契約の紡


本編



「愁礼……?」

久々宮が、問いかける。
愁礼の隣に居るそれは、間違いなく、白虎の精霊だろう。
虎の姿をしたその精霊は、グルグルと唸り声を上げて、全身の毛を逆立てて、金色の瞳を寿々波に向けている。
愁礼は、久々宮に向けて、いつものように、優しく笑った。

「久々宮。俺たちで止めよう。あの子は、本当は優しい子だ。それは、お前だって知っているだろう?」
「……うん。」

久々宮は小さく頷く。
そんな久々宮の頭を、愁礼は優しくくしゃくしゃに撫でる。
その撫で方は、かつて敬愛した主と、そっくりであった。

「俺たちの手で、等々力さんのところへ、あの子を返してやろう。」

愁礼はそう言うと、真っ白な札を取り出し、腰に下げた己の短刀を抜くと、その刃で、自分の指をぷつりと軽く切った。
真っ赤な血で、札に文字を刻んでいく。
そんな最中、寿々波は、愁礼の行動を待つこともなく、剣を振り、攻撃をして来た。

「久々宮!終わるまで持ちこたえてくれ!」
「了解!」

愁礼の声と共に、久々宮はその刃を受け止める。
金属音を奏でながら、寿々波の深海のような瞳を見つめながら、その刃を受け止め、交わし、愁礼へ攻撃が行かぬよう、時間を稼ぐ。
愁礼が何をしようとしているのか、久々宮にはわからない。
彼は、例えバケモノになってでも、寿々波を止めると言っていた。
それでも、久々宮は信じた。
今の主を。寿々波を止めるために札を取った今の主を。

「久々宮。もういいぞ。」

その言葉を合図に、久々宮は刀で寿々波を振り払う。
寿々波は数歩下がって距離を置くと、久々宮と愁礼を見据えた。
愁礼は血文字が刻まれた二枚の札を、己の額と、白虎の額に貼りつけている。
アレは簡易的な、精霊との契約の儀だ。
しかも、ただの契約の儀ではない。
自分でさえ、主と結ぶことのなかった、殆どの精霊が主と結ぶことはない、特別な儀。

「行くぞ。」

愁礼はそう言って、パン、と乾いた音を立てて手と手を合わせる。
その瞬間、彼と白虎を包むように、周囲は白い輝きを放った。


第二十九結 : 寿々波と久々宮 其の二


光が収まった時、そこに、白虎の姿はなかった。
そして、愁礼の身体に、異変が起きていたのだ。
両頬には黒い二本の線が刻まれ、獣の耳のように生えていた頭部の癖っ毛は、本物の獣のそれに代わっていた。
彼の臀部からは、太い、白と黒の模様が施された動物の尾が生えている。
両腕、両足は、人間の手足ではなく、毛深く、鋭い爪を持った、獣のそれになっていた。

「……愁礼?」
「精霊との同化。」

寿々波が、小さく呟く。
その声に、思わず久々宮は視線を寿々波へと向けた。

「契りを交わした精霊と、一つになる、同化の儀。愚かだよ、愁礼。そんなことをしてしまっては、君もまた、精霊と同等の存在。人為らざる者になる。人の環からは切り離され、もう二度と、人間に戻ることは出来ない。」
「……それ、って……」
「そう。俺は肉体を持つ精霊になった。人間としての時間ではなく、精霊としての時間を生きることになる。……この地から、魂の源である自然エネルギーがなくなるまで、俺は死ぬこともないだろう。」

全てはお前を止める為だ。
愁礼はそう呟くと、身体を屈め、その四本の脚で、駆けた。
一瞬で視界から姿を消し、寿々波が目を見開いたその瞬間、寿々波の身体は、勢いよく、吹き飛ばされた。
身体が地面に叩きつけられ、何が起きたのだろうかと目を丸くしていると、頬に、じんじんと響くような痛みがする感覚がして、頬に手を当てる。
頬が熱を持っていて、今、殴られたのだということをようやく認識出来た。
そして、寿々波がさっきまで立っていた場所には、愁礼が立っている。
精霊と同化したから、身体能力が向上したのだろう。
ふらふらと身体を起こしながら、寿々波は、身体から無数の刀を吐き出す。
どれが本体か、もうわからない。全て本体かもしれないし、結局本体は一つなのかもしれない、数えることを止めた無数の刃。
いま、破壊されるわけにはいかない。
全てを壊すために。全てを壊さなければ。壊さなければ、あの人への弔いは果たせない。
そして、今の主の願いも果たせない。

「俺は全部破壊するよ。今の主は、そう願っている。」
「俺は全部護る。今の主も、そして、前の主も、きっとそれを願っている。」
「久々宮。俺たちは何処までも相性が悪いね。」
「寿々波。俺たちは正反対だ。けれど、元々は、同じ志を持っていたはずだよ。」
「何処で違ってしまったのかな。」
「きっと、あの日の夜かな。」
「もう、戻れないね。」
「もう、戻れないよ。」

