しろい額、桜花一片


 また、この季節がやってきた。頭上が薄紅色に染まり、まるで絨毯のように一本の道が空にできあがる季節だ。
 風が枝を揺らせば五枚の花弁は散り散りになり、薄紅色の雨を地上に降らせる。その光景があまりにも美しくて、せつなは思わず足を止めて桜並木の中で佇んだ。
 すると、少し離れたところでもうひとりの足音が止まる。その足音はせつなの隣まで戻ってくると、再びピタリと止まった。

「せつな。どうしたんだい?」

 桜の雨の向こう側から、トーマが問う。この景色も同じだ、とせつなは目尻を下げた。

「大したことじゃないのだけど……また桜が舞い散る景色を見られたことが嬉しくて。わたしたちが学園に入学してから、もう一年が経つのね」
「そうだね。長かったような、あっという間だったような……なんだか不思議だな」

 今から一年前、この桜並木でトーマとせつなは出逢った。学園に通う綾華の護衛を共に務めるため、同じように学園に通うことになったふたりは、自分達の役目を念頭に置きながらも学園生活を謳歌していた。
 そうやって早くも一年が過ぎ、きっとまた次の一年も瞬く間に過ぎていくのだろうと、せつなは舞い落ちる桜に想いを重ねる。桜が花開くのも、学園生活間も、人生の尺の中ではほんの短い期間だ。だからこそ、一日一日を大切に過ごしていきたいと改めて思う。

「お嬢の高校生活はあと二年間ある。お嬢の護衛が最優先ではあるけれど、オレたちも残りの学園生活を楽しもう。ほら、お嬢のまわりにはもう、オレたち以外にもたくさんの友人がいてくれるんだから、学園外はともかく中でまで気を張る必要はないだろう」

 学園へと続く桜並木の美しさは去年となにも変わらないが、変わったこともある。それは、一年前この道を歩いていたのは三人だったが、綾華は今、たくさんの友人に囲まれているということ。
 トーマとせつなも綾華の友人のひとりだ。しかし、学園で知り合った同世代の友人は、綾華にとってせつなたちとは違う関係を築くことができる。護衛のふたりがくっついてばかりいては、それも叶わなくなってしまうかもしれない。だから、こうして一歩引いてから見守ることも、きっと大切なのだ。
 空と蛍と共に談笑しながら登校する綾華より数メートル後ろを歩きながら、せつなはあることに気がついた。この一年で朝の登校中に見かける顔はほとんど見知ったものになっていたが、ちらほらと見慣れない顔がいる。どこかあどけない顔立ちと、少し大きめの制服、そして馴染んでいない革靴に、低めの身長。まるで一年前のせつなたちの姿を思い起こすようだった。

「真新しい制服ね。新入生かしら?」
「そうみたいだね。オレたちも先輩ってわけだ」
「先輩……」

 無事に進級を果たしたせつなたちは、今日から二年生になる。学園に到着後、担任やクラス替えなどを通してそれを実感すると思っていたが、このような形で一足早く実感するとは。
 先輩。トーマが口にした単語を心の中で復唱し、せつなは覗き込むように若草色の瞳を見上げた。

「二年目もよろしくお願いします、ね? トーマ先輩」

 いつもと違って「先輩」呼びされたトーマはどんな反応をするのだろう。軽い好奇心から呼び方を変えてみた。ただそれだけだった。もしかしたら聞き流されるかもしれないと、その程度の戯れのつもりだった。
 それなのに、トーマは途端に歩みを止めてしまった。それだけに終わらず、肩にかけていた通学バッグが音を立てて地面に落ちて、桜の花弁で飾り付けされてしまう。
 せつなは慌ててしゃがみこむと、トーマの通学バッグから花弁を払った。

「ご、ごめんなさい。ビックリした? 悪ふざけが過ぎましたね」
「いや、違う、違うんだよ。せつな。あまりの破壊力に眩暈が……」
「破壊力?」

 意味を理解しかねていると、同じように腰を落としたトーマと同じ高さで視線が絡んだ。

「せつな」
「は、はい」
「少し、触れてもいいかい?」
「えっ?」

 真剣な眼差しと、声。いったい、どこに、どうやって、触れるというのだろう。わからないのに、首を縦に振る以外の選択肢を消されてしまった。まるで魔法にかけられたように。
 トーマの手が、ゆっくりと伸びてくる。額まで触れるか触れないかの柔らかさで前髪を掬い、指先に少しだけ力が込められた。そのまま髪を引っ張らないよう、梳くように優しく撫でながら離れていく。ハートの形をした薄紅色の花弁が、トーマの親指と人差し指に摘ままれていた。

「桜の花びら。額についていたよ」

 トーマの行動の意味を理解した瞬間、首筋から頭のてっぺんまでを一気に熱が駆け上がっていったのがわかった。こんな顔、見られたくない。両手で顔を覆い隠して蹲ったまま、動けない。

「大丈夫かい? そんなに恥ずかしがらなくても、この桜吹雪だと仕方ないよ。ほら、オレの頭にもついてた」

 トーマが必死にフォローしてくれている。それが逆に羞恥心を煽り、改めて、せつなはトーマに対して抱いている想いの名前を自覚した。

(ひとりで意識しちゃって、恥ずかしい……)

 恋してる。せつなはトーマに、恋をしている。未だ秘めたままのこの想いは、ゆっくりと育ち、蕾を膨らませようとしている。それはきっと自分だけなのだと、せつなは思い込んで疑っていなかった。
 まさか、トーマも同じ想いを抱えているなんて。同じように頬を染め上げ、その腕に抱きしめてしまいそうになる衝動をグッと堪えているなんて。せつなはまだ知らないのだ。



(「先輩」呼び/身長/変わらない)2024.04.16





- ナノ -