Perfume of love

 事の始まりは、そろそろ春という季節も過ぎ去り、初夏に近い日差しが組事務所の二階に差し掛かるような、うららかな陽気が気持ちいい昼過ぎのことだった。
 その日、龍宝は趣味である読書に夢中になってしまい、眠ったのは明け方近い時間で先ほどまで眠っていたのだが、事務所に行けば鳴戸に逢えるという何とも現金な理由でさっさと身支度を済ませ、家を出て車を運転し事務所へ向かっている最中だ。
 鳴戸と所謂、そういう関係になってから世界がどこか違って見える。輝いて見えるのだ。殺伐とした世界に身を置くものとして、浮かれ過ぎているのは充分に分かっている。だが、鳴戸に名を呼ばれるだけでも心躍る。抱きしめられれば幸せな気分になれる。抱かれれば、満足もできる。何よりも鳴戸と交わす口づけが大好きだ。愛されていると、感じることができる。
 ずっと片想いで終わると思っていた恋心が、ようやく実を結んだのだと最近になって思うのだ。
 鳴戸も以前よりずっと、自分のことを見てくれるようになったし、ビリヤードなどの遊びにも頻繁に誘ってくれる。
 もちろん、その後は朝までホテルで甘い時間を過ごして帰るのが常だが。
 今日は鳴戸を誘い、ビールでも飲みながらもんじゃ焼きなど楽しんで、その後は景色のいいバーなどでゆっくり酒を飲み、ホテルで甘ったるく絡み合いながら朝までコースなんてのもなかなかいいんじゃないかと、こそりと笑みを浮かべる。鼻歌こそうたわないものの気分はまったくそのものだ。
 早く事務所へ行って顔が見たい。アクセルを強めに踏み込み、車を走らせる龍宝だった。
 未だ鳴戸がいるとは限らないのだが、事務所に着き車を降りるとまるで走るようにして玄関まで歩き、勢いよく扉を開ける。
 すると始まる挨拶の応酬。それらを適当に返し、早速鳴戸の行方を聞いてみる。
「親分は来てるか?」
「いえ、未だです。あれ? 龍宝さん、昨日は親分と一緒じゃなかったんですか」
「どういう意味だそれ。親分が昨日なんだって? 言ってみろよ」
 すると、如何にも失言したと言いたげな表情になった組員を問い詰めようとしたところで徐に玄関扉が開き、そこには明らかに昨夜飲んだといった感じの少しむくんだ顔をした鳴戸が寝ぼけ眼で立っており、ちらりと意味深に龍宝を見てすぐに視線を逸らし、組員と挨拶を交わしている。
 今の目配りはなんだ。
 その疑問は、すぐに解決することになる。
 というのも、龍宝のすぐ傍をさっと鳴戸が横切ったその途端、かおる香水のにおいに混じり微かに女のにおいがしたのだ。
 龍宝は絶句してなにも言えず、青ざめた顔で鳴戸を見ると鳴戸は薄く笑っていて、まったく悪気なくへらりとした顔で靴を脱ぎ始める。
「寝不足だから寝るわ。誰も起こすんじゃねえぞ」
 との言葉を残し、二階へと通づる階段を上り始めてしまう。
「ま、待ってください親分! なにか、俺に何か言うことがあるでしょう!?」
「あー? 無いな、無いない。じゃな、龍宝。いいから俺は眠てえんだよ」
「親分!」
 しかし、鳴戸は龍宝の呼びかけを無視し、二階へと上がってしまう。
 慌てて後を追い、広間への襖を開けると既に鳴戸は寝転がっていて、完全に寝るモードに入っている。
「……女を、抱いたんですか」
「ああ、抱いたね。いい女だったよ」
 ぎりっと龍宝は血が出るほど強く両の拳を握りしめ細かく震わせる。
「俺は……俺のことを少しは考えなかったんですか」 
「なんで女抱くのにお前のことを考えるんだよ。女を前にしたら女。男ってそういうもんだろ? お前も男なんだからさ」
「だからなんです! 俺は、あなたのことをずっと慕って」
「わーった。それはもう分かったから。いいから寝かせろって。なかなか離してもらえなくって、寝たの明け方だぜ?」
「そんな惚気が聞きたいんじゃない! 俺のことを思い出してはくれなかったんですか! 女抱いたって、俺はじゃあ一体、あなたの……あなたにとってなに」
「いいだろうが、この話はもう飽きた。それより寝かせてくれって。寝不足って言ってるだろ。お前も分からないヤツだな」
「……もういいです! いつまででも寝ててください!」
 しかし部屋からは出て行かなかった。そのまま広間の隅に正座して、気持ちを落ち着けようと深呼吸を繰り返す。
 鳴戸の気持ちが分からない。好いていてくれたのではなかったのか。言ってくれていたはずだ。龍宝のことを好きだと、確かに言ってくれた。なのに何故、女を抱いてその足で己の前に現れるのか。
 手が汗をかいて震えている。頭の中が混乱して、訳が分からないまま問いかけていた。
「親分……何故ですか。どうして、突然女なんか」
「未だ居たのか。寝かかってたのに。っつーか、お前は俺の女房か? いいから、お前も女抱いて来い。その方が、きっといい」
 妙に意味深な言葉の端だ。好きと言ってくれた口で、女を抱けという鳴戸。気持ちが伝わっていなかったのか。そんなはずはない。
 そこで、ふと思い出す深夜喫茶での言葉。戸惑っていると言ったあの時の鳴戸と、いま目の前にいる鳴戸とダブる。

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