ずっとからっぽの魔法

 そういうことだったのかと、龍宝は目尻を湿らせ立ち上がる。
「ぐっすり、眠ってください。……おやすみなさい、親分……もう、邪魔はしません」
 声が震える。涙が零れそうだ。だが今、涙を流すことはできない。決して、鳴戸の前では。
 ぐすっと鼻を啜り、広間から出て階下へと行き靴を履いてその足で事務所内にいる下っ端に声をかけた。
「俺はもう帰る。親分が風邪を引くといけないから、毛布をかけてやってくれ」
「龍宝さん?」
 下っ端の呼びかけにも答えず、玄関扉を開けて外へ出る。太陽は高く昇っていて、龍宝は仰ぎ見て溢れてくる涙を拭い、歩き出す。徒歩で自宅へと向かおう。その間に、いろいろ頭の中で整理がしたかったのだ。
 鳴戸の気持ちが何故、移ろってしまったのか。知りたいが、知る術を龍宝は残念ながら持ち合わせてはいない。それが悔しく、そして悲しかった。
 頬を伝う涙もそのままに、道を歩く。
 そのうちに涙も枯れ、気分直しに本屋へと向かうことにした。気分の塞ぐ時は、読書に限る。こういう時、気を紛らわすことができる趣味があるのはありがたいことだ。
 散々回り道をして辿り着いた本屋でも、時間をかけてじっくりと店内を見て回る。だが、どうしても考えてしまうのは鳴戸のことばかりで、疑問が頭を擡げてくる。
 好かれていると思っていたのは、勘違いだったのか。そういう意味で愛してくれていると、何処かで勝手に思い込んでしまっていたのだろうか。
 だったら、何故急にあのような態度を取られてしまったのだろう。気に障ることをした覚えもない。
 また目頭が熱くなってくる。
 悲しみが心を支配し、今すぐにでも座り込んで大泣きしてしまいたい気分だ。こんな気持ちになったことのない龍宝にとって、それは屈辱でもあるが衝撃の方が勝る。
 愛情を持ってくれていると、思っていたのにそれは違っていた。鳴戸は結局、龍宝では幸せにできなかったのだろう。
 龍宝は幸せになれても、鳴戸にとって龍宝は鳴戸の幸せになれなかった。たった、それだけの話なのかもしれない。
 また、片想いへ逆戻りどころかもはや想うことさえ許されないところに来てしまった。これが、今の龍宝の立ち位置だ。
 虚しさが心いっぱいに拡がって、つい最近までの甘い時間が遠い日々のように感じる。大きく溜息を吐き、何とか数冊の本を選んで会計へ向かう。本の値段については一切、気にしない龍宝だ。今回の買い物も三万円越えだったが、気にせず金を支払い脇に挟んで本屋を後にする。
 いつもは本屋によると気分転換になったりもしたが、やはり今日は無理なようだ。当たり前の話だが、それでも縋りたかったというのはある。
 何にでもいいから頼って、鳴戸のことを忘れたかった。
 そして自宅へと向かう帰り道、目についたそば屋へ入った。腹を膨らませば少しは元気が出るだろうか。気を紛らわせる程度でもいい。
 店内は昼休憩時間を過ぎているからか、サラリーマンが数人いるくらいで席はほぼ空いており、適当な場所へと腰掛ける。
 すると割烹着を着た中年の女性がお冷とおしぼりを持ってやってきたので適当に「天ざるそば」とだけ言い伝えると女性は「少々お待ちくださいねー」と軽い返事をして厨房に引っ込んでゆく。
 その後ろ姿を眼で追い、徐にお冷を口に含む。
 心が渇いていると思う。からっからに干上がってしまって、心になにも響かない。世界がすべて灰色に見える。
 机の上に目をやると先ほど購入した本が目に入ったが、こんなところで読むつもりもないので悪戯に紙袋を指でかさかさと本の形に沿って動かす。
 そのうちにそばが運ばれてくるが、特に美味いとも不味いとも感じなかった。ただ、そばを食っているというだけで、それがどんな味で汁の味すらもよく分からない。天ぷらにも同じことが言える。食事とはこんなに味気なく、つまらないものだっただろうか。
 そこでふと、鳴戸と共に食事したことを思い出す。あまり食に興味がない龍宝だが、鳴戸と食べると何故かとても美味しく思えて、つい食べ過ぎてしまうこともあったくらい楽しい時間だった。
 けれど、彼はもう傍にはいない。
 味気ない食事を終え、会計を済ませて店を後にする。
 何をしていても、思考は鳴戸、鳴戸、そして鳴戸だ。たかが女一人抱いただけでも、これだけダメージを受けるのだ。浮気しただとかと言うつもりはない。正式に鳴戸のモノになったわけでも、鳴戸が龍宝のモノになったわけでもなく、言ってしまえば身体の関係を持っただけと言えば昨日、鳴戸と寝た女と同じ立ち位置になるわけで龍宝がどうこう言える立場にはいない。
 そのことが、とてつもなく悔しい。けれど、女になりたいわけでもなくつまりはそういうことなのだろう。
 自宅へと辿り着くと、襲ってきたのは激情だった。
 脇に挟んでいた本を床に叩きつけ、靴も脱がないまま床を拳で何度も殴る。
「なんでだよ!! なんで、親分……どうして、女なんか……」
  何故女など抱くのか。その言葉は口にしなかった。言ってしまったら、自分の感情に負けてしまいそうな気がしたのだ。
 鳴戸の代わりはどこにも居ないが、鳴戸にとって龍宝の代わりはたくさんいるということなのだ。流されて龍宝を抱いたが、やはり女の身体が恋しくなったのか。
 何故、どうしてという疑問がやたらと頭を擡げてくる。

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