は、宋芭であって、宋芭ではない。
額からは書物でよく見る龍のような角が伸び、頬には、薄っすらと鱗が浮かび上がっている。両腕ははっきりと鱗が浮かび上がっていて、爪は鋭く、長く、大きく尖っている。これもまた、書物で見る龍の腕に、よく似ていた。
少なくともこの容姿は、人間のそれとは、違う。

「珊瑚!頭を下げろ!」
「え……」

宋芭の叫ぶ声に従い、反射的に珊瑚は頭を下げる。
先程まで珊瑚の頭があった位置に宋芭が腕を伸ばすと、その腕は、宇姫が振り下ろした大太刀を受け止めた。
ギリギリと軋む音を立てる刃を受け止めるその腕は、人間の腕なんかと比べると圧倒的に硬いもので、まるで鋼のような硬さだ。
宋芭が勢いよく腕を振り上げると、力負けした宇姫の身体が刃と共にふわりと浮かぶ。それを見逃さなかった宋芭は、勢いよく宇姫の身体を蹴り飛ばした。
真っ直ぐ飛んだ宇姫の身体を、溺が受け止め、二人で転がるように地面へ倒れる。

「大丈夫か?」
「はい。宋芭さま、その姿は……?」
「説明は後だ。今は、あの二人をなんとかするぞ。」

珊瑚を助け起こした宋芭は、じっと二人の姿を見据える。
宇姫は目に滲む涙を袖で拭いながら、きっと鋭い瞳でこちらを睨んだ。

「やられたよ。精霊との同化なんて、普通の人間じゃあ考えられないことするなんて。しかも、君の精霊も、水の恩恵を受けるタイプのものだったんだね。」
「東の村長は、代々青龍と契約を交わす。青龍は水の精霊。例えお前たちが水を操ることを得意とする種族だったとしても、青龍の力の前には、全て無意味だ。」

周辺の水は全て、宋芭の力によって押し流されていた。
川の水がなくなったこの空間では、地の利は逆転している。宇姫や溺にとっては、圧倒的に不利な状況となっているだろう。
それでも、宇姫は動揺の色を浮かべることなく、淡々と、涙を流しながら睨むといういつもの表情で、大太刀を構えた。
水を使うことを諦めた溺も、やれやれと溜息を吐きながら、両脇に下げた二本の短刀を抜く。

「珊瑚、まだいけるな?」
「勿論、いけますよ。」

珊瑚はにぃっと口角を上げて、刀を抜く。宋芭と珊瑚は、同時に、駆け出した。
宇姫の振るった大太刀は宋芭がその腕で受け止め、溺が降った二本の刃は、珊瑚が刀で受け止める。
宋芭は、右腕で受け止めていた刃を左手で握りつぶす。
刃の折れる音を聞きながら、右の拳に力を込めて、宇姫の白い頬に拳をぶつけると、ミシリと何かが軋む音をさせて、細い身体は呆気なく飛んだ。
宇姫は歯を食いしばりながら地面に着地し、刃が折れているのも関わらず宋芭への攻撃を続ける。
鋼と同じか、それ以上に硬い鱗で覆われた腕に何度刃をぶつけたところで、傷が出来るどころか、刀が刃こぼれし、ヒビ割れて、どんどんボロボロになっていく。
この様を見れば、刀の付喪神はきっとなんてことをと嘆くことだろう。
彼の太刀筋は滅茶苦茶で、まるで、子どもが駄々をこねて暴れているような、そんなようにしか見えない。

「死ね!死ね!死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死んじゃえ死んじゃえ死んじゃえ死んじゃえみんな死んでしまえばいいんだ!」

宇姫はそう叫び、斬る役目をもう殆ど喪った刃を、ガンガンと何度も宋芭の腕に叩きつける。
鱗で覆われた腕が痛むことは、なかった。
けれど、どうしようもなく、締め付けられるように、胸が痛んだ。心が痛んだ。
彼のような、悲しく哀れで孤独な妖を生み出したには、他でもない、自分たちだ。村全体で、村人たち全員で、彼のような存在を生み出してしまった。
何も感じない訳ではない。
寧ろ、罪悪感に近い想いでいっぱいだ。ズキズキと胸が痛んで、彼を始末しなくて済む方法はないかと、考えてしまう。
けれど、彼を生かしたとしても、きっと、彼は人間を殺して、人間を恨んで、生き続けることになるだろう。
彼が恨みを、憎しみを忘れることはないし、それをなくすこともないし、吹っ切ることもない。
きっと、死ぬまで彼は、恨み続けるだろう。

「残念だが、私は、死ぬわけにはいかない。」

そう言って、宋芭は宇姫の刀を握り締める。
じっと彼の目を見据えれば、涙を浮かべるその目は、びくりと、僅かに震えた。
怯える瞳。幼い子どもの瞳。いつまでも子どものままの瞳。大人になれない瞳。世界に取り残された瞳。

「僕だって、死ぬわけには、いかない。敵を討たないといけないんだ。掛気さんの。掛気さんの敵を討つんだ。掛気さんだって、掛気さんだってきっとそれを望んでいる!」
「……残念だが、その掛気という精霊は、それを望んではいないだろう。」

宋芭はそう呟くと、手に、力を籠める。
パキパキと音を立てて、鋭利な爪に集められた水蒸気が凍り付き、氷の爪を創り上げる。その刃は鋭利に尖っていて、通常の爪よりも、殺傷能力が高いというのは明白だった。

「お前に、お前の掛気さんの何がわかる!何も知らないくせに!わからないくせに!偉そうなことを口にするな!」
「わかるさ。」

聞こえたから。
川に流される身体を支えてくれたのは。頼むと、呟いたのは。きっと、彼だったと思うから。

「だから、お前を、送ってやる。」

そう言って、宋芭は、その爪で宇姫の胸を貫いた。

 


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