時計の針は愛を指す

 死んだと思われていた鳴戸が、生きていた。
 刑務所内で面会に来た下っ端に死んだと聞かされ、絶望のあまり睡眠を取ることも食事さえもままならなくなり、生きていることの意味すらも無くしかけていたあの絶望から何ヶ月経ったことだろう。
 鳴戸がいなくなり、そして出所して葬式に出席し涙を零して憂いたあの日。それから立派に自分の足で立つことを覚えひたすらがむしゃらに居なくなった鳴戸の背中を追いながら生きてきたが、やはり常に心の中に鳴戸が居て、龍宝に向かい手を振ってくる。
 鳴戸と所謂、そういう仲になって数年が過ぎた頃に組のため、刑務所入りした龍宝。鳴戸は毎日でも面会に行くと言ってくれたが、龍宝はそれを硬く拒んだ。
「面会には、絶対に来ないでください。……心が、緩みます。親分に逢うのは、出所してから」
 そう言って、一つ鳴戸の唇にキスを落とし手錠をかけられその場を去った。
 鳴戸はなにも言わなかった。ただただ、つらそうな顔をして見送られたのを覚えている。あれが、鳴戸の顔を見た最後になったと思っていたのが、実は生きていただなんて誰が信じられようか。
 だが、夢でも幻でもなく彼はドンファンとして龍宝の前に立った。
 散々殴られ痛めつけられたその結果、マスクを取って顔を晒した鳴戸はつらそうな表情をしており、淋し気な色を瞳に浮かべ龍宝を射抜いている。
 何故そんな顔をしているのか。それも気になったが、何よりも鳴戸が生きていることがとてつもなく嬉しく、涙を流した龍宝だったが鳴戸は急に表情を引き締め、こんな言葉を放って去って行った。
「俺のことは忘れろ」
 この一言に一体、どんな意味が隠されているのか、分からずただただ喜びと悲しみが入り交じり、心の中がはちきれんばかりに混乱したものだ。
 何故、どうして。
 そんな疑問ばかりが心を支配し、ひたすらにロケットマン・漢を探し出し、その後もいろいろ出来事はあったが、何とか問題が解決した後のことだった。
 シシリアン・マフィアの人間として日本を去ると聞いた時の夜は、なかなか眠れず考えることは鳴戸のことばかりで、やはり心の中には疑問しか残っていなかった。
 こんなことで無事に別れることができるのだろうか。
 自信がない。
 人目もはばからず、縋って泣くじゃくってしまいそうだ。行かないでくれと、傍にいてくれと泣いて叫んで、暴れてしまいそうな自分がいる。
 もう一度でいいから、二人だけで逢いたい。
 それが今の龍宝の一番の望みだ。それ以上は何も言わないからただ、逢いたかった。逢って、抱きしめて欲しかった。忘れろだなんて言葉ではなく、もっと愛のある言葉が欲しい。折角生きていたのだから、抱いて抱き合っていた相手の龍宝にくらい優しい言葉をくれてもよかったのではないか。
 未だ刑務所へ入る前、抱き合ってその余韻を愉しんでいた時だった。龍宝は鳴戸の胸に寄り添うようにして凭れかかっており、温かな肌に触れその気持ちよさに酔い浸っているとふいに両頬を手で包み込まれ、優しげな笑みを浮かべた鳴戸が顔を近づけてきたのでそっと眼を閉じると唇に真綿の感触が拡がる。
 鳴戸のキスはいつも激しいので、あまりの優しいこのキスに戸惑っていると徐に顔が離れてゆき、至近距離でじっと見つめられ龍宝も見つめ返すとこんな言葉を口にした。
「……龍宝、愛してるぜ」
 龍宝は前から言い続けていた言葉だが、鳴戸からこうやって正面切って言われるのは初めてで、戸惑っているともう一度、今度は念を押すように愛してる、そう言ってくれたあの鳴戸は一体どこに行ってしまったのだろう。
 海外に出て、いい女にでも出会ったのだろうか。龍宝よりも、愛していると億面なく言えるようなそんな女と出会いを果たした、その可能性も捨てきれないが違和感が残る。
 何もかもが闇の中だ。当人の鳴戸に聞かない限り、謎は謎のまま彼は船でイタリアに帰ってしまう。それだけは避けたいが、それを阻止する術を残念ながら龍宝は持っていない。
 そんなもやもやした日々が続いていたある日のことだった。
 朝、起きた時から気分が悪くとても組事務所に顔を出すことはできないと、ベッドから起き出しそしてバスルームへと向かう。
 全裸になり、浴室へと入って熱いシャワーを頭から浴びて顔を湯で洗い流すと、どこかホッとした気分になる。暫く浴室に篭ってシャワーを楽しみ、身体から顔から火照るほどに湯を浴び終わって浴室から出る。
 バスタオルで身体を拭き上げ、そのタオルを下半身に巻き付けてバスルームを出ると、まずのどが渇いたので冷蔵庫を開け、ミネラルウォーターのペットボトルを開けて大きくのどを鳴らして飲み干すと、存外のどが渇いていたことに気づき500ミリリットルを一気飲みして水で濡れた口元を拭う。
 そろそろ組の方へ定期連絡しなければいけない時間だ。
 空になったペットボトルもそのままに、電話機を手に番号をプッシュし暫く待つと受話器越しに声が聞こえた。
「俺だ。なにか変わったことは無いか」
 すると、向こうの雰囲気が少し変わったことが受話器を通して分かった。
「なにかあったか」
「いえ……あの、シシリアン・マフィアのドンファンって野郎が二代目に用があるとか言って」
「なに! ドンファンだと!! それでどうした」
「二代目が組事務所に来てなかったら折り返し電話をかけろと電話番号をメモらされまして」
「言え! 何番だ? ちゃんとメモしておいただろうな!」
 どうやら電話に出たのは代貸らしく、龍宝もメモを用意して受話器から聞こえてくる番号を言われたまま書き綴り電話を切る。
 用があると言っていたが、一体何の用なのか。忘れろと言っておきながらのこの伝言に電話番号。
 龍宝は恐る恐る電話機を持って番号をプッシュする。その手は細かく震えており、何とも格好悪い。
 そして受話器に耳を当てると心臓の高鳴る音と共に暫く待ち合いの音が響き、後ぷつっと電話が繋がった音がした。
「お、おやぶん……?」
「龍宝、やっと出たな。……久しぶり、だな。元気にしてたか?」
 止まっていた時間が、動き出した瞬間だった。
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