寿々波と久々宮は、向かい合って、淡々と会話をする。
この会話に何か意味があるかといえば、きっと、ないのだろう。
会話をしたところで仲直りなんて夢のまた夢だし、昔、笑い合っていた懐かしい日々に戻れるという訳でもない。
けれど、話をしたかった。
ずっとずっと、話をしたかった。
寿々波が、刃を放つ。素早い動きで、ひらりひらりと身軽に動きを交わす、柳の木のようなしなやかな動きで。
久々宮が背中を狙えば背中から刃が生えた。腕に切り傷を受けながらその刀を折ったけれど、彼はピンピンしていた。これは本体ではなかった。
愁礼が左腕を狙えば、左腕からまた、数本の刃が生えた。腕に数本刺さったまま、叩き折ったけれど、彼はピンピンしていた。これらも本体ではなかった。
寿々波が刀を振り下ろす。久々宮の刀を折るその直前、愁礼の、毛深い白虎の腕がそれを阻んだ。腕が硬くて、刀が折れた。けれども寿々波は死ななかった。
折れた刀を棄てて、また、腕から刀を取り出した。次は愁礼の胴体を狙った。けれども、その寸前、久々宮が刀を振り下ろし、また刀が折れた。けれども寿々波は死ななかった。
何度も何度何度も何度もこの繰り返しで、久々宮の身体が傷つき、愁礼の身体が傷つき、寿々波の刀が何本も折れ、時間だけが、過ぎていった。
次第に、息が荒くなる。
息を荒げていると、視界に、黒く、どろどろとした塊のようなものが、映り込んだ。
妖だった。

「……あ……」

久々宮は思わず、声を漏らす。
その妖は、動物の形をしたものや、人間のような形をしたものまでさまざまであるが、全て共通し、色がどす黒く変色いて骨が身体のあちこちから突き出して変形していて、すぐに、動物の死骸や人間の死体に憑りついた、低級のそれだということがわかるものであった。
けれども、いかんせん、数が多い。
寿々波とのやりとりで、体力を消耗している久々宮たちにとって、この増援は、絶望以外の何物でもなかった。
彼等を相手にし、しかも寿々波も相手にするなんて、とてもではないけれど、無理だ。
絶望の表情をしながらその黒い集団を見ていると、寿々波が、ぽつりと、呟いた。

「……嫌だ。」

嫌だ。
寿々波は、そう言った。
駄々をこねる子どものように、幼い子どものように、藍色の瞳に、黒い集団を映しながら、寿々波はそう呟いた。

「違う。」

そして、次に、呟いた。
違う。と。
彼が何を言いたいのか、よく、わからなかった。
けれど、その言葉の意味を考えさせる間も与えず、彼は、その答えを次に口にした。

「俺がしたかったのは、こんなことじゃ、ない。」

妖の集団を見ながら、寿々波は、はっきりと、そう呟いたのだ。
瞳から雫を溢れさせて、呟くそれは、間違いなく、あの時の、あの頃の寿々波だった。

「俺は、とど、ろきさん……に、かえって、き、て、ほしかっ……た、だけ……」

嗚咽を漏らして、ひっくひっくとしゃくりあげながら、彼は呟く。
パキパキパキと、音を立てて何かがひび割れる音がした。
それは、寿々波の握っている刀。腕から生えている刀。足から生えている刀。背中から、胸から、肩から生えている刀。
彼が妖となってから取り込んだ、多くの刀たちだった。

「嫌だ。」

寿々波は呟く。
寿々波は、主を求めていた。かつての主を、喪った主を求めて、季風地の各地を彷徨った。
彼は死んでいない。きっと何処かで生きている。だから自分が見つけるんだと、身体に血を浴びながら、ただひたすら、彼を探して歩いていた。
けれど。
次第にわからなくなった。誰を探しているのか。何を求めているのか。
ただ、主を求めているだけだったのか。
そして思った。
何故あの人は俺を棄てたのかと。
棄てた訳ではない。頭ではわかっているのに、自分は主に棄てられたと、そう認識するようになった。
そして、新たな主を探し始めた。
どんな手を使ってでも、主を得る。そして、主を得て、刀として、また、可愛がってもらいたい。
愛してもらいたい。
その一心で。
けれど、また、わからなくなった。
ただ主が欲しいだけだったのか。主であれば誰でも良かったのか。
一人が寂しかった。傍に置いてほしかった。その時、自分は、目の前に現れたあの人の、白鼬の手を、取ったのだ。

「違う。」

白鼬は、傍に置いた自分に、笑いかけてくれていた。
彼はきっと、自分の仲間には、とても親切な妖だったのだろうと思う。だって、他の人たちには確かに殺人鬼だったのかもしれないけれど、自分たちには、とても優しくしてくれたから。
西の村で一度、破壊されそうになった時だって、助けに来てくれた程。
だから、彼の期待に応えたかった。
季風地の全土を血で満たす。血に飢えていた彼の望むことならば、それは叶えなければならない。
喜んで刀を振った。人を殺した。
西には自分が行くと、名乗り出た。これで敵が討てるねと、白鼬は笑った。自分もそうだね、と、頷いた。
そして思った。あれ、敵って。誰のだっけ。

「壊さないで。」

敵って。誰の。そう。前の主。前の主は、殺された。誰に。西の地に。違う。自分が殺した、集落の人間たちに。
もっと早く助けられれば。憎い。西の地が憎い。あの人を見捨てた西の地が、あの人を殺した西の地が。
だから全部壊す。あの人を助けられなかったこの地を、全て、真っ赤な血で染め上げて、そして、今の主に褒めてもらう。
それが目的。
本当に?
違う。
寿々波は、ぐるぐると頭の中で巡る、全ての記憶、様々な記憶を、まるで、走馬灯でも見ているかのように巡らせながら、一つの結論に、辿り着いた。
そして、その時。

『寿々波。』

ずっと忘れていた、記憶の断片しかなかった、愛していた主の顔を思い出した。
真っ赤な髪に、菫色の澄んだ優しい瞳。

「あの人の、等々力さんの愛した西の地を!壊さないで!」

それは、妖・寿々波としてではなく、精霊・寿々波としての、叫びだった。

 


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