(下)



 九番隊の隊舎自体は、短くない死神生活で何度か足を踏み入れたことがあったが、隊長格用の会議室に通されたのは初めてのことだった。本来ならば自分ごときが入れる筈もないその八畳間は、七番隊にあるそれと同じ間取りである筈なのに全てが違って見える。

 それもそうだ。ご丁寧に下座に正座する九番隊の東仙隊長は柔らかく微笑んで私達を迎えてくれたし、そのさらに下手、出入り口のすぐそばで居住まいを正す檜佐木副隊長は、もうなんだか、嘘みたいに光り輝いていたのだから。

「わざわざ来てもらってすまないね、狛村」
「構わぬ、たまに部下を連れて散歩するのも悪くない」

 私を抜かした四人は適当に挨拶を交わし、自然とそれぞれの席につく。私は射場副隊長の斜め後ろに静かに立って壁と同化することに努めたが、九番隊の男性隊員――恐らく私と同様に書記として呼ばれているのだろう――が畳に膝をつけるのを見て、同じく正座する。

 真面目な顔をして真面目な話をする狛村隊長と東仙隊長。口を真一文字にしめて、隊長たちの発言に時折大きく頷く射場副隊長。そして、背筋を定規で引いたようにまっすぐ伸ばし、軽く握った手を太ももの上に乗せた檜佐木副隊長。彼は平素通り眉間にぐっと力を入れて、渡された書類に目を落としていた。小さな動向が忙しなく動き、ふとした瞬間、切長の涼しい目に掛かる前髪が揺れる。

 その姿のなんと美しいことか。
 
 正直な事を言うと、お金を払いたかった。お金を払って写真を撮って四六時中眺めていたかった。同じ室内で同じ空気を吸っていることすらも奇跡のようで、早くも痺れ始めている両足すらも気にならないほど、私は舞い上がっていた。

 けれど余り見つめ過ぎると気持ち悪がられるだろうし、万が一にも目があってしまったら正気を失うだろうし、射場副隊長に似て無礼な奴だとは思われたくない。ので、にやける口元をどうにか隠すため、私は頬の内側の肉を血が出るほどに噛み締める他なかった。

 会議がひと段落して各々が談笑を始める頃、九番隊の隊員がすっかり冷えた茶を淹れ直してくれた。東仙隊長はその平隊員にもきちんと顔を向けて礼を言う。当然、檜佐木副隊長も同様である。生まれ変わったら、檜佐木副隊長のの骨っぽい手に包まれた湯呑みになりたい。

「そういえば射場さん、この間の飲み会は結局何時まで続いてたんですか?」
「ほうじゃのう、檜佐木が帰ってから三時間くらいか」
「え、じゃあ朝方まで?」
「儂と一角だけじゃがな」
「……鉄座衛門、酒には飲んでも飲まれるでないぞ」
「ほんに、気をつけます」
「ところで、奥にいる彼女は初めてだね」

 隊長格同士の雑談に夢心地ですっかり気を抜いていた矢先、東仙隊長がふいにこちらに視線を送った。それに釣られてその場にいる皆が私を見遣る。固まってしまった私に代わり狛村隊長が「鉄座衛門の推薦でな」と紹介をしてくれたが、頭を畳に擦りつけることで精一杯だった。

 どうしよう。檜佐木副隊長の記憶に残ったらどうしよう。私、認知されたくないんです。無記名でファンレターを出す慎み深い女なんです。

 そっと顔を上げれば、東仙隊長と目が合ったような感覚がする。

「何かいい事があったのかな。嬉しそうだね」
「へえ、こいつ檜佐木に言いたい事があるようで」

 その発言に「え」と声を上げたのは、私と檜佐木副隊長である。

 射場さんはにんまりと笑って、私のみぞおちに肘を突き刺す。何なんだその微笑みは。感謝せぇよと言わんばかりのその微笑みは何なんだ。眼球が乾くほどに射場副隊長を睨みつけるが、彼はどこまでも私の乙女心を理解する気はないらしい。

 おずおずと檜佐木副隊長を見ると、彼は顔を顰めて怪訝そうな顔をしている。ほらみろ、そりゃそうだよ。だがしかし、きっとこれは私が檜佐木副隊長と言葉を交わせる最初で最後の機会だ。言いたいこと、聞きたいこと、伝えたいこと。思いが溢れて選べない。


「す、すき、」


 乾いた声帯、震える唇、涙目。
 永遠に続くかと思われるほどの沈黙を超えて、蚊の鳴くような声を絞り出す。 






「…………好きな食べ物はなんですか…………………」





 檜佐木副隊長は意味がわからない様子できょろきょろと視線を泳がせた後、「え、あぁ、ウインナー……かな………」と、呟いた。

 



    ******




「ウインナーですって、あの顔で!! ウインナーって、ソーセージじゃダメなんですかね? にしてもウインナーって………。尊い……射場さんなんて広島のお好み焼きなのに……」
「じゃかあしいわ、ほっとけ」

 射場副隊長と狛村隊長と三人で歩いて、七番隊隊舎まで戻る。狛村隊長は相変わらず何も言わず、鉄笠に隔たれた表情を伺うことも出来ない。けれど何となく、私たちの会話を楽しんでいるのではないだろうかという雰囲気で私たちの前を行く。

「いやぁ檜佐木副隊長、沼だなぁ。ありゃ彼女いるでしょうね」
「なんじゃ、ええんか」
「檜佐木副隊長の横にいるのは、超絶美人の完璧女性しかいないなって改めて思いました。推しの幸せが私の幸せっす! ただ、できるならば私は九番隊隊舎の壁になりたい」
「その、推し言うのと好いとる奴とは違うんか」
「違いますよー! ガチ恋も否定できないけど檜佐木副隊長は推し! 今日はうっかり無銭接触現場でしたけど、認知はされたくないんです。もう当分九番隊が関わる仕事に当てないでください。それ以外なら何でもやりますから」
「ワレの言う言葉はちいとも理解できん」
「私も射場さんの広島弁は何言ってるかわかりません」
「なんじゃ、ぶちまわしたろうか?」
「あっパワハラだ! 狛村隊長ーー!!!パワハラが横行してますよこの職場!!!!!!!」


 
 先を歩く狛村隊長は、鉄笠の中で低い笑声を漏らしていた。 






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