獣の咆哮と鳥のはばたき

※『Hekiraku』らなさんへ捧げもの。
※シオンちゃん(お相手:ティナリ)が出てきます。


* * *


 青々とした樹々に覆われた、深いアビディアの森。本来であるならば静寂に包まれているはずの森の中に、凶暴化したマッシュロンたちのけたたましい鳴き声が響き渡った。優れた聴覚を持つ身としてはあまりにも不快だ。ティナリは小さく舌を打つと、大きな耳を伏せて敵を見据えた。
 水マッシュロンが放った水弾が着弾する前に、弓をつがえて狙いを定める。放たれた矢は草の元素力を帯び、水弾と相殺した直後に草原核を発生させた。時間をおいて草原核は破裂し、周辺にいるものを攻撃するのと同時に、その光は敵の目を欺く。
 ティナリは草原核の破裂に合わせて木の上へと飛びのき、眼下に視線を落とした。敵を見失ったマッシュロンたちは怒りの矛先を向ける先を探している。
 さて、これからどうするか。じっくり答えを導き出せたらいいのだが、動物も植物も関係なく生気を蝕まれるこの死域において、そう長く思考を巡らせる余裕はない。比較的規模の小さい死域ならば単身での駆除も大丈夫だと判断していたが、死域の腫瘍を破壊する直前に現れたマッシュロンの群れに手こずることになるとは。
 しかし、死域に迷い込んだ子どもを連れて、仲間たちを先に退避させたのは正解だった。神の目を持たない仲間たちを守りながら戦っていては、全滅していたかもしれない。

「っ、チッ! 面倒だな……」

 ティナリは再び舌を打ち、木の下を睨みつけた。ティナリの姿を見つけたマッシュロンたちが、木の幹に向かって体当たりを始めたのだ。もともと腐りかけていた木だ。このままではティナリが落ちるよりも早く、木のほうが倒れてしまう。
 無意識にふさふさの尻尾を撫でつける。心を落ち着かせて冷静にならなければ、突破口は見えてこない。
 しかし、重い振動が集中力を欠く。揺れる木から振り落とされないようしがみついているさまは、端から見ると滑稽なことだろう。この場に誰もいなくてよかった。レンジャー長の面目が潰れるところだった。
 ――そのとき、だった。

「……なんだ?」

 ティナリは大きな耳をピクリと震わせてその音を拾った。不快な音をかき消すように、高い笛の音が遠い空から響いた。
 音色を耳にした瞬間、それ以外の一切の音が聴覚から消える。それほどまでに、その音は澄んでいた。

「ティナリ!」

 続けざまに風が空から舞い降りる。片手剣に風を纏わせ、地に群がっていたマッシュロンを一掃した少女――シオンは風の翼を閉じて、まだしぶとく残っている残党を睨んだ。その背後に着地したティナリは、すぅっと大きく息を吸い込んだ。

「バカシオン! どうしてわざわざ戻ってきたのさ!」
「はぁっ!? 加勢に来たのにその言い草はないでしょ!?」

 子どもを連れて退避したはずのシオンが、どうしてこの場に戻ってきたのか。そのくらい、考えなくてもわかることだ。全てはティナリの身を案じたために。きっと、安全な場所まで逃げたあとはコレイに後のことを任せて、風の翼と風元素を駆使して飛んできてくれたに違いないのだ。
 それを素直に喜べないのは、ここが死に近い場所だから。むしろ、想いを寄せている相手が自分のせいで危険な目に遭うかもしれないというのに、平気でいろというほうが無理な話なのだ。
 自分自身に対する歯痒さが、苛立ちとなって言葉として吐き出される。それに対し、黙ったままでいる性格のシオンではない。他の隊員には聞かせられないような、稚拙な言葉の応酬が途切れることなく続く。
 そうこうしている間に、死域の空気が一層濃くなる。いつの間にか集まってきたマッシュロンの仲間に囲まれたふたりは、背中合わせになりそれぞれ武器を構える。
 ――しかし。

「ほら、言わんこっちゃない! 後先構わず帰ってくるな、バカ!」
「バカバカ言うな! このバカ!」

 応酬の合間に響いた舌打ちは、ふたり分だった。獣の血が入っているティナリは自分自身、荒っぽい面があることは自覚しているが、シオンの口から聞くことになろうとは。
 目が覚めるような翡翠色の髪と、あたたかくも強い意志を秘めた橙黄色の瞳は、雨林の中でパッと目を引き、そこに佇んでいるだけで絵になる美しさを持っている。だというのに、口を開いたらこうである。
 ティナリは口から重い息を吐き出した。

「女の子が舌打ちなんてするものじゃないよ」
「誰の癖が移ったと思ってるんだ。……ないとは思うけど、コレイの前でもやってないよね?」
「まさか。そんな教育上よくないことはしない。セノやカーヴェ、アルハイゼン以外だとシオンの前くらいだよ」
「そう。なら安心した」

 背中越しに小さく笑う気配が伝わってきたあと、シオンはこう言った。

「ねぇ、ティナリ。今ここには私たちしかいない。お上品に戦う必要はないよ?」
「……それもそうだね」

 チェスの一手を考えるように相手を理論的に追い詰めるのもいいが、本能に身を任せて戦うのも悪くないかもしれない。
 それに、背中を預ける相手がシオンならば。幼い頃から互いを知り、共に森を守っている仲間と一緒ならば。ありのままの自分を曝け出して、戦える。
 ティナリはその身に流れる獣の血を呼び覚ますように、牙をちらつかせながら口の端をつり上げた。

「さあ、一気に終わらせよう! シオン!」
「了解、レンジャー長!」

 一陣の風がティナリの横を吹き抜ける。片手剣を手にしてマッシュロンの群れに突っ込んでいくシオンを援護するために、ティナリは弓を引いた。
 背中を預けられる相手は眠っている本能を吹き飛ばしてしまうくらい、強く、頼もしい風だった。



1.フェネック(ふさふさ/舌を打つ/獣の血)
2024.04.03
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