さよならアリス

 どうしていいか分からず、思わず黙り込んでしまうとその代わりに涙が滲み出てくる。どうにも、病気の時は心が弱ってしまうらしい。
「これ以上、俺を惨めにさせないでください。早く、出て行ってください。俺はまた寝ます。安心してください、親分のことは一子分としてしか見ないつもりです。そう、努力をします。だから、もう……出てってっ……! どうか、早く」
「泣くなよ。超絶美人が台無しだぜ」
「未だそんなことを言ってるんですか、あなたは! 俺をばかにしてるんですか!」
 あんまりにも大声で怒鳴ったため、頭痛と眩暈が一気にやってきて一瞬意識が飛ぶ。身体が今どうなっているかも分からないまま倒れそうになるのを、鳴戸が正面切ってがっしりと抱き留めてくれる。
 思わずしがみつくと、鳴戸のにおいがふわっとかおり、またしても涙ぐんでしまう。懐かしくさえ感じるこの体温。そのまま抱きついていると、鳴戸からも強い抱擁が返ってきて久方ぶりの力強い腕の感触につい、感じ入ってしまう。
 もう二度と入ることのない腕の中に、入れてくれた事実に感激さえ覚える。
 暫くそうやって抱き合い続けていた二人だが、先に鳴戸が動きそっと離れて行ったと思ったら、優しい仕草でベッドへと沈ませてくれ、思わず上目遣いで鳴戸を見るとごそごそと鳴戸もベッドへと入り込んできて、いつもは絶対に背を向けてしかベッドの中に入ってくれなかった鳴戸が、龍宝の身体を抱えるように正面から抱いてくれ、緩く腕に囲われる。
「もう夜も遅ぇし、俺もここで寝てく。朝になったら帰るからよ」
「はい……。あの、粥ありがとうございました」
「ん、おう。いいからお前は寝ろ。今は寝るのが仕事みたいなもんだ」
「……優しいんですね。自分から捨てたくせに」
 その言葉を最後に、部屋は静寂に満たされそしていつしか二人分の寝息が部屋に静かに木霊するのだった。

 そして、朝。
 龍宝が目覚めた時にはもはや、鳴戸の姿はなくいつも通りの独りきりに戻っていたのだった。
 それにしても、身体が軽いと思う。昨日までの気怠さが嘘のようだ。熱も引いているようだし、なんだか腹が空いた気もする。
 それよりも、まずはシャワーを浴びたい。昨日は余裕がなくて気づかなかったが、何日も風呂に入っていなかったのでにおったのではないか。鳴戸は平気そうにしていたが、不快な思いをさせてしまっていたのだとしたら謝りたい。
 そう考えて、首を振る。
 どうせ昨日のこともただの気紛れで、切り捨てられるのがオチだ。鳴戸がそんなに薄情だとは思わないが、そう考えることにしてバスルームへと向かう。
 久しぶりに浴びる熱い湯は心地よく、髪が脂と汗で粘ついていたのでシャンプーでしっかり洗い、リンスでケアをしてしっかりとボディーソープで身体を擦る。
 そしてまた湯を心行くまでしっかりと浴びてから、徐に浴室から出てバスタオルで身体の水分を拭き取る。
 しかし、気持ちがいいものだ。
 すっかりと心も身体もリフレッシュした後は腹ごしらえだ。
 何気なく冷蔵庫を開けたところで、一瞬固まってしまう龍宝だ。というのも、冷蔵庫の中には大量のヨーグルトやプリン、ゼリーそれにジュースが詰まっていたのだ。因みに、ポカリも買い足されてあって、それらを眺めていると急に目頭が熱くなった。
 痛いまでの、鳴戸の優しさがこの冷蔵庫には詰まっている。それを目の当たりにして、つい涙腺が緩んでしまったらしい。
「親分、あなたって人は本当に……!」
 泣き出しそうになるのを堪え、机についてヨーグルトを口に運ぶ。僅かな甘味が染み渡るように美味い。そして、さらに粥もいくつか種類が買って置いてあり、鮭の粥をレンジで温めそれも食して最後にプリンを食べ、ポカリでのどを潤してごちそうさまだ。
 慈愛の詰まったものを食べた所為か、腹が心地よく満たされあまり量は食べられなかったものの、心の中はもはやいっぱいだ。鳴戸の気持ちで、腹いっぱいだ。
 その後、スーツに着替えた龍宝は久方ぶりに外に出て組事務所を目指す。鳴戸組は変わりないだろうか。
 車に乗り込み、変わらない道を走って事務所まで行き、適当に車を置いて事務所の玄関を開けた。
 すると、組員たちが口々に心配の言葉をかけてくれそれに返事をしていると、鳴戸が徐に玄関から入ってくる。
 早速礼を言うために、すぐさま傍へ行き頭を下げる。
「親分、おはようございます。あの、冷蔵庫の中の……」
「いいよ、気にすんな。そっか、元気になったか」
 さらさらと頭を撫でられ、思わず赤面してしまったところで組員の中の一人がさもおかしそうに二人を見て笑い始めた。
「まったく、親分の龍宝好きには呆れちまうぜ。知ってるか龍宝、お前が顔出さない間、親分ったらよお、毎日いろんなヤツに龍宝は未だかだとか来てねえかって、うるせえのなんの。こりゃあ完全にまいっちまってると俺は思ったね」
 そこまで話すと、他の組員たちも同じように笑い部屋が笑い声で包まれる中、一緒に笑っていた鳴戸の顔が急に無表情になり喋り過ぎた組員の顔を思い切り殴り倒してしまった。
 静まる室内。
「龍宝にそれは言うなと、俺は言ったな」
 その言葉を置いて、鳴戸は入ってきた玄関から出て行ってしまう。因みに、殴られた組員は失神した。
 すると、他の組員が呆れたように両手を上げ龍宝にこんなことを言ってきた。
「あーあ、怒らせちまって。それより龍宝さん、一体どうやって親分誑し込んだんです? あんな親分初めて見ますぜ」
 その言葉に、龍宝も鳴戸と同じくブチギレてしまい声をかけてきた組員を殴りつけ、失神させてから恫喝する。
「下世話な詮索するんじゃねえ!」
 事務所の扉に手を掛け、外に出ると鳴戸は扉の横で壁に凭れて立っており、龍宝と目線が交わるなり、優し気な表情に変わった。
「聞こえてたぜ、中。下世話な詮索……か。しかし、いい天気だな」
 鳴戸に言われ、空を見ると確かにきれいに晴れており、太陽が少しの雲の隙間から柔らかな光を発している。
「なあ、龍宝。俺たち、元に戻るか」
 龍宝はなにも聞かなかった。その言葉がなにを意味するのか、分かってしまったからだ。
 空を眺めながら、龍宝は静かに返事をする。
「はい……俺と親分の間には、なにも無かった。……そうですよね?」
「ああ、そうだ。なにも無かった」
 太陽の光は、相変わらず二人を柔らかな光で散らしながら照らし続けていた。
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